「女性の世紀」に寄せて 池田名誉会長ナイチンゲールを語るC                           2002-2-2  一、ナイチンゲールは、戦争という極限状況の中で、ひどかった病院の改革を断行した。  看護婦を「白衣の天使」へ高めていく、大いなる革命に立ち上がった。 「国民的英雄」 となったナイチンゲールの帰還に、イギリス中がわいた。国を挙げての絶讃の嵐が迎えた。  看護婦という仕事に対して、にわかに与えられた喝采――それを彼女は苦々しい思いで受 けとめていた。  なぜか?  それは「価値ある事業は、ささやかな、人知れぬ出発、地道な労苦、向上を目ざす無言の、 地道な苦闘といった風土のうちで、真に発展し、開花する」(中村妙子訳)ものと考えていた からだ。  簡単にできたものは、簡単に崩れてしまう。  だれも見ていなくても、地道に、水の流れるように、一歩一歩、苦労しながら、堅実に進 んでいく。そこに「永遠の栄光」への揺るがぬ地盤が築かれていく。  創価学会も、そうやって前進してきた。ゆえに今日の発展がある。  「着実」と「誠実」 と「忍耐」――ここに、学会の強さがあり、歴史があり、原動力がある。 さあ、戦いは これからだ!  一、長い戦争は終わった。世間にはあの不名誉な戦争のことは早く忘れたい″という気 分が広がっていた。  しかし、ナイチンゲールにとって戦い″は終わっていなかった。  本当の戦いはこれからだ″と深く決意していた。  クリミアでの経験から、彼女は「看護そのものの改革が必要だ」と切実に思い知ったので ある。  ――しっかりとした看護の制度が確立されていれば、尊い命を、もっともっと救えたはず だ。犠牲になった人々の死を、絶対に無駄にしてはならない。  帰国してすぐ、彼女はつづった。  「私は殺された人々の弔いの場に立っている」「そして命あるかぎり、彼らの大義のために 闘う」  ナイチンゲールに、休養を勧める声もあった。事実、激務の疲れがたまっていた。  しかし、彼女は思った。  ――戦争の悲劇の記憶が生々しいうちに、早く行動を起こさなくては!  鉄はまだ熱い。今のうちに打たなければ!  ナイチンゲールは、自分で自分を励ましながら、再び行進を開始した。 前へ! 前へ!  決して、後ろを振り返らない。  過去は過去。未来はすべて、これからだ!  さあ、常に前進!−ここにナイチンゲールのすごさを見る。  彼女は、「進まない」自分を、決して許さなかった。  90年という長い人生を、妥協なく、止まることなく、戦い続けたナイチンゲール。  その姿は、2年前に沖縄で再会した世界的な物理学者、ロートブラット博士の心意気をほ うふつさせる。  博士はパグウォッシュ会議の名誉会長を務め、ノーベル平和賞も受けられた。科学と人道 の世界的な功労者である。  現在、博士は93歳。  「私は『疲れる』ことを自分に許さないんです」と意気軒高に語っておられたことが忘れ られない。  昨年10月も、博士は、はるばるロンドンからアメリカ創価大学に駆けつけ、記念講演を してくださった。戸田先生の遺言は「追撃の手をゆるめるな」であった。  戦って戦って戦い続ける。決して、立ち止まらない。そこに「健康」がある。「常勝」があ る。人間革命のドラマが完成していく。 臆病になるな! 一歩も引くな!  一、健康のための、ナイチンゲールの「改革」の戦い。  それは、保健衛生面だけにとどまらず、政治、経済など多岐にわたった。国家を超えたス ケールにまで及んだ。  兵士たちの待遇を改善するため、権力者を動かし、陸軍省の改革にも乗り出した。  救貧法など、人々の健康を守るための法律の改革にも尽くした。  また当時、イギリスの「植民地」だったインドで、兵士や農民が、ひどい衛生状態に置か れていた。これを知ったナイチンゲールは、その改革にも全力を注いでいった。どれも、一 人の女性が挑むには、あまりにも巨大な課題であった。クリミアでの戦いにも増して、多く の障害が立ちはだかった。一筋縄ではいかない激戦″の連続だった。  統計学者と語り合った時のことである。  ナイチンゲールは、軍兵舎内と一般市民生活との間で、有病率と死亡率を比較する考えを 述べた。兵舎の内と外での健康度を数字で表し、兵舎がどれだけひどいかを示そうとした。  学者は言った。  「もしそんなことをなされば、あなたは多くの敵を作ることになりましょう」(武山満智子・ 小南吉彦訳) 心も元気! 体も元気! 社会も元気! 「万人が健康に輝く」世紀を 90歳まで戦い抜いたナイチンゲール 「進むこと」を私はやめない  しかし、彼女は毅然と答えた。  ――戦地で、あれだけのものを、この眼で見てきたからこそ、私は自分の信念の銃″を 撃てるのです、と。  苦難に対して、臆病になるな! 何があろうと、一歩も引くな!  この強さが、彼女が得た、人生の教訓だったのだろう。  いくら口が達者でも、「行動しない人間」には、彼女は何の関心も示さなかった。  「演劇の合唱隊みたいに、二分おきに『進め、進め』と大声で歌いながら一歩も足を進め ないような人間にだけはならないようにしようではありませんか」(湯槇ます・小玉香津子・ 薄井坦子・鳥海美恵子・小南吉彦訳)  まず自分が行動!――それを身上にしたナイチンゲールらしい言葉である。 200に及ぶ著作  一、ナイチンゲールは著作にも打ち込んだ。たくさんの論文を残した。未来のために。  1858年には、病院の改善を促した『病院覚え書』を書いた。  翌年、有名な『看護覚え書』を発刊。健康を守る知恵や看護のあり方を詳しく説いた。  同じ年、哲学的、宗教的な書である『思索への示唆』を出版している。 それだけではな い。  『インドの病院における看護』『インドにおける生と死』などのインドに関する著書も残し た。  『救貧院における看護』『産院覚え書』『町や村での健康教育』など、じつに200に及ぶ著 作を残している。  本の力は大きい。魂を込めた書物は、国を超えて広がる。時を超えて、永遠に光を放つ。  私自身、初めてお会いする海外の方から、「何十年も前から、あなたの著作を読んでいまし た」と告げられ、驚くことが少なくない。  ナイチンゲールの著作の中でも最も大きな反響を呼んだ『看護覚え書』。そこから、健康と 病気に対する鋭い洞察を見て取ることができる。 病気とは何か?――彼女はこう論じる。  「すべての病気は、その経過のどの時期をとっても、程度の差こそあれ、その性質は回復 過程であって、必ずしも苦痛をともなうものではないのである。つまり病気とは、毒された り衰えたりする過程を癒そうとする自然の努力のあらわれ」(薄井坦子・小玉香津子・田村真・ 小南吉彦訳)である。  彼女は決して、病気を悲観的に見たり、否定的には考えなかった。「病気は健康と一体」で あり、「自然治癒力の働き」でもあるとダイナミックに捉えていた。 カナダの知性と生老病死を語る  一、私は、ガン研究の権威であるシマ一博士(カナダ・モントリオール大学前学長)、生命 倫理の大家であるブルジョ博士(同大学教授)とともに、対談集『健康と人生――生老病死 を語る』を発刊した。  〈日本語版は潮出版社刊。昨年11月には、フランス語版が発刊され、フランス語圏で大 きな反響を呼んでいる〉  そのなかで、ブルジョ博士は、健康とは、どこにも病気がない状態でもなければ、単に 安定した状態を言うのでもない″と指摘している。 結論として、博士は、「健康とは、崩れ やすい均衡状態と、その均衡状態をいつも確立しておこうとする恒常的なダイナミズムとの 間の緊張状態である」と喝破しておられた。  仏法では「健病不二」と表現している。  自他の病苦と向き合い、戦っていく。そのなかで、自然治癒力を強化し、真の心身の健康 を確立していく。そうしたあり方を説いている。  健康は万人の悲願である。  人類がみな、心も、体も、そして社会も「健康」に輝く世紀――そういう21世紀をつく らなければいけない。 わが人生を同志のために  一、この『健康と人生』の本は、SOI欧州名誉議長の故・山崎鋭一ドクター(医学博士) が、亡くなる前夜、「明日から翻訳を始めよう」と枕もとに置いた一冊であった。  かつて山崎さんは、アメリカの研究チームから共同研究を強く要請された。そのチームは、 後にノーベル賞を受質した。  しかし山崎さんは、あえて、その申し出を断り、「私はヨーロッパ広布の使命に、同志のた めに生き抜いていきたい」とフランスに踏みとどまったのである。  妙法流布に、わが人生を捧げられた。ドクター部の鑑(かがみ)の一生であった。  現在、研修のため来日している皆さまの中にも、ドクター部の方がいる。  ブラジルの副ドクター部長のナザレ・ソリノさんと、リオデジャネイロ圏副ドクター部長 のローザ・コーコ・オオツキさん。お二人とも優秀な女医として社会に信頼を広げておられ る。  今、世界中で、妙法の医師が「使命の翼」を広げておられる。  その誉れの人生を、私は永遠に顕彰したい。 (つづく) 「女性の世紀」に寄せて 池田名誉会長ナイチンゲールを語るC                           2002-2-2  一、ナイチンゲールは、戦争という極限状況の中で、ひどかった病院の改革を断行した。  看護婦を「白衣の天使」へ高めていく、大いなる革命に立ち上がった。 「国民的英雄」 となったナイチンゲールの帰還に、イギリス中がわいた。国を挙げての絶讃の嵐が迎えた。  看護婦という仕事に対して、にわかに与えられた喝采――それを彼女は苦々しい思いで受 けとめていた。  なぜか?  それは「価値ある事業は、ささやかな、人知れぬ出発、地道な労苦、向上を目ざす無言の、 地道な苦闘といった風土のうちで、真に発展し、開花する」(中村妙子訳)ものと考えていた からだ。  簡単にできたものは、簡単に崩れてしまう。  だれも見ていなくても、地道に、水の流れるように、一歩一歩、苦労しながら、堅実に進 んでいく。そこに「永遠の栄光」への揺るがぬ地盤が築かれていく。  創価学会も、そうやって前進してきた。ゆえに今日の発展がある。  「着実」と「誠実」 と「忍耐」――ここに、学会の強さがあり、歴史があり、原動力がある。 さあ、戦いは これからだ!  一、長い戦争は終わった。世間にはあの不名誉な戦争のことは早く忘れたい″という気 分が広がっていた。  しかし、ナイチンゲールにとって戦い″は終わっていなかった。  本当の戦いはこれからだ″と深く決意していた。  クリミアでの経験から、彼女は「看護そのものの改革が必要だ」と切実に思い知ったので ある。  ――しっかりとした看護の制度が確立されていれば、尊い命を、もっともっと救えたはず だ。犠牲になった人々の死を、絶対に無駄にしてはならない。  帰国してすぐ、彼女はつづった。  「私は殺された人々の弔いの場に立っている」「そして命あるかぎり、彼らの大義のために 闘う」  ナイチンゲールに、休養を勧める声もあった。事実、激務の疲れがたまっていた。  しかし、彼女は思った。  ――戦争の悲劇の記憶が生々しいうちに、早く行動を起こさなくては!  鉄はまだ熱い。今のうちに打たなければ!  ナイチンゲールは、自分で自分を励ましながら、再び行進を開始した。 前へ! 前へ!  決して、後ろを振り返らない。  過去は過去。未来はすべて、これからだ!  さあ、常に前進!−ここにナイチンゲールのすごさを見る。  彼女は、「進まない」自分を、決して許さなかった。  90年という長い人生を、妥協なく、止まることなく、戦い続けたナイチンゲール。  その姿は、2年前に沖縄で再会した世界的な物理学者、ロートブラット博士の心意気をほ うふつさせる。  博士はパグウォッシュ会議の名誉会長を務め、ノーベル平和賞も受けられた。科学と人道 の世界的な功労者である。  現在、博士は93歳。  「私は『疲れる』ことを自分に許さないんです」と意気軒高に語っておられたことが忘れ られない。  昨年10月も、博士は、はるばるロンドンからアメリカ創価大学に駆けつけ、記念講演を してくださった。戸田先生の遺言は「追撃の手をゆるめるな」であった。  戦って戦って戦い続ける。決して、立ち止まらない。そこに「健康」がある。「常勝」があ る。人間革命のドラマが完成していく。 臆病になるな! 一歩も引くな!  一、健康のための、ナイチンゲールの「改革」の戦い。  それは、保健衛生面だけにとどまらず、政治、経済など多岐にわたった。国家を超えたス ケールにまで及んだ。  兵士たちの待遇を改善するため、権力者を動かし、陸軍省の改革にも乗り出した。  救貧法など、人々の健康を守るための法律の改革にも尽くした。  また当時、イギリスの「植民地」だったインドで、兵士や農民が、ひどい衛生状態に置か れていた。これを知ったナイチンゲールは、その改革にも全力を注いでいった。どれも、一 人の女性が挑むには、あまりにも巨大な課題であった。クリミアでの戦いにも増して、多く の障害が立ちはだかった。一筋縄ではいかない激戦″の連続だった。  統計学者と語り合った時のことである。  ナイチンゲールは、軍兵舎内と一般市民生活との間で、有病率と死亡率を比較する考えを 述べた。兵舎の内と外での健康度を数字で表し、兵舎がどれだけひどいかを示そうとした。  学者は言った。  「もしそんなことをなされば、あなたは多くの敵を作ることになりましょう」(武山満智子・ 小南吉彦訳) 心も元気! 体も元気! 社会も元気! 「万人が健康に輝く」世紀を 90歳まで戦い抜いたナイチンゲール 「進むこと」を私はやめない  しかし、彼女は毅然と答えた。  ――戦地で、あれだけのものを、この眼で見てきたからこそ、私は自分の信念の銃″を 撃てるのです、と。  苦難に対して、臆病になるな! 何があろうと、一歩も引くな!  この強さが、彼女が得た、人生の教訓だったのだろう。  いくら口が達者でも、「行動しない人間」には、彼女は何の関心も示さなかった。  「演劇の合唱隊みたいに、二分おきに『進め、進め』と大声で歌いながら一歩も足を進め ないような人間にだけはならないようにしようではありませんか」(湯槇ます・小玉香津子・ 薄井坦子・鳥海美恵子・小南吉彦訳)  まず自分が行動!――それを身上にしたナイチンゲールらしい言葉である。 200に及ぶ著作  一、ナイチンゲールは著作にも打ち込んだ。たくさんの論文を残した。未来のために。  1858年には、病院の改善を促した『病院覚え書』を書いた。  翌年、有名な『看護覚え書』を発刊。健康を守る知恵や看護のあり方を詳しく説いた。  同じ年、哲学的、宗教的な書である『思索への示唆』を出版している。 それだけではな い。  『インドの病院における看護』『インドにおける生と死』などのインドに関する著書も残し た。  『救貧院における看護』『産院覚え書』『町や村での健康教育』など、じつに200に及ぶ著 作を残している。  本の力は大きい。魂を込めた書物は、国を超えて広がる。時を超えて、永遠に光を放つ。  私自身、初めてお会いする海外の方から、「何十年も前から、あなたの著作を読んでいまし た」と告げられ、驚くことが少なくない。  ナイチンゲールの著作の中でも最も大きな反響を呼んだ『看護覚え書』。そこから、健康と 病気に対する鋭い洞察を見て取ることができる。 病気とは何か?――彼女はこう論じる。  「すべての病気は、その経過のどの時期をとっても、程度の差こそあれ、その性質は回復 過程であって、必ずしも苦痛をともなうものではないのである。つまり病気とは、毒された り衰えたりする過程を癒そうとする自然の努力のあらわれ」(薄井坦子・小玉香津子・田村真・ 小南吉彦訳)である。  彼女は決して、病気を悲観的に見たり、否定的には考えなかった。「病気は健康と一体」で あり、「自然治癒力の働き」でもあるとダイナミックに捉えていた。 カナダの知性と生老病死を語る  一、私は、ガン研究の権威であるシマ一博士(カナダ・モントリオール大学前学長)、生命 倫理の大家であるブルジョ博士(同大学教授)とともに、対談集『健康と人生――生老病死 を語る』を発刊した。  〈日本語版は潮出版社刊。昨年11月には、フランス語版が発刊され、フランス語圏で大 きな反響を呼んでいる〉  そのなかで、ブルジョ博士は、健康とは、どこにも病気がない状態でもなければ、単に 安定した状態を言うのでもない″と指摘している。 結論として、博士は、「健康とは、崩れ やすい均衡状態と、その均衡状態をいつも確立しておこうとする恒常的なダイナミズムとの 間の緊張状態である」と喝破しておられた。  仏法では「健病不二」と表現している。  自他の病苦と向き合い、戦っていく。そのなかで、自然治癒力を強化し、真の心身の健康 を確立していく。そうしたあり方を説いている。  健康は万人の悲願である。  人類がみな、心も、体も、そして社会も「健康」に輝く世紀――そういう21世紀をつく らなければいけない。 わが人生を同志のために  一、この『健康と人生』の本は、SOI欧州名誉議長の故・山崎鋭一ドクター(医学博士) が、亡くなる前夜、「明日から翻訳を始めよう」と枕もとに置いた一冊であった。  かつて山崎さんは、アメリカの研究チームから共同研究を強く要請された。そのチームは、 後にノーベル賞を受質した。  しかし山崎さんは、あえて、その申し出を断り、「私はヨーロッパ広布の使命に、同志のた めに生き抜いていきたい」とフランスに踏みとどまったのである。  妙法流布に、わが人生を捧げられた。ドクター部の鑑(かがみ)の一生であった。  現在、研修のため来日している皆さまの中にも、ドクター部の方がいる。  ブラジルの副ドクター部長のナザレ・ソリノさんと、リオデジャネイロ圏副ドクター部長 のローザ・コーコ・オオツキさん。お二人とも優秀な女医として社会に信頼を広げておられ る。  今、世界中で、妙法の医師が「使命の翼」を広げておられる。  その誉れの人生を、私は永遠に顕彰したい。 (つづく)