随筆・新・人間革命(244)   新世紀の理想郷・岩手 心も天地も 日本第一! 断固と築け 人材林立の創価城  「本物の一人の青年が立ち上がれば、広宣流布は必ずできる!」  戸田先生の忘れ得ぬ言葉である。  私は十九歳で、信仰の道に身を投じた。  戸田先生の青年への訓練は峻厳であった。それは、若人へ託す心が大きい証左であった。  私も今、師と同じ心である。青年にすべてを託す。この思いで戦っている。 ◇  この新しい「青年創価学会」――その歴史を、先頭で切り開くのが、岩手の友である。  昨年十二月、「平和の理想郷(イーハトーブ)へ 完勝の大前進!」をテーマに、青年文化 総会が行われた。  県都・盛岡市の会場には、青年部の精鋭二千七百人が集った。  それぞれの使命の舞台で勝利した正義の若き英雄″たちである。皆、喜々として、広宣 の拡大の決意に沸いていた。  二十一世紀の岩手の大勝利を決定する、後継の尊き儀式となった。  「完勝」――それは、負けない自分を鍛え上げようとする心から生まれる。すべての責務 を担い、すべてをやり切る王者の異名である。  今ここに、決然と、若き師子吼は轟き、本年の七月十四日「岩手の日」三十周年を祝賀す る「岩手大勝利年間」の火蓋は切られた。  そして今日(一月十四日)、晴れ晴れと新春の出発の歴史的な幹部会となる。  さあ、岩手の同志よ!  本年一年も一緒に、厳として微笑を浮かべ、胸を張り、信仰の英雄として断固と勝ちゆけ!  岩手の未来は、大盤石である。 ◇  ―――昭和四十七年七月、東北地方は、局地的な豪雨に見舞われた。  その時、山形にいた私は、甚大な被害を受けた秋田の激励に向かい、救援の手を打った後 で、岩手に駆けつけた。  どんなことがあっても、私たちは負けない! ――皆の心意気を天も知ってか、朝から降 り続いていた雨はやみ、記念撮影が始まるころには雲が切れ、友の横顔を、太陽の光が包み こむように美しく照らしていた。  私は、「常に十年、二十年先への希望と夢を保ちつつ、自己の運命、そして地域を力強く開 拓しゆく人生であり、岩手であってほしい」と念願し、訴えた。  この日、この時から、岩手の広宣流布の大前進が始まっなのだ。 ◇  寒風に澄みわたる天高き青空を仰げば、わが瞼には、あの日の健気な岩手の友の顔(かん ばせ)が生き生きと浮かんでくる。  そして私の耳には、純朴な皆様の、堅固な決意の声が、そして勝ち抜いていく笑い声が聞 こえてくる。  それは、わが学会が迫害の吹雪に立ち向かっていた渦中の、昭和五十四年の一月十一日の ことであった。  私は、六年半ぶりに岩手の水沢へ入った。  この日、新しき文化会館で、代表幹部会を開いたが、歓喜の波動は、またたく間に全県に 広がっていった。  翌十二日、我らが岩手の同志は、水沢の駅から会館へと、後から後から集って来られた。  岩手は巨大である。県として日本最大の面積は約一万五千平方キロメートル。その広大さ が、いかに偉大であるかが、明瞭にわかる。  この大地のあの町、この村から、林檎のように頬を紅潮させながら、若き生命の友が白い 息を弾ませながら、意気揚々と駆けつけてくださった。  「当如敬仏(当に仏を敬うが如くすべし)」の経文のごとく、私は、この方々こそ、仏なり 菩薩なりと、合掌する思いで迎えた。  正午前から、幾たびも、幾たびも自由勤行会を開き、岩手の全同志の健康と、地域の大発 展を祈りに祈った。  その晩、開かれた新春記念幹部会では、私の提案で、参加者の皆様が次から次へ登壇し、 とうとう十人も挨拶してくださった。支部長さんも、ブロック長さん、ブロック担当員さん も、若き俊英の青年部もおられた。  よく寡黙(かもく)と評される東北の方々だが、この時は、誰もが喜びの声、決意の声、 正義の声を、生き生きと叫びあげていた。  私は思った――そうだ! 語るのだ! 思う存分、叫ぶのだ! 「声仏事を為す」である。 これが、岩手の新しき世紀の夜明けだ!  夜の九時を過ぎても、なお人波は絶えなかった。  私は、皆様と共にカメラに納まり、唱題をし、そして合間にピアノの演奏もした。  一つ一つが、黄金の歴史である。共戦の歴史である。生命の勝利の旅路であった。 ◇  東北の同志の歩みは決して目立つことはなかった。しかし、粘り強い東北人の性格そのも のにも似て、大地に足を踏みしめるがごとく、着実に、堅実に広布は推進されてきた。  法華経の名訳で知られる鳩摩羅什は、「此の経典 東北に縁有り 汝 慎んで伝弘せよ」との 師の厳命を、生涯かけて実践した。インドの「東北」――師弟がめざした、その二字の内に、 わが日本の東北が入ることは間違いない。 東北の健気な友は、夏の暑さにも負けず、冬の地吹雪も乗り越え、広宣流布に縁深き東北の 大地の弘教に全魂を傾けてくださった。私は南無して讃えに讃え、仰ぎ見る思いである。  「人間革命の歌」が誕生した時、私が「吹雪に胸はりいざや征け」の歌詞に込めたのは、 北国の方々へのおさえがたい讃辞であったことを、今、告白しておきたい。  「東北は、人材の城で立て!」これは師の戸田先生の遺言である。  昭和二十九年、草木は萌ゆる四月の終わりだった。  私は師とともに青葉城址に立っていた。  眼下には仙台の街並み。名将・伊達政宗の往時を偲ぶように、苔むした石垣を見て師は言 われた。  「創価学会は人材をもって城を築いていくのだ」と。  永遠の遺訓ともいえるこの指針を、わが東北の愛する友は、現実のものとしてくださった。  見よ! 宝塔のごとく林立する東北、なかんずく岩手の人材の山並みよ。  支部数・百二十五の陣列を讃えたい。 ◇  万代の広布の礎を築くために、愛する岩手の大地に、あの広大にして荘厳な、東北で二番 目となる大墓地公園が、本年、いよいよ江刺市に誕生する。  県の中南部に位置するこの地は、北は北上、西は水沢、東は遠野等に接し、かつて奥州藤 原氏が三代の繁栄を築き上げた源流の地域である。  墓地公園は、新しき永遠の栄華へ、東北広布へ共々に歩んだ友が名を連ね、生死不二の 誓い″を留める天地となった。  無数の同志がこの忘れ得ぬ天地を訪れるたびに、平和と安穏のたたずまいに心弾ませ、懐 かしき久遠の同志との契りを胸に、新たな使命の旅立ちを印すにちがいない。  我ら三世の同志は、妙法の黄金の光に包まれて、生死、生死と福徳の大道に、晴れ晴れと 「衆生所遊楽」の旅路に生きゆくのだ。  なんと晴れがましい生命であり、生涯であるか。それを記念するメモリアルパーク″が、 ついに完成する。  二十一世紀は東北、なかんずく「岩手の世紀」と、顔を紅潮させる皆様の躍動が、嬉しく てならない。 ◇  日本第一の広大な県の悠久の天地は、世界第一のすばらしいイーハトーブ(理想郷)であ る。「日高見の国」と謳われた岩手の山河は、人を鍛え、豊かにする。  陸奥(みちのく)の大動脈・北上の久遠の流れが、不撓の歩みを教えたのか。  蒼天に凛と聳える八幡平(はちまんたい)の雄峰が、不屈の矜持を鍛えたのか。  そしてまた、太平洋の波浪が寄せ来る三陸の絶景が、世界の心を開いたのか。  歴史上の逸材も、皆様方の故郷から限りなく輩出している。  おお、妙法の逸材も、大河の流れのごとく、岩手の大道に続きゆくにちがいない。幸福へ の前進、平和への行進は、いよいよ力強く勢いを増していくだろう。  花巻の農民詩人・宮沢賢治は「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得 ない」とも詠った。  自分のみの幸せが、私たちの目的ではない。友の笑顔こそが、私たちの勲章である。  「立正安国論」にいわく、「一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か」(御書三一 n)。  私が敬愛する岩手の同志は、昼となく夜となく、平和のために、無私の奔走をされている。  その尊い日々の精進に、私は再び合掌し、心からの大拍手を贈りたい。  諸天善神も、また、同じことだろう。  大好きな岩手の友よ!  頼もしい岩手の友よ!  新しい東北を、世界の東北を、絢爛、燦然と後世の歴史の上に輝かせていくのは、皆様方、 岩手の使命であることを、どうか、誇りとしていただきたいのだ。  ―― 一月十四日、信濃町の学会本部にて。 2002.1.15 SP