新春随想 池田名誉会長 ソクラテスを語るC 正しいからこそ迫害される 転倒の「嫉妬社会」を変えよ!! 「幸福な人生」とは「正義を貫く人生」  一、ソクラテスのもとには、多くの人々が訪れた。アテネだけでなく他の都市国家からも。  ソクラテスは、自分の「宝」で、あらゆる人々を豊かにした。自分に近づく人たちを「来 た時よりも善い人間」にして帰した。  「宝」とは何か。  「思想」であり、「知恵」である。  「思想は久遠の生命をもつ」と言ったのは、19世紀の文豪ユゴーである。彼は、ソクラテ スとプラトンの師弟に、人類史に輝く古代ギリシャの偉大さを見た。  しかし――この「国の宝」というべきソクラテスを、アテネは、どう過したのか。 詭弁家が横行  一、当時のアテネは、互いに足を引っ張り合う「嫉妬社会」だった。 ソクラテスの目に は、自分を見失った「転倒社会」と映った。  ウソの告発で人を陥れる。財産を没収し、分け前にあずかる。罪なき人を侮辱し、痛めつ けて儲ける。利己主義がはびこり、道徳はすたれた。 そうした風潮をあおったのが、「ソフ ィスト」と呼ばれる詭弁家たちであった。  〈ソフィストはギリシャ語で「知者」の意。しかし、一部に弁論術を悪用する者がいたの で、やがて「詭弁家」と同義語とされた〉  彼らの「正義」は、その時々で変わった。要するに、人を信じこませ、動かせればよかっ た。  自分を飾り、自分が利益を得るための「欺瞞の言論」が横行したのである。  そうした身勝手な言論の技術を、ソクラテスは「迎合だ」と喝破する。それは「醜いもの だよ」「劣悪なものは醜いと、ぼくは呼ぶつもりだからね」と、その本質を鋭く突いた。  一、「ソクラテスの弟子を奪い取ろう」と、もくろむ詭弁家がいた。 清貧に暮らすソクラ テスを、「食べ物も粗末」「衣服も粗末」「楽しい生活もしない」と皆の前で言い、青年を不幸 に導くと非難した。  それに対し、ソクラテスは反論する。  「君は幸福とは贅沢と豪奢(ごうしゃ)のことだと思っているようだ」(佐々木理訳)  人生の価値を「モノ」でしかはかれない、軽薄な論理を打ち破った。 ソクラテスは言う。  「自分も前より良い人間となり、友達をもますます善い人間にしてつきあえるという考え より、なお楽しいことが、またとあり得ると君は思うか」(同)  この言葉に、弟子たちは感動を新たにした。  青年を邪道に陥れようとする中傷は、かえって、正道を歩む「師弟の絆」を強めたのであ る。 師匠を裏切った野心の弟子たち  一、ソクラテスの弟子の中にも、師匠を裏切る人間たちが出た。弟子のクセノフォンは厳 然と書き残している。ソクラテスのそばにいる間は、彼らも卑しい欲望を抑えることができ た。しかし、師のもとを離れてからは「正義よりもむしろ無法の暮しをしている人間の仲間 に入り」「多くの有力者たちに甘やかされ」「自らの訓練を留守にした」(同)。  家柄に傲り、富に傲り、力に傲り、多くの人にちやほやされ、そのうえ長い間、師と離れ ている。その彼らが傲慢になって何の不思議があろう――と。  ある反逆者は、かつて大勢の人たちの前で、ソクラテスから「心根が卑しい」と厳愛の指 導を受けた。これを逆恨みして、後にソクラテスを攻撃するための悪法をつくった。しかも、 師に対して「青年たちと話をするな」とまで迫ったのである。  その彼は、時を経ずして悲惨な最期をとげた。  反逆者の目的は、「名誉」であったのだろうか。すなわち、謙虚に師に学ぶのではなく、野 心のために師を利用した。結局、「自分中心」であったのである。  一、日蓮大聖人は、臆病で卑劣な背信者の本性を喝破されている。「はじめは信心をしてい ながら、世間(からの迫害)を恐れて退転した人々は数を知れない。そのなかには、かえっ て、もとから誹謗していた人々よりも激しく誹謗する者も、たくさんいる」(御書1088ペー ジ、通解) ソロー  人間を不正に投獄する  政府のもとでは  正しい人間が住む場所は  牢獄である。 「不正な権力者こそ最も不幸」  一、アテネの堕落は為政者の堕落でもあった。何のための為政者か。ソクラテスは訴えた。  よき為政者とは自分自身のためではなく、自分を選んだ人々を幸福にするために選ばれ るのである〃と。  ソクラテスが、不正な権力に向けた言論の切っ先は、まことに鋭かった。「極悪非道となる 連中というのも、権力者たちの間から生まれてくる」(加来彰俊訳『ゴルギアス』)とまで述 べている。  インドのネルー初代首相も、独立闘争の渦中、獄中で記している。ソクラテスは「真理を 求めてやまない哲学者」であり、政治権力は「真理の探究をきらう」と。プラトンの綴り残 した「ソクラテスの対話」の白眉とされる『ゴルギアス』――そこには、「権力」と、それに 立ち向かう「哲学」の、火花を散らすような対決が描かれている。この中で、権力に魅せら れた一人の青年は、ソクラテスに言い放つ。  あなたは、思いのままに他者を支配できる独裁者をうらやましいとは思わないのか、と。 正義に背いた権力者が富み栄える。これが当時も、社会の現実であった。これに対して、ソ クラテスは不正な人間は、どれほどの権力を握ろうと、実は最も微力であり、不幸な存在 である″ことを論証していく。  「立派な善き人が、男でも女でも、幸福であるし、反対に、不正で邪悪な者は不幸である」 (同)  その道理を尽くした訴えに、青年は、次第に黙らざるをえなくなる。  一、そこに、権力欲をむき出しにした政治家が論争を挑んでくる。  正義とは、強者 が弱者を支配することに決まっている。いつまでも「哲学」なんかに、かまけているのは滑 稽だ。そんな人間は破滅するにちがいない″――と。  ソクラテスは、この政治家の攻撃を歓迎した。人間が最も真剣に取り組むべき課題――「人 間として、いかに生くべきか」を明らかにする絶好の機会だったからである。ソクラテスは、 幸福とは、ただ欲望が満たされる状態ではないことを示して、こう述べる。  「いやしくも仕合せになろうとするなら、正義と節制の徳がそなわるようにと行動しなけ ればならないのだ」(同)  正義と幸福を真摯に探求するソクラテスに、はじめは居丈高な態度を示していた政治家も 耳を傾けざるをえなくなる。 「言論で万人に打ち勝った人」  一、ソクラテスは、政治家に言う。  ――恐れるべきは、死ぬことではない。不正を行うことのほうだ。魂を悪業で満たしたま ま、死後の世界へ行くことこそ、一番ひどい不幸なのだ、と。  そして呼びかけるのである。  「ぼくの言うことを聞きいれて、ぼくの目ざすこちらの方へ、君も一緒について来ること にしたまえ」「目ざす目標に到達したなら、君は生きているときも、死んでからも、幸福にす ごせるだろうから」(同)  最後に、正義を貫き通すことを自らも実践し、他の人々にも勧めるよう強く励まして、対 話は終わる。  権力者をも正義に導いていく――ここにソクラテス哲学の挑戦があった。戸田先生は「青 年は心して政治を監視せよ」と言われた。  青年は、「言論において、万人に打ち勝った人」と呼ばれたソクラテスのように、「正義の 言論」の剣を磨いていってもらいたい。人間を踏みにじる権力悪を破り、人間主義の勝利の 旗を打ち立てていただきたい。  一、本来ならば、アテネの最高の功労者″として遇されるべきであったソクラテス。  転倒の「嫉妬社会」は、その偉人に対して、虚偽の告発、不当な裁判、投獄そして死刑を もって報いた。牧口初代会長、戸田第2代会長、そして私も投獄された。創価学会の三代に わたる指導者が、正義のための獄中闘争を貫いたことは、最大の誉れの歴史である。  私は現在、アメリカ・ルネサンスの思想家ソローをめぐって、「ソロー協会」の首脳の方々 と対談を進めている。  ソローの有名な言葉がある。  「人間を不正に投獄する政府のもとでは、正しい人間が住むのにふさわしい場所もまた牢 獄である」 (飯田実訳) 2001.1.9