日中国交正常化30周年に寄せて アジアの未来と日本 中 池田大作 創価学会名誉会長  周恩来総理は桜を愛された。また富士を愛し、晩年、富士と清流の絵を側に置かれ ていた。  そして周総理は、富士の聳える静岡が生んだ信念の人間教育を、終生、敬愛されて いた。 ▲ 松本亀次郎先生  その人こそ、静岡県の大東町の出身で、中国人留学生の教育に生涯を捧げられた松 本亀次郎先生である。  松本先生は、二十世紀の初頭、東京の弘文学院(宏文学院)で、若き日の文豪・魯 迅青年らに日本語を教えた。さらに中国に渡って、北京大学の前身である京師法政学 堂で教鞭をとった。 帰国後の一九一四年、東亜高等予備学校を創立された。そこに学んだ中国の留学生 は、周総理をはじめ二万人を上まわるという。  昨年、周総理の母校・南開大学と私たち創価大学との共同研究『日本留学時代の周 総理』が、権威ある中央文献出版社から発刊された。その一書でも、松本先生に光が 当てられている。  松本先生は、文化の大恩ある中国をこよなく尊敬し、中国人を蔑視するような言動 は、誰人たりとも許さなかった。日本の中国侵略には敢然と反対し、そのうぬぼれと 慢心を手厳しく批判してやまなかったのである。  その一方で、留学生のことは、わが子のように慈しまれた。周青年に対しても、校 長として自ら情熱的に個人教授を重ねた。生活を案じて下宿にも足を運び、温かく励 まし続けたという。 ▲ 人間愛の教育  当時は、留学生の引っ越しを手伝うだけで特高警察から睨まれる時勢であっ た。松本先生は、時に憤然と当局に乗り込んで抗議し談判しながら、留学生を庇い、 護り、育てていかれた。  この勇気と人間愛の教育者とであったことを、周総理は、日本留学の何よりの収穫 とされた。 国を超え民族を超えて、青年の心に精神の不滅の宝を贈る。この人間教育の真髄を、 周総理も名優の如く体現されていた。  夫人のケ穎超先生は、日本を訪問した折、生前の総理の一つの約束を果たされた。  それは、恩師・松本先生の御家族に御礼の挨拶をするという、誠に麗しい信義の劇 であった。  「飲水思源」―――水を飲むとき、井戸を掘った人の恩を忘れてはならない、とい う名句がある。  国交正常化三十周年の佳節に顕彰されるべきは、松本先生のように、人知れず心血 を注ぎ、歴史の底流を創った多くの民間の功労者ではないだろうか。  松本先生は展望されていた。  「両国の親善は、空虚な言葉で表現できるものではない。  政治家の努力が一時的に功を奏することもあるだろう。だが、百年の大計は、両国 の民衆が誠意をもって平等に向き合っていくことを待たねばならない」と。 ▲ 清流、さらに滔々と  万代の友好のためには、徹して誠実に、民衆と民衆の「心の橋」を建設していく以 外にない。  実は、創価学会の初代会長・牧口常三郎は、若き日弘文学院で松本先生の同僚とし て、ともに中国留学生の教育に当っていた。戦時中は、軍部権力と対決し、伊豆の下 田で捕らえられて、獄死したのである。  その人間主義の哲学を原点とする創価大学は、新中国の建設後、初めて日本への留 学生を受け入れた。嬉しいことに、その方々も、今や立派に重責を担われ、中日友好 に活躍されている。  留学生を大事にすることは、その国の未来と友情を結ぶことでもあろう。  私は、周恩来総理、ケ小平副総理、江沢民主席、胡錦濤副主席という「四世代」の 指導者とお会いしてきた。  胡副主席は、四年前、東京で再会した際、「今日の中日関係は、前人の事業を引き 継ぎ、未来に発展の道を開くという重大な段階に入りました」と協調されていた。  両国の尊き先人たちは、富士の如く堂々たる信念で、平和友好の礎を築き上げてこ られた。  その英姿を仰ぎながら、後継の清流を、更に滔々と流れ通わせていきたいと願う昨 今である。               静岡新聞 平成14年2月2日(土)付