改革僧侶に寺を明渡せと不当訴訟                 2002-2-2 最高裁で日顕宗が連続敗訴 最大の敗因は日顕の相承疑惑 迫本 1月24日と29日に、最高裁判所が日顕宗を立て続けに断罪″した。 佐藤 その通り。新年早々、日顕宗は敗北続きだ(笑い)。 迫本 立宗750年にふさわしい出発だ(笑い)。日顕は歯ぎしりして悔しがっている よ。 杉山 因果の理法は厳しいな。 佐藤 この二つの裁判は、いずれも、日顕の数々の悪行を告発し、宗門改革に立ち上 がった僧侶に対し、日顕宗が、寺院を明け渡せ″と訴えた訴訟だった。 杉山 ところが全部、大失敗だ。 まず1月24日には、名古屋市・妙道寺の中島法信 住職を訴えた裁判で、宗門が全面敗訴した。 佐藤 この裁判で日顕宗側は、中島住職を「罷免処分」にし、他の坊主を住職にし たから、寺から出ていけ″という訴えを起こしていた。 杉山 当然、この裁判は一審、二審とも日顕宗側が全面敗訴。今回、最高裁が、日顕 宗側の上告を棄却した。 中野 つまり寺院を明け渡す必要はない″ということだ。 林 すごいですね!全面勝利ですね! 迫本 1月29日には、岩手県釜石市・常説寺の山本辰道さんに対する裁判で、これま た宗門の全面敗訴が確定した。 橋元 いや、これは痛快だ! 「正邪は明確である」という証左だね。 林 これは、どういう裁判ですか? 佐藤 これも、日顕宗側が山本住職を懲戒処分にして、他の坊主を住職に任命した ″と言いがかりをつけて起こした裁判だった。 迫本 一審は日顕宗側が全面敗訴。 二審で差し戻しになったが、山本住職側が上 告。 今回、最高裁判決で、最終的に日顕宗の完全敗訴が確定した。 橋元 うれしいですね。 地元・釜石の人たちも正義の勝利に大喝采だそうですね。 日顕は宗制宗規 無視の二セ法主 佐藤 しかも今回、判決が下った二つの裁判で、日顕の重大な疑惑が改めて浮上した んだ。 林 それは、どういうことですか。 佐藤 実は宗門の法律″である「宗制宗規」をみると、「法主は、宗祖以来の唯授 一人の血脈を相承し」云々と明確にある。 ところが日顕には、宗制宗規にある、こ の肝心 要の「血脈相承」がない。 迫本 つまり日顕は「正式な法主」ではない。だから当然、住職を罷免処分する権限 などない−このことを中島住職、山本住職が裁判で主張したんだ。 佐藤 その通りだ。今、言ったように、宗門の宗制宗現には、法主の条件として「血 脈相承」と明確に書いてある。 中野 ところが日顕は、法主になって20年以上もたつのに、いまだに「相承を受け た」という客観的な証拠が、何一つない。いや、出せない。 迫本 その通りだ。日顕が自分で、「受けた、受けた」と言っているだけで、何の証 拠もない。 橋元 証拠がなければ、「偽もの」じゃないか! 「ニセ法主」じゃないか! 迫本 そっだよ。その通りだよ。 だからこそ、こんなに宗門が大混乱になったんだ よ。 橋元 結局、宗門は、日顕の「相承問題」という致命的な欠陥を抱えていたから、こ の裁判で負けたんだな。 杉山 そういうことだ。 迫本 結局、日顕のウソで、相承に対する疑惑が宗内に充満していたことが「裁判で 負けた最大の敗因」ということになる。 林 その通りですね。よく分かりました。 日淳上人 学会の大恩は永久に忘れません〃 杉山 だいたい、本当に相承があったのなら、その時点で、きちんと宗内にも、信徒 の代表にも報告があるはずだ。 中野 日淳上人が日達法主に相承した時も、そうだった。 記録によると、相承が行 われたのは、昭和34年11月16日午前。その日の午後、日淳上人は、急きょ、東京・大 田区の静養先に池田先生を招かれた。 杉山 その経緯は同年11月20日付の聖教新聞に、克明に報道されている。 佐藤 そこで日淳上人は池田先生に、「今度、常在寺(=日達法主)にあとをまかせ ることにしたから、よろしく」と伝えた。 中野 さらに日淳上人は、こう付け加えた。「戸田先生のおかげで、創価学会のおか げで、大法は清浄に、今日までまいりました。本宗は、戸田先生、創価学会の大恩を 永久に忘れてはなりません。こう、細井(=日達法主)に言っておきました」と言わ れた。 やっぱり日顕は「ニセ法主」致命的な欠陥「相承を受けた」証拠が一切ない 林 明快ですね。 迫本 その事実を知っていた日達法主が、いざ自分の番になった時、誰にも言わない わけがない。まして一番の外護の団体である学会に対して、何も言わないはずがな い。 林 本当に、そう思います。 橋元 もし、言わなかったら、日達法主の大謗法だよ。 佐藤 その通りだよ。 中野 一般的に考えても、どこの会社だって、社長がコッソリ後継人事はできない。 迫本 当たり前だよ。それが道理だ。 杉山 「何も言わない」「何も相談しない」 「誰も知らない」なんていうことは、 あり得ない。 佐藤 その通りだよ。それがないということは「相承がなかった」証拠じゃないか。 法主誹謗の大謗法を犯した日顕 杉山 大ウソつきの日顕は、法主になった当初から、相承を受けたことは自分の日 記に書いてある″なんて言い張ってきた。 ところが、その日記を出す、出す〃と 言いながら、一度も出したことがない。 迫本 それに平成11 年に発覚した、あの河 辺慈篤のメモ。 佐藤 このメモは、 憂宗護法同盟の僧侶が 出して発覚したものだ。 それによる と、昭和53年2月、日顕は日達法主を口汚く罵っていた。それを河辺がメモしてい た。 「G(=猊下、つまり日達法主のこと)は話にならない」 「人材登用、秩序回復等 全て今後の宗門の事ではGでは不可能だ」等々、日顕は日達法主を、さんざんバカに した発言をしていた。 杉山 それが河辺のメモに、明確に残っていたわけだ。 中野 それこそ日顕の言いぐさからいえば、法主誹謗の大謗法″じゃないか(大笑 い)。 佐藤 「昭和53年2月」といえば、日顕が、日達法主から「相承を受けた」と称する 時期の2カ月前だ。 迫本 そんな男に、日達法主が相承するわけがないじゃないか。 杉山 さらに重大な証言もある。 日顕が「相承を受けた」と言い放っている時期の 1カ月後にも、日顕は、改革僧侶の工藤玄英住職、大橋正浮住職の前で、日達法主 を、さんざん罵っていたそうだ。 橋元 証人が厳然と生きておられる。もう、明確だな。 迫本 もし相承を受けていたら、ここまで日達法主の悪口を言えるわけがないよ。 杉山 なんだ。結局、出てくるのは、「相承がなかった」という証拠ばかりじゃない か。 迫本 やっぱり日顕は「相承詐称のニセ法主」。法主の座を盗み取った「大泥棒」だ な。 佐藤 それが今回の裁判でもハッキリした。 わざわざ自分で裁判を起こした揚げ 句、かえって「相承がなかった」ことが一段と暴かれてしまった。 杉山 本当に何をやっても日顕は「墓穴」を掘るな。 中野 御書に「修羅は帝釈をあだみて日天を・いたてまつる其の矢かへりて我が眼に たつ(=修羅は帝釈天を怨んで天に向かって矢を射るが、その矢はかえって修羅の目 に刺さる)」と仰せの通りだよ。