池田名誉会長が語る―― 「平和の世紀」の大道 21世紀の世界と日本を見つめて 第2回  教育 文化 軸に 経済から「精神性」の時代へ 人間第一の「人道国家」を 真の豊かさはたえざる自身の向上″の中に ビジョンは哲学から生まれる  ――21世紀を迎えて、日本の社会が直面している最大の課題は何であると思いますか。  池田名誉会長 いろいろ問題がありますが、一言で言えば「ビジョン」がないことでしょ う。  人間、人生の目的がなければ根無し草″のような人生になるのと同じように、社会にも 確たるビジョンが必要です。  どこに向かい、何を目指すのか、その指標が見失われていることが、混迷を深めている背 景にある。  では「ビジョン」は、どこから生まれるか。それは「哲学」からしか生まれません。  現状分析も大切だが、行き詰まっているからこそ、人間の生きる意味や社会のあり方を、 根源的なものに立ち返って考え直す必要がある。  日本はまだまだ経済力もあり、人材力もある。あとは「哲学」を持つことだと思います。  そうしないと、どうしても大勢順応になってしまう。与えられた状況にただ追従し、流さ れるだけで、時代を動かす新しい息吹″は生まれてこないものです。  そうなると、社会には無気力、政治的にはファシズム、教育では没個性、文化的には形骸 化を招く危険性が高い。  私は、21世紀の日本が目指すべきは、人間第一の「人道国家」であると思います。牧口先 生は、すでにそのビジョンを、100年前(1903年)に、『人生地理学』の中で明確に打ち出 されていました。  軍事、政治、経済の競争から「人道的競争」への転換が、やがて時代の趨勢になるであろ うと予見されていたのです。  これこそ、日本の進むべき道でしょう。その道を選び取り、歩みを一歩一歩続ける中で、 生きる意味や社会のあり方も、おのずから浮かび上がってくると思います。 横並び志向が 根強い日本人  ――日本は、世界の中でも豊かな国に入ると思います。しかし、心が満たされていない人 は多い。原因はどこにあるのでしょうか。  名誉会長 一番の理由は、何でも他人と比べてしまう傾向にあるのではないでしょうか。  現代は、「自己中心」「自分本位」の人が増えているといわれます。しかしその半面、周り や時代の流行などに影響されやすい。  ルソーの『エミール』に、他人と比較するな。きのうの自分と比較せよ″との趣旨の言 葉があったと記憶しますが、至言でしょう。  人間の欲望には限りがない。他人の畑に気を取られ続けていると、どこまでいっても満足 を得られません。自分の畑を耕さないかぎり、人生の真の実りは満喫できないからです。  とかく日本人というのは、昔から横並び志向が強く、付和雷同的なところがあります。  とくに若い人たちは、他人と比べて落ち込んでしまう場合も多い。  「君には君にしかできない、この世の使命がある。あなたには、あなたでしか咲かせられ ない人生がある」――この言葉を励ましのエールとして、21世紀を担う青年たちに贈りたい と思います。 人間と人間との結びつきを強く  ――日本は、少子高齢化や景気の低迷など、先行きに対する不安が高まっています。  どこに希望を見いだすべきでしょうか。  名誉会長 先ほども言いましたが、日本はまだまだしっかりしているし、底力も残ってい ると思います。  戦後間もない頃を思い出してみれば、何もなかったわけですから。  確かに失業も増えており、心配な要素も多い。  しかし、そのことで悲観的になっても、状況がよくなるものではありません。  私の好きな哲学者アランの言葉に、「悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する」(白 井健三郎訳)とあります。  この意志を病んでいることが、日本が直面している状況を、さらに厳しいものにしている 気がしてなりません。  あわせて、一番心配なのは、人と人との結びつきが希薄になっていることです。  少子高齢化でも、近くに話せる人がいる。困った時に相談できる人がいる――これが大き い。  絆があれば、みんなで支え合うことができる。それが今、ばらばらになっている。時に、 家庭や地域における人間関係の崩壊は深刻です。  人間は人間にしか励ませないし、人間の中でしか生きることはできません。互いが励まし 合い、元気を出せる絆の回復が「生きる力」の源泉となるのです。 青年部の行動に「未来の希望」が  学会員は、これを無意識的に実践している。どれほど尊いことか。  私たちの存在が、どれだけ社会の安心の港となり、希望の灯台となっているか。心ある人 は皆、知っています。  困っている人のもとに駆けつけ、悩みに同苦し、ともに立ち上がっていく――このやむ にやまれぬ思い″、人間性の発露に、私たちの「人間革命」運動の原動力があります。  あの阪神・淡路大震災の時、誰から言われるのでもなく、救援物賞を届け、被災者を励ま すボランティア活動に率先したのは、学会の青年たちでした。  海外でも同じです。  インドや台湾、中南米のペルー、コロンビア、エルサルバドルをはじめ、震災や水害など に見舞われた地域では、各地のSGI(創価学会インタナショナル)の青年部メンバーが救援 活動に取り組んできました。  こうした青年たちの行動こそ、社会の光明であり、未来の希望です。  その「平和」と「人道」の連帯が、さらに力強く拡大することを、私は期待したい。また、 皆で応援していきたい。 「政治の役割」は母子を救うこと  先ほど、日本が目指すべきものとして「人道国家」というビジョンを挙げられましたが、 その実現のためには、何に最も力を入れるべきだと思われますか。  名誉会長 教育です。教育しかありません。 戦前は軍事力を、戦後は経済力を自負して 日本は走ってきましたが、これからは「教育」、そして「文化」を旗印にして、「人間」を第 一義とする社会を築いていかねばならない。  そのためには、従来のような、国家に奉仕するための教育ではなく、子どもたちの幸福 のために国家があり、社会がある″という発想の転換が必要です。  政治の出発点も、そこにあるはずです。  アンドレ・モロワの言葉にも、「政治の役割は母と子を救うことである」(大塚幸男訳)と ある。すべては民衆のため、とくに母と子のためにあらねばならない。  私が常々、「教育のための社会」ということを訴えてきたのは、その意味です。  牧口先生、戸田先生は教育者であったが、私も教育を終生の事業として取り組んできまし た。  一人の人間の幸福から、社会の発展、そして世界平和にいたるまで、すべての基盤がそこ にあるからです。  現在、モスクワ大学のサドーヴニチィ総長と、「21世紀の教育と大学の使命」をテーマに 対談を続けていますが、人間の限りない可能性を開く教育の復権こそが焦眉の課題であると の一致をみました。  これまで対話を重ねてきた、多くの世界の識者の意見も同じです。 政治家は「人格」と「識見」を磨け 信頼回復へ 指導者革命が急務 文化切り離した「近代化」の限界  ――続いて、日本の文化政策について、お聞きしたいと思います。  最近、伝統文化の見直しがよく言われますが、 この間題について、どう考えられますか。  名誉会長 ヨーロッパなどを訪れると痛感するのですが、いわゆる先進国と呼ばれる国の 中で、日本ほど乱暴で無神経に過去を切り捨ててきた国は少ないのではないでしょうか。  人間という生き物は、自然環境との関係と同じように、伝統に根差した文化環境″と絶 対に切り離すことのできないものです。そのことを、もっと深刻に受け止める必要があると 思います。  今の日本社会を覆っている、得体の知れない閉塞感や、息苦しさのようなものは、伝統文 化を切り捨てながら走り続けてきた「近代化」が、行き着くところまできたことを暗示して いる気がするのです。  今後の文化政策を考える上では、急速に進行している「IT(情報技術)革命」などの現代 的な側面もさることながら、そうした文化と人間との関係を見つめる視点が欠かせないでし ょう。 高まる政治不信  ――近年、政治家の汚職やスキャンダルなどが続き、政治に対する不信が高まっています。  政治家の資質として求められるのは何でしょうか。  名誉会長 最近の日本を見ていると、政界に限らず、官界、財界など、社会のあらゆる分 野で、腐敗が進んでおり、トツプが責任を放棄しているような例が多い。  廉恥心というものは、人格の骨格部分を形作っているものですが、そこがメルトダウン(炉 心溶融)してしまっている。実に由々しきことです。  大人社会が、そんな体たらくであっては、子どもの教育問題をいくら諭じたところで、砂 上の楼閣でしかないでしょう。  それはともあれ、ますます国際化の時代である。  政治も外交も、最後は人で決まる。「人格」と「識見」の勝負になります。しかし、その輝 きをもった政治家が少なくなったという声も多い。こんな逸話があります。  戦後、マッカーサー元帥が時の吉田首相に、こう質問したそうです。  「明治の日本の指導者にくらべて、昭和の日本の指導者は、どうして、あれほど小粒にな ったのか。まるで別の国のようだ」と。  そこで、吉田首相が、識者に諮問したところ、返ってきた答えは「古典を読んでいない」 というものでした。  古典に日頃から親しみ、その真髄が血管にしみこんでいれば、その人の振る舞い、言葉に、 なにがしか、にじみ出てくるものがある。  教養といっても、表面的な知識ではない。偉大な政治理念、政治哲学があるかないかです。 国民が納得できる「説明責任」を  私が、世界を代表するリーダーや一級の知性の方々と、お会いして感じるのも、そうした 「哲学」や「人格の輝き」です。  国際化社会といっても、首相や大臣が語学が得意ならば、国際化時代のリーダーなのか。 そうではないでしょう。  それよりも大事なのは、世界の誰もが納得する「識見」です。日本の国内でしか通用しな いような独善ではだめです。  また、偉大な文学は、「言葉で、きちんと説明する」力も養ってくれます。今は、国民に責 任をもって語りかける政治家があまりにも少ない。  民主主義なのですから、みんなが「ああ、なるほど」と納得できるように、何でも説明す べきです。日本の政治に一番欠けているのは、この「説明責任」ではないでしょうか。 2001.12.26付 SP