新春随想 池田名誉会長 ソクラテスを語るB  一、ソクラテスは、だれかが暗い表情をしていると、気さくに声をかけた。  「何か心に重荷があるようだね」  「君はその重荷を友人たちに分ける必要がある」  「われわれも君の荷を軽くしてあげられるかも知れないから」  (『ソークラテースの思い出』佐々木理訳)  友の困窮や苦悩に熱心に耳を傾け、その原因を見つめ、解決への「知恵」を出しながら、 励ましていったのである。 善友を広げよ!  一、ソクラテスの「人間の探究」は、「人間への尊敬」を、さらには「人間への愛情」を生 み出していった。  彼は、「民を思い、人類を愛した人」であった。  嫉妬の渦巻く社会の中で、ソクラテスの「対話の拡大」は、人々の「善意」を触発し、互 いに助け合えるように結びつけていった。  仏法でも、「悪知識を捨てて善友に親近せよ」(御書1244n)と強調している。  私どもの「対話の拡大」もまた、善友の結合を広げながら、現実の人間の苦悩を打開し、 人類全体を最高の善へと導いていく運動なのである。 正義の師匠  一、ソクラテスは常々、語っていた。  ――職人の仕事を、だれに学ぶかは明白なのに、「正義」を学ぶときには、だれを師匠とす べきかわからないのは、驚くべきことだ、と。  ソクラテスこそ、生涯をかけて、「正義」を語り、「正義」を求め続けた人であった。  彼は言う。  「私は正義をいかなるものと考えているか、たえず世間に示してやむときがない」「行ない でもって私は(正義を)示している」(前掲『思い出』)と。  学会の魂も「正義」である。日蓮大聖人の仏法という「正義の中の正義」の旗を掲げてい る。 ゆえに強い。  私たちも、この「正義の大哲学」を語って、語って、語り抜いてまいりたい。わが行動で、 示しきってまいりたい。  そこにこそ、自身の生命の勝利があり、自他ともに輝く幸福の道があるからだ。 悪と戦う勇気が教育者の条件  一、あるとき、ソクラテスは、美男子″秀才″と、もてはやされていた青年たちと対 話した。  ソクラテスは「汝白身を知る」ことを促しながら、こう語った。  幸福を保証してくれるのは、ただ一つの知、つまり、善悪についての知にしたがって生 きるということだ″と。  牧口先生も、教育者の根本条件として「善悪の基準」を持つことを挙げておられた。  そして、悪人とは断固として戦う勇気を強調された。  「悪人の敵になりうる勇者でなければ、善人の友となり得ぬ」とは、牧口先生の至言であ る。 外側からでなく内側から開花  一、青年を愛し、青年を育てたソクラテス。彼は「人間教育」の真の実践者であった。  当時、アテネで行われていたのは、教師が生徒の上に立って、外側から知識を注ぎ込むよ うな教育だった。 政治は教育を最優先させよ 教育が政治に従属ではなく政治が教育に奉仕を 青年を愛し、育ててこそ未来は輝く!!  ソクラテスが試みたのは、まったく異なる教育のやり方だった。青年たちが自らの内側か らの力で、知恵を開き、魂を向上させゆくことに取り組んだのである。  ソクラテス自身は、それを手助けする「善き友」であり、「英知の同志」であった。より高 い徳を一緒になって探し求める、麗しき「友愛」の中に、ソクラテスの教育があったのであ る。  ソクラテスは言った。  ――僕と一緒になる者は、驚くばかりの進歩をする。それは、僕のところからではなく、 自分で自分自身のところから多くの見事なものを発見し、産み出してのことなのだ、と。  ソクラテスは、青年の成長を、ことのほか喜んだ。  教え子をわが子のように大切にし、自分以上に偉く、高く、輝かせていく――ここに真の 教育者の証がある。 私は友達が好き  一、ソクラテスは、青年に「友情」の大切さを訴えてやまなかった。  いかなる財宝と比べようとも、良友に勝るものはない″  私は、友だちが好きな人間なのだ″と。  あるとき、ソクラテスは、「一人の男が友人の窮乏を傍観している」のに出くわした。  ソクラテスは、近くにいた弟子に言った。  ――友人にとって、自分自身が、どれほど価値ある者なのか。それを省みて、友人にと って価値ある者″であるように自分を高めよ、と。また、弟子の青年の一人が、兄と仲たが いした。兄弟の性格も見きわめながら、ソクラテスは言った。  ――自分から先に、親切と友愛を示すのだ、と。  一、ソクラテスは、わが身をもって、青年に「自己を律する」ことを教えた。青春時代の 「鍛錬」の重要性を訴えた。  享楽ばかり追う青年は、老いては精神が空虚になる。  クセノフォンは、ソクラテスが次のような話を青年に語ったことを書き留めている。  未来ある青年を堕落させようと、甘い言葉をささやく「悪徳」に向かって、「美徳」が、こ う叱咤するのである。  お前は、最高の快い喜びを見ることはない。  なぜなら、未だかつてお前は、自分白身で美しい仕事を成し遂げたことがないからである″ と。  一、困難に対する「忍耐」、そして絶え間なき「努力」なくして、善は成就できない。  ゆえに、青年が、汝自身の勝利と栄光の歴史を成し遂げていけるよう、皆で大いに「励ま し」を贈っていきたい。 「政治にかかわるのは市民の義務」  一、歴史家のトインビー博士と対談した折も、ソクラテスのことが話題にのぼった。  「いかに政治に向き合うか」について論じ合う中で、博士は語っておられた。  「ソクラテスは、ふだん、論争の絶えない政治にわざわざ介入するようなことはありませ んでした。しかし、ひとたびある政治手段をとることが――たとえそれが一般には不人気な ことであっても――必要であると判断した場合、彼は、そうすることが市民としての義務の 一部であると考え、ためらうことなく実行しています」  こうしたソクラテスの実践の中にこそ、政治に対して知識人や芸術家が取るべき正しい態 度が示されている――そう博士は述べておられた。  政治の本質とは何か。  戸田先生は「結論していうならば、政治は技術である」と喝破された。民衆の幸福な生活 を実現し、社会に繁栄をもたらし、世界に平和を築いていくための技術――これが「政治」 であると論じておられた。 「『教育』あっての『国民の幸福』」  一、政治という技術の真の目的について、ソクラテスは、人間の魂を善なるものへ促し ていく″ことにあると述べている。  なかんずく、青年が優れた人間に成長するよう手助けをしていく。これが国事の中で、 まず第一に取り組むべきこと″であるとした。  教育こそ、人間社会の行く末を左右する根本の課題である。それは、古今を通じて変わら ない。 私は、「大学と社会」をめぐって、モスクワ大学のサドーヴニチィ総長と語り合って きた。 総長は力説しておられた。  「政治の目的は『経済の発展』であり、『国民の生活』であり、『国民の幸福』でしょう。 しかし、それらは全部、大学や教育機関をしっかり支援することから生まれる――それを政 治家は知らねばなりません。  『教育』あっての『国民の幸福』なのです」  その通りである。  「教育」が「政治」に従属するのではない。  「政治」が「教育」に奉仕すべきなのである。 2002.1.8 付 SP