「女性の世紀」に寄せて 池田名誉会長ナイチンゲールを語るA 私は行く!「正しい」と信ずる道を 「共感の絆」を育んだナイチンゲール 「組織」があるから「成長」できる  「ナイチンゲールの本格的な「看護」への挑戦――それは、30代から始まった。  彼女は記した。  「自分を生かすためには、たとえわずかなりとも、自ら何かを掴まなければならぬ。何か を、自分の手で掴みとらなければならぬ。それは与えられるものではない」(武山満智子・小 南吉彦訳)  彼女はドイツに渡り、ある学園の門をたたいた。病院、更生施設、孤児養育院などをそな えた、看護のための訓練校である。  生活は、厳格にして質素。仕事も厳しかった。  しかし彼女は、水を得た魚のように生き生きとしていた。看護の知識をどんどん吸収し、 群を抜いて成長していった。  彼女には「何ものも、2度と私の心を悩ますことはできないというほどの勇気が湧いてく る」(新治弟三・嶋勝次訳)のだった。 世間の思惑など気にするな!  一、ナイチンゲールの生涯には、人間としての「芯の強さ」が光っている。  ひとたび自らの進むべき道を決めると、どんな障害にあっても、最後まで決心を曲げなか った。  後年、偉大な足跡を残し、世界中から賞賛を浴びるようになっても、彼女は何ひとつ変わ らなかった。自分が為すべきことに「最善を尽くす」だけだった。世間体や虚栄に流される 彼女ではなかった。  彼女は達観していた。  「いったい何のために、『人びとが何というだろうか?』とか、世間の思惑だとか、『外か らの声』だとかに、耳をそばだてていなければならないのであろうか。ある賢人がいみじく も言ったように、外からの声に従ったひとで、優れたこと有用なことを成し遂げたひとは、 いまだかつて誰もいない」(薄井坦子・小玉香津子・田村真・小南吉彦訳)  この賢さ!  この強さ!  徹して自分自身に生き抜く人に、かなうものはない。  仏法では、「毀誉褒貶に侵されない人を賢人という」と説かれている。  〈「賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり、利・衰・毀・誉・称・譏・ 苦・楽なり」(御書1151n)〉 「人から言われたから」ではなく!  一、なぜ、ナイチンゲールは、そこまで強い自分を築くことができたのか。それは、気高 い使命を自覚していたからだと私は思う。  「使命感」――これこそ、ナイチンゲールが、生涯、大切にしたものであった。  彼女は問いかける。  「何かに対して《使命》を感じるとはどういうことであろうか?」(同)  彼女自身が答える。  「それは何が《正しく》何が《最善》であるかという、あなた自身がもっている高い理念 を達成させるために自分の仕事をすることであり、もしその仕事をしないでいたら『指摘さ れる』からするというのではない」 (同)  これが、彼女の信念であった。  なかんずく、彼女にとって、かけがえのない生命を守る看護の仕事は「使命感こそ命」で あった。  たとえば、こうも語っている。  「『使命感』をもたない看護婦が、自分の受持ち患者の呼び鈴の音と別の患者のそれとを聞 き分けられるようになることは絶対にないであろう」(同)  そこまで打ち込まなければ、不安や孤独のなかで、現実に苦しんでいる人間を救い出すこ とはできない――彼女の魂の叫びが伝わってくる。 「孤独な人」「悩める人」とともに! 一、仏典には、インドの王妃シュリーマーラ、すなわち「勝鬘(しょうまん)夫人」が、釈 尊の前で誓願したことが説かれている。  王妃は、菩薩としての生涯の使命を、10の誓いとして立てた。そのなかに、あらゆる苦 悩の人を救済し尽くす″という誓願がある。  王妃は誓った。「私は、孤独な人、不当に拘禁され自由を奪われている人、病気に悩む人、 災難に苦しむ人、貧困の人を見たならば、決して見捨てません。必ず、その人々を安穏にし、 豊かにしていきます」  そして、王妃は、「愛語」(思いやりのある優しい言葉をかけること、すなわち対話)、「布 施」(人々な何かを与えていくこと)、「利行」(他者のために行動すること)、「同事」(人々の 中に入って、ともに働くこと)という実践を、一生涯、貫き、人々の善性を薫発していった というのである。  現代の世界で、この気高き誓願の行動を繰り広げている女性は、だれか。それは、悩める 友のために祈り、尽くしておられる婦人部、女子部の皆さまである。偉大なる菩薩の方々な のである。 使命私を燃やし続けるには?  一、ナイチンゲールは、一生涯、わが使命の道に生き抜いた。そこに偉さがあった。   ひとたび、わが胸に抱いた使命感を、最後の最後まで、赤々と燃やし続けていくのは大変 なことである。  そのためには、どうしたらいいのか?  結論からいえば、人々と「団結」することである。  ナイチンゲールは、目的や行為を分かち合いながら、「共感のきずな(団結心)」を育む ことが大切だ″と教えている。  自分自身に生き抜く強さをもった一人ひとりが、正しい大いなる目的を共有する。それに 向かって、ともに団結し、ともに行動しゆく「善のスクラム」を創り育てることである。 『思いやりのある言葉』を!! インドの王妃は苦しむ民衆の中へ◎   調子のいい時はいい。人生、スランプもあれば、思わぬ苦難にぶつかる時もある。そんな 時、決して一人で孤立してはいけない。  「一緒に頑張ろうよ」「あの時、ああ誓ったじゃないか」「最後まで悔いのない人生を飾っ ていこう」――そうやって励まし合い、支え合うことが力になる。  また、正しい指導もなく、鍛えもなく、甘やかされるだけでは、多くの人は、いつしか堕 落してしまう。勝手気ままな生き方は、幸福の軌道を外れ、結局、力のない敗北者の人生に なってしまうものだ。  そういう人間の弱さを、ナイチンゲールは鋭く賢く見抜いていた。 広布の組織は「幸福の軌道」  一、御聖訓には、「すこし健の者も独なれば悪しきみちには・たうれぬ」「仏になるみちは 善知識にはすぎず」(御書1468n)等と仰せである。  牧口先生、戸田先生が、広宣流布の戦いを起こすにあたって、創価学会という「組織」を つくった大きな意義も、ここにある。  戸田先生は常々、「学会の組織は、私の命よりも大切だ」とまで言われていた。  かつて、アメリカの著名な学者でSGI(創価学会インタナショナル)のリーダーの方が、 私に質問された。  「人生の努力を無駄なくすべて生かして、使命を果たす貢献の人生にしていくためには、 どうしたらいいか」  私は、そのための具体的な要件の一つとして、こう申し上げた。  「創価学会という『正しい信心の組織』『広宣流布の組織』から離れないことです。どんな ことがあろうと、因果の法則の大法を持つ創価学会の組織とともに、そして同志とともに生 き抜き、戦っていくことです」  学会の組織が、どれほど大切か。どれほど、ありがたいか。 何ごとであれ、組織や人との切磋琢磨を避け、自分だけでやっていこうとしても、往々にし て、放縦となり、わがままとなってしまうものだ。  状況に流され、自分自身の尊き使命を忘れ、放棄してしまったならば、自由なようで、最 も不自由な人生である。  学会の組織には、励ましがある。鍛錬がある。 修行がある。向上がある。そこで戦っていくことが、揺るぎない「幸福の土台」をつくって いくのである。  ともに触発し、ともに向上する。その大切さをナイチンゲールは、よくわかっていた。  後に彼女は、友人に、こう助言している。  「人生を生きるには、修練が必要です。『まずまずの目的、過ち多き行為、ぐらぐむしてい る意志』のうちに人生をうやむやに過ごしてはなりません」(中村妙子訳)  青春の鍛えは「一生の宝」である。    (つづく)