第27回「SGIの日」記念提言         創価学会インタナショナル会長 池田 大作 「人間主義――地球文明の夜明け」A 現実の「定型化」が生んだ20世紀の悲劇 ◎マルティ(武力革命)とガンジー(非暴力運動)は魂の奥底で一致◎ 釈尊の中道主義 内面の制覇″こそ第一義的課題  「中道主義」の社会理論的展開  では、この「人間主義=中道主義」を、社会理論的に展開するとどうなるのか。その点に ついて、四半世紀以上も前(1973年7月)になりますが、ある学生たちの集いで、懇談的 に語ったことがありますので、少し長いが、それをベースにして論を進めてみたい。  「一般社会の主義主張は、かならず限定的な性質をもっているということである。たとえ ば、自由主義というときは、すでにそのなかに社会化″と対立し、相いれない限定性の主 張が内在している。社会主義、共産主義という主張の場合も同じである。唯物論といえば唯 心論を排除し、唯心論者は、その逆を排除する。芸術分野の主義主張といえども、この限定 性、排除性はつきまとう。結果として人や社会を、自己の主張する型へはめこもうとする要 素がある。  世間の主義主張には、どうしてもこの型にはめる″という働きがともなう。仏法にもと づくわれわれの主張は、この定型化ということには重きをおかない。時代と状況の実質把握 のほうに重点をおき、そこからどうあるべきかを観察していくのである。 これは順応主義とは根本的に異なり、中道をいくということであり、それは個人や社会をな にか特定の形に縛りつけて、みがきあげようという行き方ではない。  ――中略――  ゆえに、AB相反している場合でも、AのなかにもBのなかにも入り込んでみがきあげて いく――これがわれわれの持徴であろう。そしてこれは、けっして無原則主義とは根本的に 違う次元の方程式である」  当時の時代状況の中での懇談的な語らいをそのまま活字にした関係上、やや説明不足な点 は否めませんが、私がここで強調したかったことの第一は、事象の相対性、可変性というこ とです。  生命が顕在と潜在、顕現と冥伏を繰り返しながら流転しているように、社会事象において も、現象面、表層面を見れば、すべては相対的であり可変的です。諸行無常、盛者必衰―― 「常なるもの」「亡びざるもの」は、一つもありません。その点をはき違え、「定型化」にこ だわると、たとえば20世紀を席巻(せっけん)したイデオロギーの硬直化に陥ってしまう。  「定型化」の陥穽を乗り越える道  社会主義の興亡は、前世紀に展開された最大のドラマでしたし、ひところは輝いて見えた リベラリズムにしても、最近では、いささか色あせてしまいました。相対性、可変性のよい 教訓であり、「定型化」ではなく「時代と状況の実質把握」の方に重点を置くよう訴えるゆえ んであります。イデオロギーや唯物論、唯心論に限ったことではなく、善と悪、幸福と不幸、 戦争と平和にしても、同じことがいえます。  十界論の明察によれば、地獄界という極悪のなかにも仏界という極善が可能性として潜在 (冥伏)しているように、禍福は、文字通り糾(あざな)える縄″の如く転変しゆく可変 的現象であります。  また、どんなに苛酷な戦争のなかにも、平和の因を探し出すことは可能ですし、逆に昨今 の日本のように、表面的にはいかにも平和そうに見えても、平和と安逸の区別もっかないよ うな弛緩状態が続けば、いつ槿花一朝の夢″に終わってしまうか、保障の限りではありま せん。  だからこそ、二番目に強調しておきたいことは、物事、社会事象の相対性、可変性を見極 めていく眼識を書い、世の中の動きに紛動されないよう己を律し、主体を確立していくこと の大切さです。  私が「時代と状況の実質把撞のほうに重点をおき、そこからどうあるべきかを観察してい く」と述べたのも、そこに「人間主義=中道主義」を特徴づける重層構造の真髄があるから なのです。  そっした眼識を養うには、十界論のところで触れたように、転変しゆく現実には、常に既 存の言葉やイデオロギーでは捉えきれない何か″がある――その変化と新しさを見逃すま いと、心の鏡を磨き続ける労作業が欠かせない。換言すれば、自己を律することによる揺る がぬ主体の確立であり、そこを光源にして現象界を逆照射してみる時、物事や事象の真の姿 が、過不足なく心の鏡に映し出されてくるのではないでしょうか。  私は、昨年の提言で、森有正氏の印象深い言葉を、時代を拓くキーワードとして引用して おきました。  いわく、「世界は自己規律の競争である。政治の軍事に対する優越ということのそれは本当 の意味である。また平和の本当の意味がそこにある」(『森有正エッセー集成5』、筑摩書房) と。  事情は、個人にあっても国家にあっても変わらないと思います。人に人柄があるように、 国には国柄があります。  いずれにせよ、そこに「自己規律の心」から発する独自の「自己規律のかたち=品格」が うかがわれるものであり、それがない限り、他から尊重されないし、まして尊敬など望み得 べくもありません。  この点に開運して、釈尊にまつわる興味深いエピソードがあります。 ある人が、「生命は尊厳だというけれども、人間だれしも他の生き物を犠牲にして食べなけれ ば生きていけない。いかなる生き物は殺してよく、 いかなる生き物は殺してはならないのだろうか」と質問した。  これに対し、釈尊は、「それは殺す心を殺せばよいのだ」と答えた、と。  これは、議論のはぐらかしでもなければ、すり替えでもない。まともに応じようとすると、 容易に答えのでないスコラ的煩瑣哲学の迷路に入り込んでしまうであろう問いかけに対する、 これ以上ない、正しい、オーソドックスな答えであります。  暴力や殺生などの錯綜(さくそう)した事象は、おびただしい位相を持ち、どの殺が良く、 どの殺が悪いなどという一律な線引きなど不可能である。ゆえに「殺す心を殺す」こと、外 面的な理非曲直(りひきょくちょく)よりも、まず内面の制覇こそが、第一義的な重要事な のだ。その「自己規律」の心が確立されていれば、いかなる迷いや逸巡も乗り越えて、最善 の選択、決断を過たぬはずである――釈尊の真意は、ここ優るはずです。  ヴィティエール博士との対話  私は、昨年、キューバの碩学シンティオ・ヴィティエール博士とキューバの使徒 ホセ・ マルティ″をめぐる対談集(『カリブの太陽の詩』、潮出版社)を上梓しました。  その中で、私がマルテイをガンジーに擬して、「マルティの生涯は、必ずしも非暴力一色に 染め上げられていたわけではありませんが、その精神性の核となる部分では、のちに、かの マハトマ・ガンジーが歩んだ道と、驚くほど近くにいた」と述べたのに対し、ヴィティエー ル博士は、こう応じられました。  「マルティは、ガンジーの一市民の不服従″以上に困難なことを説いています。彼は、 やむ考えざる革命の暴力(自らの民族の物質的・精神的勝利を純粋に守ろうとする暴力)か ら、憎悪というりを込めて次のように書いています――『神様、これは正当な戦争であり、 人びとを解放することができる、おそらく重要で決定的で唯一の戦争――憎悪に対する戦争 なのです』」と。  抑圧からの解放を求める闘いが、ガンジーとマルティとでは、時に非暴力と暴力という対 照的なかたちを示していたかもしれない。しかし、外形こそ異なれ、惜悪を克服しようとす る意志、「殺す心を殺す」という「自己規律」の力という一点において、二つの巨大な魂は強 く共振していたにちがいない。 現象面での二者択一は、深層次元での止揚合一に裏打ちされていたと、ヴィティエール博士 とともに、私は信じます。  「紐で首を絞められ、このままでは死んでしまうというとき、紐がひとりでにほどける見 込みがなければ、その紐を引きちぎるしかありません」(『ホセ・マルティ選集第3巻』青木 康征訳、日本経済評論社)と語るマルティの革命観、戦争観は、悪や暴力を革命の産婆″ として積極的に位置づけ、それゆえ流血への傾斜を宿命づけられていた行き方とは、180度 ベクトルを異にしていました。  ベクトルの赴くところ、マルティの方法は、どんなに試行錯誤を繰り返し、紆余曲折をた どろうと、最終的には平和と人間の尊厳の軌道に行き着くはずです。 文明の命脈は「共存への意志」に 「差異」乗り越える人間外交を!!  どんな相手にも「対話の糸口」が  第三に、「人間主義=中道主義」は、生命を堀り下げ、万人に共通する晋遍的稟質を掘り当 てているがゆえに、人間である限り、相手を選ぶということをしません。地獄界にも、菩薩 界、仏界が冥伏しているように、いかなる状況、誰が相手であっても、必ず突被口は拓ける はずだからです。  仏典に、「自在とは無障碍なり」(御書736n)とあります。その透徹した無差別・平等の 生命観、人間観は、人種であれ、階級であれ、民族や国籍であれ、宗教やイデオロギー、ジ ェンダー(社会的な性差)であれ、外在的・他律的要因によって、人間を決めつけ、型には めることをしません。  私が「AB相反している場合でも、AのなかにもBのなかにも入り込んでみがきあげてい く―――これがわれわれの特徴」と述べたのも、ABどちらかを選ぶということは、本来無 差別である人間に差別を持ち込むことであり、人間主義、人間外交のとるべき道ではないか らです。  したがって、この「人間主義=中道主義」を背光に、「私は人間だ。人のことは何でも他事 (よそごと)とは考えないのだ」というヒューマニズムのモットーは、いっそう輝きを増し、 その前に豁然と拓けてくるのは、差異を超え、あらゆる人々と分け隔てなく心を交わしゆく、 対話の王道であるにちがいない。  私もその信念にのっとって、行動してきたつもりであります。  74年秋、初のソ連訪問を前に、何人もの人から、宗教敵視のイデオロギーの国へなぜ行く のか、と問われました。  私はひとこと、「人間がいるから行くのです」と答えました。イデオロギーの風の激しかっ た頃のことです。  その訪ソは、初の中国訪問の数カ月後のことでしたが、両国はウスリー河をはさんでの武 力衝突もあり、緊張状態にありました。しかし、私は両国を時をおかず訪問し、首脳と率直 に意見を交わしてきました。いつまでも紛争が続くはずはないと確信していたからで、その 通りになりました。  多様性の息づく世界をめざして  また、6年前、キューバを初訪問した際、アメリカとの間には、厚い暗雲がたれこめてい ました。しかし、アメリカでの諸行事の後、その足でキューバにわたり、カストロ議長との 会見に臨んだことがあります。  真の人間外交に徹すれば、超えられぬ差異の障壁など存在しないというのが、昔も今も変 わらぬ、私の信念だからであります。  「文明とは、何よりもまず、共存への意志である」(『大衆の反逆』神吉敬三訳、角川書店) とは、オルテガ・イ・ガセットの言葉です。  いうところの「共存への意志」とは、差異を尊重しつつ、なおかつ差異を超えて、人間の 晋遍的実質を共有しようとする意志の謂ですから、その意志の貫徹しゆくところ、対話によ る切磋琢磨がもたらす多様性の息づく世界、すなわち「文明間対話」が活発に展開されるな か、地球文明の鼓動さえ伝わってくる人間主義の豊饒(ほうじょう)な世界が拓けていくで あろうことを、私は信じてやみません。  アメリカのキッシンジヤー元国務長官が請っているように、同時多発テロは、テロに対抗 する国際的なコンセンサスをつくり上げるという、奇貨居(きかお)くべし″的皮肉な結 果をもたらしました。  とはいっても、各国それぞれの複雑な国内事情、思惑もあって、コンセンサスがどこまで 強固で永続的なものであるかは、定かではない。が、最低限、テロと戦うには、一国だけで なく国際協調が欠かせないという共通認識だけは得られたといってよい。  それを、どうビクトリー・オーバー・バイオレンス″(暴力に打ち勝つ=アメリカSGI 青年部も、この意識啓発運動に取り組んでいます)のグローバルなうねりにまで高めていく か、さらには、それをネガ(陰画)として、どう地球文明というポジ(陽画)へと反転させ ていくかは、21世紀の人類に課せられたのっぴきならぬ課題となってきました。  暗転してしまった「文明間対話」の流れを、あるべき姿へ大きく軌道修正していかねばな らない。 牧口会長のビジョン「人道的競争」の時代開き 自他ともの幸福 追求する社会へ ◎SGIは「文明間対話」「宗教間対話」に率先◎  対立から協調へ競争形式を転換  この点、「自己規律の競争」というパラダイムは、きわめて有効かつ示唆に富んでいると思 います。  そして、私ども創価学会の牧口常三郎初代会長が、100年前(1903年)に著した『人生地 理学』で提唱した「人道的競争」とは、まさにこの「自己規律の競争」と同義語であり、先 取りしたものでした。  4年前の提言でも言及しましたが、特筆すべきは、この「人道的競争」が、政治や軍事、 経済などの面での競争の「単位」と並列していわれているのではなく、競争の「形式」その ものの転換に焦点を当てていたことです。  「もとより人道的方式というて、単純なる方法なし。政治的にまれ、軍事的にまれ、はた 経済的にまれ、人道の範囲内においてするにあり。 要はその目的を利己主義にのみ置かず して、自己とともに他の生活をも保護し、増進せしめんとするにあり。反言すれば、他のた めにし、他を益しつつ自己も益する方法を選ぶにあり。共同生活を意識的に行なうにあり」 と。  「共同生活を意識的に行なう」とは、オルテガの「共存への意志」の先取りでもあります。  つまり牧口会長は、軍事面も含め、政治、経済等あらゆるレベルにおいて、弱肉強食の対 立的競争から、共存共栄の協調的競争への転換を促し、「自他ともの幸福」を実現する地球社 会、地球文明の建設を呼びかけていたのです。  異なる文明同士の接触は、トインビー博士が「外国の文化を受け入れるということは苦痛 と同時に、非常な危険を伴う」(『世界と西欧』吉田健一訳、社会思想社)と述べているよう に、万事スムーズに運ぶわけではないが、かといって衝突やハレーションが宿命づけられて いるわけでもない。博士が渉猟しているように、触発、触媒効果をもたらした事例は、枚挙 に暇がないでしょう。文明の衝突″という言葉が、人間の怠惰の隠れ蓑に使われてはなら ないと思います。  対話がなければ独善の闇に陥る  その点、昨年の国連「文明間の対話年」の提唱者である、イランのハタミ大統領が、「いず れの主要な文明も隔離された状態では発展しなかった」とし、「話すこと″と聞くこと″ を含む『コミュニケーションの能力』を与えられた文化と文明だけが生き残った」と強調し ているのは、注目されてよい。  いわく、「聞くということは単なる受動的な行為ではなく、話す側がつくりだし、発見し、 経験した世界に、自分の身をさらけだすということなのです。能動的に聞くという姿勢をと らない限り、対話はすべて失敗の道をたどる運命にあります」(『文明の対話』平野次郎訳、 共同通信社)と。  私も、対話によって得られる結果以上に、対話のプロセスそのものに、対話の真価がある と思います。そのプロセスこそ、人間同士、文明同士の触発作用が生き生きと働く場、「自己 規律の競争」「人道的競争」の場にほかならないからです。  私が各国のリーダーや識者の方々と対話を重ねてきたのも、対話の力こそ世界を一つに 結ぶ≠ニの信条からであり、対話によって山積する地球的問題群の解決の糸口を見出したい との思いからでした。  SGIでも、また三つの研究機関(東洋哲学研究所、ボストン21世紀センター、戸田記念 国際平和研究所)でも、意欲的に「文明間対話」や「宗教間対話」に取り組んでいますが、 いずれも思想の優劣を競うような議論のための議論″ではなく、紛争防止や貧困の克服、 地球的な環境破壊の防止のために、人類の英知を結集することを目的としております。  対話がなければ、人間は独善という暗闇の中を歩き続けねばならない。いわば、対話とは、 その暗闇にあって互いの足元を照らし合い、歩むべき道を見出す灯火といえます。  福沢諭吉も、「元来人類は相交るを以て其性とす。独歩孤立するときは其才智発生するに由 なし。家族相集るも未だ人間の交際を尽すに足らず。世間相交り人民相触れ、其交際愈広く 其法愈整ふに従て、人情愈和し智識愈(いよいよ)開く可し」(『文明論之概略』、岩波書店) と述べております。  文明は互いに触発し合うところに成熟も発展もあり、逆に触発を拒否すれば衰亡せざるを 得ないことは、いかに覇を誇る文明でも例外ではないことを、人類の歴史は証明しています。  今世紀に、地球文明の地平が望めるのかどうか、重大な試練にさらされている今、この「自 己規律の競争」「人道的競争」というパラダイムこそ、その成否のカギを握っていると、私は 信じております。 国際刑事裁判所 包括的テロ防止条約 テロ対策は国連中心で 日本はアフガン復興の牽引役に!  法による処罰をコンセンサスに  以上、同時多発テロがもたらした危機を、地球文明を望むコンセンサスづくりへと転じて いくための精神面での対応を考察してきましたが、以下、その法的、制度的側面に、いくつ かのアプローチを試みてみたいと思います。  まずテロ防止のための前提として強調したいのは、「法による処罰」を国際社会のコンセン サスにする努力と、いかなるテロも共通のルールで対応するという「普遍性の確立」であり ます。 今回の米英両国を中心とした、アフガニスタンヘの軍事行動は、国連においても、国連憲 章に沿った個別的・集団的自衛権を再確認した安全保障理事会の決定の文脈で捉えるべき″ との見解が示され言いますが、かりにそうした面があるとしても、やはり軍事行動には、将 来に禍根を残す場合が少なくない。  そうではなく、テロの犯罪グループがどのような思想的背景や政治的な背景を持とうとも、 等しく法の下で処罰していく普遍的な体制づくりを目指すことが肝要だと、私は考えます。  また、犯人グループの逮捕・拘束のために、最低限度の武力を伴う警察行動が要請される 場合でも、こうした晋遍的なシステムの一環として位置づけることが、事態のエスカーショ ンを防ぐことにつながるのではないでしょうか。  ゆえに私は、国際法、国際警察、国際司法制度それぞれの整備を図り、これらを連携させ た形での総合的なシステムづくりを進めていくべきだと訴えたい。  そして、その中核を担うのは、アナン事務総長が、テロ根絶のために広範で持続可能な戦 略を立案する機関としての使命を強調しているように、国連であらねばならないと思います。  まず国際法については、「包括的テロ防止条約」の制定を急ぐべきでしょう。  これまで、ハイジャック防止開運の条約をはじめ、テロに関する12の条約が採択されて おります。しかし、いずれも犯行場所や使用された武器など犯罪の形態ごとに事後的に制定 された経緯があり、年々、テロ組織の国際ネットワーク化が進み、その手段も巧妙化してき た現在においては、テロを総合的に取り締まる条約の必要性が叫ばれています。  もちろん、それぞれの条約は、重大犯罪を抑止・防止する上での国際協力の礎となる意義 があり、これまでサミットの場などで呼びかけられてきたように、より多くの国の批准が求 められるべきものであります。  これらの条約と合わせて、今回の事件のような悲劇を二度と起こさないための、反テロの 国際連帯の証として、「包括的テロ防止条約」の締結を目指すべきです。  国連にテロ防止の専門組織を  第二の犯罪取り締まりについては、専門の常設組織を国連に設置し、ICPO(国際刑事警 察機構)や各国の警察当局と緊密に連携を取りながら、効果的な対策を推進する国際ネット ワークの核として機能させてはどうかと提案したい。  また、犯罪グループを取り締まる上で現地の警察だけでは対応できない場合を想定して、 国連独自の警察力という構想を、将来的に検討してみてはどうか。  国連憲章7章に基づく安保理の強制措置や、自衛権の発動の前に、国際協力による警察的 な対応という選択肢を用意することは、より晋遍的なテロ防止対策という面でも、十分考慮 に値するものではないでしょうか。  「憎悪の連鎖」を断ち切るために  第三の国際司法制度の整備という面からは、「国際刑事裁判所」を一日も早く設置すること が欠かせません。  ジェノサイド(集団殺害)や人道に対する罪、戦争犯罪などを犯した個人を裁くための国 際的な常設裁判所を設置する条約は98年に採択されましたが、いまだ発効要件である60カ 国の批准をみておらず、設置されないままの状態が続いています。  私は、この機関を通じて「力による解決」ではなく「法による解決」を制度化し、憎悪 と報復の連鎖″を断ち切る回路を開くことが重要であり、そこに20世紀と21世紀を質的に 転換させるカギがあると考え、かねてから早期の設置を訴え続けてきました。  現在、「国際刑事裁判所を求めるNGO(非政府組織)連合」などによって、批准の促進運 動が進められていますが、SGIとしても積極的に取り組んでいきたいと考えています。  また、国際刑事裁判所の設立までに時間を要する場合は、旧ユーゴスラビアやルワンダで の虐殺などの犯罪を裁くために安保理の決定によって設置されたのと同じような形で、国際 臨時法廷を設置することも視野に入れるべきでしょう。  いずれにしても、今回の事件を契機に、テロを国際司法制度によって裁くという原則の確 立を目指すことが必要だと思います。  長期的な展望で「復興支援」を  こうしたテロ防止の枠組みづくりに関連して、アフガニスタンの復興に果たすべき日本の 役割について言及しておきたい。  先月、暫定政権が発足したアフガニスタンは、23年にわたり内戦が続いた結果、今なお 400万人もの人々が難民状態におかれ、人々の生活や社会を支えるインフラ(基盤)の大半 が破壊された状態となっています。  早急な人道支援と、復興計画への持続的な支援が国際社会に求められており、日本は積極 的な役割を果たすべきだと考えます。  近年、「ユーラシア外交」や「シルクロード外交」を模索してきた日本は、テロ事件以前か ら、北部同盟とタリバンの両派を東京に招いたりするなど、和平の糸口を探る外交努力を試 みてきた実績があります。  日本は、この地域における植民地支配や侵略行為など軍事・外交面で歴史的な負の遺産″ がなく、アフガンに隣接する中央アジアの国々とも信頼関係を有しています。  また日本は、さまざまな形でアフガンへの人道支援を進めてきたほか、先日(1月21日〜 22日)も、「アフガニスタン復興支援国際会議」の閣僚級会合を東京で開催し、復興計画の 概要のとりまとめに尽力するなど、意欲的な取り組みを行ってきました。  私どもは、こうした努力を高く評価するものであり、今後も日本が長期的な展望に立って、 粘り強くアフガン復興の支援を続けでいくことが大切であると考えます。  そして、その中で、「難民の世紀」とも呼ばれる20世紀の悲劇の主因となってきた、地域 紛争や民族対立を克服するための総合的な方策と、復興支援のあり方を模索していくべきで しょう。  国連の「平和 建設」の構想  近年の紛争は、戦闘と難民、飢餓と自然破壊などが同時に発生する「複合緊急事態」の様 相を帯びており、多角的な取り組みを並行して進める必要が高まっています。  具体的には、国連の「ピース・ビルディング(平和の建設)」構想に、日本が参画する形で 進めていってはどうか。  これは、紛争による破壊から回復しようとする社会が、安定した平和の基盤を自力で構築 することを支援する活動です。  その内容は、民族和解、人権尊重から、武装勢力の武装解除と社会復帰、法秩序の確立、 民主的制度の増進、基本的なインフラの整備など幅広い分野にわたるものです。  国連では、中央アフリカなどに実験的な形で「平和の建設支援事務所」を設置しています。  日本でも、アフガニスタンにおいて難民の帰還・再定住化のための「アズラ計画」などに 取り組んできましたが、今後も国連諸機関と協力しながら、こうした現地でのプロジェクト を支援する体制を整えていく。そして、各種の専門技能を有した人材を育成し、その派遺を 常時可能にするシステムの確立を目指すべきでしょう。  焦点となっている地雷除去についても、日本は技術協力などで貢献できる面が大きいので はないでしょうか。  加えて、アフガンの厳しい状況が長らく国際社会から放置されてきた教訓を踏まえ、和平・ 復興の進捗状況を逐次広報するとともに、アフガンへの理解を広げるために文化や伝統など を紹介していく「アフガニスタン平和センター」を、日本に設置することを提案したいと思 います。