新春随想 池田名誉会長 ソクラテスを語るA わかりやすい言葉で語れ!! 行動即健康! 今日も友のところへ!!  一、牧口先生は、口ぐせのように、よく質問されたという。  「善いことをしないのと、悪いことをするのと、同じか、ちがうか?」  思いがけない問いに、相手が、とまどった顔をすると、先生は、例をあげて言われた。  「子どもが、ふとんをはいで寝ているのを見て、かけてあげないのは、善いことをしない のである。その結果は、寝びえをしたり、風邪をひいたりする。かけてあるふとんをはぐの は悪であるが、それと同じ結果になる。不善と悪は、結果は同じである」  ゆえに、積極的に善をなせ、大善をなせ、と。  牧口先生は「問答の名人」であられた。 相手の中の真理を目覚めさせる  一、ソクラテスの哲学における真理の探究方法。それも、「対話」(問答法)であった。  「幸福とは何か」「善とは何か」「正義とは何か」「美とは何か」「勇気とは何か」「知とは何 か」等々、万人に共通する「徳」をめぐって、真剣な対話の「問答」「打ち合い」を通して、 相手を真理に目覚めさせていくのである。彼は、優れた「産婆(助産婦)」であった自分の母 のことを喜びをもって語りながら、真理探究の対話を、子を産むことを助ける「産婆術」に 譬えている。〈プラトンの著作『テアイテトス』による〉  すなわち、真理(子ども)は、こちらが与えるのではなく、相手の魂の中にすでに宿って いる。それが目覚め、誕生するのを手助けするのが「対話」なのである。  私どもの仏法対話も、相手の中にある「仏界」を目覚めさせる手助けである。  よき「魂」、よき「生命」になってこそ、よき人間になり、よき人生を送れる。ゆえに、と もに、自分白身の「魂の世話」をすることが大切なのだとソクラテスは呼びかけた。  一、ある日、有名なデルフォイ(デルポイ)の神殿で、「ソクラテスは万人の中で最も賢い」 という神託があった。それを伝え聞いたソクラテスは、これは一体、どういうことか、思い 悩んだ。  私が一番賢い? この無知な私が? しかし神託に間違いはないはずだ。ならば私の取り えとは、私が「自分は何も知らない」ことを知っているところにあるにちがいない。他の人 は、自分には知恵があると、うぬぼれている――。  こうして彼は、「自己の無知を自覚した者」こそ「最も知恵がある」と結論した。いわゆる 「無知の知」である。  ソクラテスは、人々を「偽りの知恵」から救い、「真の知恵」「真の幸福」に向けて励まそ うと思った。そのための「哲学的対話」を、自らに授けられた「使命」と自覚する。そして、 徹底した実践に入っていく。 家から出て、あらゆる友と対話を  一、早朝から、ほとんどの時間を家の外で過ごし、アテネの広場や街頭に飛び出して、老 若を問わず、国籍を問わず、信条を問わず、あらゆる人々に開かれた対話を拡大していった。  ソクラテスにとって、真の哲学とは、対話の中にあった。対話に徹し抜いたソクラテスは、 「哲学史上、最大の実践家」とも謳われている。  そうした対話をほうふつさせる名画が、ルネサンスの巨匠ラファエロの傑作「アテナイの 学堂」である。図柄は、創価大学の記念講堂の緞帳(どんちょう)にも刻まれており、世界 からの多くの学者の方々も、目を見張っておられる。これは、創価大学の卒業生、父母の皆 さまからの真心の贈り物である。  ソクラテスの対話は、悪口や暴力など、いかなる敵意や迫害の中でも、死の瞬間まで、生 き生きと続けられた。  対話は真剣勝負であり、傲慢な権力者や権勢家の偽りの知恵は、容赦なく暴かれていった。  ここに、ソクラテスが有力者から恨まれ、後年、投獄される背景もあった。 高い思想を「わかりやすい事例」で  一、「ソクラテスの対話」の驚嘆すべき特徴とは、だれにでも「わかりやすい言葉」で、「わ かりやすい事実」を通して、目指すべき「高尚な思想」「神々しい徳」を語ったことである。  身近な日常の事柄を例にとったその対話は、市民の間に共感と賛同を広げた。しかし、博 識を誇る学者や政治家からは嘲笑された。驕りに曇った魂には、哲人の平易な言葉に込めら れた深き思想が、理解できようはずがなかったのである。  日蓮大聖人が、庶民の弟子のために、わかりやすい仮名文字でしたためられた御書を、驕 慢の五老僧が軽視し、踏みにじった姿と、私には二重写しに見える。  思想は、人々の心に生きてこそ意味がある。単なる難解さは自己満足にすぎない。ソクラ テスは、自分の知を誇るためではなく、「相手のために」対話した。「わかりやすい」という ことが慈悲の発露なのである。  一、古代の哲学史上、「最も生彩に富んだ人物」と称されるソクラテス。その名には、「健 康な力」という意義があるといわれる。  彼は、規則正しい、驚くほど貧しく質素な生活を送った。自分白身を律し節制して、精神 と肉体を鍛錬した。欲望は思慮を鈍らせる″からであり、結局、不自由や苦悩につながる という考えからである。  ソクラテスの身体は、非常に頑健で、アテネにしばしば疫病が流行したときにも、彼は病 気にかからなかったという。  つねに裸足で歩いたので、裸足で氷の上を歩いても平気だったといわれる。  それは、釈尊がインド亜大陸をエネルギッシュに歩き回って対話を重ね、大きな足が鉄板 のようになったといわれる――その行動力とも響き合う。  広宣流布へ戦えば、「体」が健康になる。「心」が健康になる。「行動即健康」の軌道が、仏 法の正道なのである。 「母の恩」は広大 ひとたび語れば黄金の魂の美が  一、ところで、ソクラテスの容姿は「当時のアテネが理想とする、美しく優雅な姿とは、 まったく、かけ離れた「醜男(ぶおとこ)」であったといわれる。  目と目の間が離れ、大きな鼻は上向き、歩き方はアヒルに似ていると笑われた。  しかし、顔つきに悪徳への傾向がある″とまで言われても、ソクラテスは平然と、そ うした悪い傾向さえも、自分は修養によって矯正したのだ″と答えている。  「克己(こっき)の人」であり、「自己鍛錬の人」であった。  ソクラテスは「笑顔の人」だった。いつも晴れやかで、微笑みを浮かべ、度量が広く、巧 みなユーモアで人を引きつけた。  外見は醜いとされたソクラテスが、ひとたび語り始めるや、内面が開かれ、「神々しい黄金 の魂の美しさ」が光り輝いたといわれる。  ソクラテスのもとにいる人々は、正義と真理の「鏡」に照らされて、自らを直視せざるを 得なかった。ソクラテスの言う通り実行せずにはおられない″ような人格的魅力を感じと ったという。 忘恩こそ不正!  一、ソクラテスには、3人の子どもがいた。わが子に「母の恩」を説いたエピソードを、 弟子のクセノフォンが、つづっている。  ある時、ソクラテスの長男が、母親と諍いを起こして腹を立てていた。  ソクラテスは「恩知らず」って知ってるかいと聞いた。  長男は答えた。「ええ、わかっています。よいことをして貰って、感謝をする力があるのに それをしない人を、恩知らずと呼ぶんです」  「それでは、恩知らずは不正な人間の中に入ると思わないかね」とソクラテスが聞くと、 長男は「思います」。  「忘恩は明瞭この上もない不正」なのだよと語り、ソクラテスは続けた。  ――子を宿した女性というのは、「その重い荷を苦しい思いをし生命の危険を冒しながら担 い、己れ自らの養いとなっている滋養を分ち、そしてあらゆる苦労をして最後まで担い了(お お)せて生み落す」のだ。  そして「何がほしいと知らせる術も知らぬ孩児(あかご)(=おさなご=編集部注)の、為 になること喜ぶことを自分で察してこれを充たしてやろうとつとめ」「昼となく夜となく、骨 身を惜しまず養育して、どんなお礼を受けるかとも考えさえしない」。  「人生のために良いことはこれを教え、他人が自分たちよりも教えるのに卓(すぐ)れて いると思うことは、費用をかけてその人のところへ送って習わせ」て、立派な人間になるよ う、全力を尽くすのだ。  「お前は」と、ソクラテスは言う。「どれくらい小さい時分からいけないことを言ったり、 悪戯をしたりして、夜となく昼となく母さんに面倒をかけたと思う」  「お前が病気になれば早くなおるようにと、あらんかぎりの世話をし、何一つ不自由させ まいとつとめ、その上お前にたくさんよいことがあるように」願っているというのに、それ でもお前は、このお母さんを冷酷だと言うのかね――。  ソクラテスは諄々と語り聞かせた。  「お前を何物よりも愛している母親を大切にする必要がないと思うのか」と。  〈『ソークラテースの思い出』佐々木理訳から〉  ソクラテスが、他の少年にも、親の愛情について優しく語り聞かせていたことを、プラト ンは書き残している。  人間は、決して一人では生きられない。あらゆる人々が、互いに助け合い、支え合って生 きている。なかんずく父母がいるからこそ、自分は生まれてきた。  自分自身のよってきたる生命の大地――この「父母」「家族」そして「縁あるすべての人々」 を、心をこめて大切にしていく。その身近な行動から「平和と人道の世紀」は始まるにちが いない。 2002.1.7 付 SP 新春随想 池田名誉会長 ソクラテスを語るA わかりやすい言葉で語れ!! 行動即健康! 今日も友のところへ!!  一、牧口先生は、口ぐせのように、よく質問されたという。  「善いことをしないのと、悪いことをするのと、同じか、ちがうか?」  思いがけない問いに、相手が、とまどった顔をすると、先生は、例をあげて言われた。  「子どもが、ふとんをはいで寝ているのを見て、かけてあげないのは、善いことをしない のである。その結果は、寝びえをしたり、風邪をひいたりする。かけてあるふとんをはぐの は悪であるが、それと同じ結果になる。不善と悪は、結果は同じである」  ゆえに、積極的に善をなせ、大善をなせ、と。  牧口先生は「問答の名人」であられた。 相手の中の真理を目覚めさせる  一、ソクラテスの哲学における真理の探究方法。それも、「対話」(問答法)であった。  「幸福とは何か」「善とは何か」「正義とは何か」「美とは何か」「勇気とは何か」「知とは何 か」等々、万人に共通する「徳」をめぐって、真剣な対話の「問答」「打ち合い」を通して、 相手を真理に目覚めさせていくのである。彼は、優れた「産婆(助産婦)」であった自分の母 のことを喜びをもって語りながら、真理探究の対話を、子を産むことを助ける「産婆術」に 譬えている。〈プラトンの著作『テアイテトス』による〉  すなわち、真理(子ども)は、こちらが与えるのではなく、相手の魂の中にすでに宿って いる。それが目覚め、誕生するのを手助けするのが「対話」なのである。  私どもの仏法対話も、相手の中にある「仏界」を目覚めさせる手助けである。  よき「魂」、よき「生命」になってこそ、よき人間になり、よき人生を送れる。ゆえに、と もに、自分白身の「魂の世話」をすることが大切なのだとソクラテスは呼びかけた。  一、ある日、有名なデルフォイ(デルポイ)の神殿で、「ソクラテスは万人の中で最も賢い」 という神託があった。それを伝え聞いたソクラテスは、これは一体、どういうことか、思い 悩んだ。  私が一番賢い? この無知な私が? しかし神託に間違いはないはずだ。ならば私の取り えとは、私が「自分は何も知らない」ことを知っているところにあるにちがいない。他の人 は、自分には知恵があると、うぬぼれている――。  こうして彼は、「自己の無知を自覚した者」こそ「最も知恵がある」と結論した。いわゆる 「無知の知」である。  ソクラテスは、人々を「偽りの知恵」から救い、「真の知恵」「真の幸福」に向けて励まそ うと思った。そのための「哲学的対話」を、自らに授けられた「使命」と自覚する。そして、 徹底した実践に入っていく。 家から出て、あらゆる友と対話を  一、早朝から、ほとんどの時間を家の外で過ごし、アテネの広場や街頭に飛び出して、老 若を問わず、国籍を問わず、信条を問わず、あらゆる人々に開かれた対話を拡大していった。  ソクラテスにとって、真の哲学とは、対話の中にあった。対話に徹し抜いたソクラテスは、 「哲学史上、最大の実践家」とも謳われている。  そうした対話をほうふつさせる名画が、ルネサンスの巨匠ラファエロの傑作「アテナイの 学堂」である。図柄は、創価大学の記念講堂の緞帳(どんちょう)にも刻まれており、世界 からの多くの学者の方々も、目を見張っておられる。これは、創価大学の卒業生、父母の皆 さまからの真心の贈り物である。  ソクラテスの対話は、悪口や暴力など、いかなる敵意や迫害の中でも、死の瞬間まで、生 き生きと続けられた。  対話は真剣勝負であり、傲慢な権力者や権勢家の偽りの知恵は、容赦なく暴かれていった。  ここに、ソクラテスが有力者から恨まれ、後年、投獄される背景もあった。 高い思想を「わかりやすい事例」で  一、「ソクラテスの対話」の驚嘆すべき特徴とは、だれにでも「わかりやすい言葉」で、「わ かりやすい事実」を通して、目指すべき「高尚な思想」「神々しい徳」を語ったことである。  身近な日常の事柄を例にとったその対話は、市民の間に共感と賛同を広げた。しかし、博 識を誇る学者や政治家からは嘲笑された。驕りに曇った魂には、哲人の平易な言葉に込めら れた深き思想が、理解できようはずがなかったのである。  日蓮大聖人が、庶民の弟子のために、わかりやすい仮名文字でしたためられた御書を、驕 慢の五老僧が軽視し、踏みにじった姿と、私には二重写しに見える。  思想は、人々の心に生きてこそ意味がある。単なる難解さは自己満足にすぎない。ソクラ テスは、自分の知を誇るためではなく、「相手のために」対話した。「わかりやすい」という ことが慈悲の発露なのである。  一、古代の哲学史上、「最も生彩に富んだ人物」と称されるソクラテス。その名には、「健 康な力」という意義があるといわれる。  彼は、規則正しい、驚くほど貧しく質素な生活を送った。自分白身を律し節制して、精神 と肉体を鍛錬した。欲望は思慮を鈍らせる″からであり、結局、不自由や苦悩につながる という考えからである。  ソクラテスの身体は、非常に頑健で、アテネにしばしば疫病が流行したときにも、彼は病 気にかからなかったという。  つねに裸足で歩いたので、裸足で氷の上を歩いても平気だったといわれる。  それは、釈尊がインド亜大陸をエネルギッシュに歩き回って対話を重ね、大きな足が鉄板 のようになったといわれる――その行動力とも響き合う。  広宣流布へ戦えば、「体」が健康になる。「心」が健康になる。「行動即健康」の軌道が、仏 法の正道なのである。 「母の恩」は広大 ひとたび語れば黄金の魂の美が  一、ところで、ソクラテスの容姿は「当時のアテネが理想とする、美しく優雅な姿とは、 まったく、かけ離れた「醜男(ぶおとこ)」であったといわれる。  目と目の間が離れ、大きな鼻は上向き、歩き方はアヒルに似ていると笑われた。  しかし、顔つきに悪徳への傾向がある″とまで言われても、ソクラテスは平然と、そ うした悪い傾向さえも、自分は修養によって矯正したのだ″と答えている。  「克己(こっき)の人」であり、「自己鍛錬の人」であった。  ソクラテスは「笑顔の人」だった。いつも晴れやかで、微笑みを浮かべ、度量が広く、巧 みなユーモアで人を引きつけた。  外見は醜いとされたソクラテスが、ひとたび語り始めるや、内面が開かれ、「神々しい黄金 の魂の美しさ」が光り輝いたといわれる。  ソクラテスのもとにいる人々は、正義と真理の「鏡」に照らされて、自らを直視せざるを 得なかった。ソクラテスの言う通り実行せずにはおられない″ような人格的魅力を感じと ったという。 忘恩こそ不正!  一、ソクラテスには、3人の子どもがいた。わが子に「母の恩」を説いたエピソードを、 弟子のクセノフォンが、つづっている。  ある時、ソクラテスの長男が、母親と諍いを起こして腹を立てていた。  ソクラテスは「恩知らず」って知ってるかいと聞いた。  長男は答えた。「ええ、わかっています。よいことをして貰って、感謝をする力があるのに それをしない人を、恩知らずと呼ぶんです」  「それでは、恩知らずは不正な人間の中に入ると思わないかね」とソクラテスが聞くと、 長男は「思います」。  「忘恩は明瞭この上もない不正」なのだよと語り、ソクラテスは続けた。  ――子を宿した女性というのは、「その重い荷を苦しい思いをし生命の危険を冒しながら担 い、己れ自らの養いとなっている滋養を分ち、そしてあらゆる苦労をして最後まで担い了(お お)せて生み落す」のだ。  そして「何がほしいと知らせる術も知らぬ孩児(あかご)(=おさなご=編集部注)の、為 になること喜ぶことを自分で察してこれを充たしてやろうとつとめ」「昼となく夜となく、骨 身を惜しまず養育して、どんなお礼を受けるかとも考えさえしない」。  「人生のために良いことはこれを教え、他人が自分たちよりも教えるのに卓(すぐ)れて いると思うことは、費用をかけてその人のところへ送って習わせ」て、立派な人間になるよ う、全力を尽くすのだ。  「お前は」と、ソクラテスは言う。「どれくらい小さい時分からいけないことを言ったり、 悪戯をしたりして、夜となく昼となく母さんに面倒をかけたと思う」  「お前が病気になれば早くなおるようにと、あらんかぎりの世話をし、何一つ不自由させ まいとつとめ、その上お前にたくさんよいことがあるように」願っているというのに、それ でもお前は、このお母さんを冷酷だと言うのかね――。  ソクラテスは諄々と語り聞かせた。  「お前を何物よりも愛している母親を大切にする必要がないと思うのか」と。  〈『ソークラテースの思い出』佐々木理訳から〉  ソクラテスが、他の少年にも、親の愛情について優しく語り聞かせていたことを、プラト ンは書き残している。  人間は、決して一人では生きられない。あらゆる人々が、互いに助け合い、支え合って生 きている。なかんずく父母がいるからこそ、自分は生まれてきた。  自分自身のよってきたる生命の大地――この「父母」「家族」そして「縁あるすべての人々」 を、心をこめて大切にしていく。その身近な行動から「平和と人道の世紀」は始まるにちが いない。 2002.1.7 付 SP