「女性の世紀」に寄せて 池田名誉会長ナイチンゲールを語るE〓完 2002-2-4  一、創立者のナイチンゲールは、看護学校の学生たちに、たくさんの珠玉の指針を贈った。  卒業生たちは、それらを人生の宝″として胸に抱きしめ、巣立っていった。  たとえば、こんな言葉があった。  「訓練とは、あなた方の中にある財産を、あなた方が活用できるようにすることなのです」  「(小さなこまごまとしたこと)においても、大きなことにおけると同じく、『苦労なくし て栄冠なし』であることを忘れないこと」  「私たちにどうしても欠くことのできないひとつのもの、それは何でしょうか? それは、 すべてのものの根底に不撓の原理をもつことです」(湯槇ます・小玉香津子・薄井坦子・鳥海 美恵子・小南吉彦訳)  やがてイギリスでは、あの大病院の総婦長もナイチンゲール看護学校の卒業生″この 療養所の婦長も出身者″というようになっていった。多くの医療機関で、看護の発展に貢献 した。  さらに、アメリカやカナダ、インド、スウェーデン、ドイツなどの外国にも卒業生は雄飛 した。  たくさんの病院の婦長や総婦長として活躍した。 学生が創立者″  一、ナイチンゲールは語っている。  「それぞれの学校の創立者が自己の信念において、できるだけ多くの生徒を訓練すること です。生徒は時がくれば、各自また新しい創立者となるでしょう」(中村妙子訳)  その言葉の通り、あの地でも、この地でも、卒業生は創立者の分身″として、崇高な理 想に生き抜いたのである。  それは、日本中、世界中に羽ばたいている、わが学園生、創大生の雄姿とも重なってくる。  私には、愛する「娘たち」の乱舞を、わがことのように喜び、見守り続けた創立者、ナイ チンゲールの心情が、よくわかるつもりである。  「娘たち」が体を壊していないか。無理をしていないか。食事はきちんと取っているか― ―ナイチンゲールは、細かいところまで心を砕いた。  ある一人の卒業生が健康を害した。それを聞くや、ナイチンゲールは、彼女のための食事 表を自らつくった。食事の費用まで出してあげた。  よく卒業生たちに専門書や文学書などをプレゼントしたという。卒業生だけでなく、彼女 たちのもとで働いている看護婦たちにも真心を届けた。  卒業生たちもまた、ナイチンゲールを慕い、尊敬し、模範にした。「あなたの子どもになれ て、うれしい」と言った。  何か困難にぶつかったり、問題が生じた時は、そのたびに相談に行き、指導を仰いだ。ナ イチンゲールは、卒業生たちの訪問を喜んで歓迎した。  「妹よ、あなたの試練はつねに私の試練です」  ――これが、師である彼女の心だった。  ナイチンゲールと会い、語り合った卒業生たちは、一人も残らず、悩みが吹き飛んだ。 自分が以前よりも善良で勇敢になった″と感じた。  そして希望に燃えて、再び自らの戦いに舞い戻っていったのである。  それは、卒業生にとって帰るべき港であった。  「魂の母港」を持てる人生は幸福である。 抜苦与楽の心が健康社会を  一、人材をつくらずして、大事業は成し得ない。永遠の勝利はない。それをナイチンゲー ルは、よくわかっていた。  「たったひとりでもいいから、後継者を遺すことができたら」――彼女の心の叫びが、私 には痛いほど響いてくる。  彼女が生涯を賭して開いた「看護」の道。そこには今、多くの後継者が陸続と続く。  男性も多くなった。  日本では、男女が共同で進める社会づくりの一環として、女性の「看護婦」と男性の「看 護士」の名称が、法律上は「看護師」に統一されるようになる。  「看護」「介護」「ケア」は、高齢社会・福祉社会の焦点の一つである。  「抜苦与楽」の慈悲の聖業――そこに携わる方々は、知識と技術と人格が光る「人を癒す 大芸術家」であると私は思う。  その尊き方々を深く尊敬し、心から大切にしてこそ、真の「健康社会」を世界に広げてい くことができよう。 書き続けた! 手紙は1万2千通  一、ナイチンゲールは看護学校の学生たちに約束した。  「私は、自分の生命の最後の時まで毎日毎日努力して学びつづけることでしょう」  「他者を看護しながら学ぶことが不可能になったときには、看護されながら、つまり《私 を》世話してくださる看護婦さんの看護を見ながら学ぶことでしょう」(湯槇ます・小玉香津 子・薄井坦子・鳥海美恵子・小南吉彦訳)  この言葉通りに彼女は生きた。生き抜いた。  じつは看護学校を創立した40歳のころ、彼女の体力は限界にきていた。  頭痛。吐き気。呼吸困難の発作。体の不調に絶えず悩まされた。  長時間、話をすると、ぐったりとした。  多くの人が、早すぎる死を心配した。実際、危ない場面も何度もあった。それでも、彼女 は立ち止まらなかった。  「忙しくて死んでいる暇などありません」  そう言って、病魔を笑い飛ばした。  自由に動けなくても、まだ、書くことができる――彼女のベッドの傍らには、常に鉛筆や ペンがあった。  彼女が書いた論文、統計だけでも膨大であった。そのうえ、手紙は1万2000通にも上っ たという。  医者から「書くこと」を止められても、「だからこそ、私はなおいっそう書き続けるのです」 と一歩も引かなかった。  「私があの報告書を仕上げていなかったら、私が『守り得た』はずの健康など、私に何ほ どの意味があるでしよう」(武山満智子・小南吉彦訳)  これが彼女の変わらぬ信念だった。わが身を赤々と燃やして輝く戦いの炎″――それが ナイチンゲールだった。 聞く耳がある! 話す口がある!  一、やがて視力まで衰えた。それでも彼女は、ぴしゃりと言い放った。  「とんでもない。私は断じて心が冷えたりなどしません」  80歳を超え、まったく目が見えなくなった。それでも、彼女は「絶望」とは無縁だった。  まだ聞く耳がある!  まだ話す口がある!  訪れた客が驚くほど、彼女は社会の動きに精通していた。  仏典は、教えている。 手がなくとも足がある。 足がなくとも目がある。 目日がなくとも口がある。 口がなくとも命がある″  この決心で、命ある限り、法を弘めていく。それが仏法者の魂である。  釈尊も、自分の臨終の間際に訪れた一人の修行者にまで、法を説き、帰依させ、最後の弟 子としたのである。 死は「限りない活動への旅立ち」  一、戸田先生は、よく語っておられた。  「人生の幸不幸は、最後の数年間で決まる。途中ではない」  ナイチンゲールの晩年は、生涯のなかでも、いっそう美しく、いっそう豊かに彩られてい る。 ナイチンゲールは勇気の光を世界へ 私たちも生きたい! 理想に殉じたあの人のように 友に「希望」を!  我らは創価の名看護師!!  彼女自身が、最晩年を「生涯の最良の日々」と語っていた。  晩年の彼女ほど、人々から愛され、慕われた女性もいないだろう。  「だれでもみんな、あなたの名前を聞くと明るくなる」と敬われた。  「フローレンス・ナイチンゲールのように!」  それが女性たちの合言葉になった。  指導や助言を求めて、イギリス中から、世界中から、多くの人々が彼女のもとに来た。  世界の王族や政治家たちも、一目会いたいと、こぞって彼女を訪ねた。しかし、どんな高 位の人間でも、「看護に関心を持つ」人でなければ、彼女は会わなかった。  彼女は若い人を大事にした。「世界を継ぐべき人たちと交わっていきたい」と願って。  看護の仕事がしたい! ――そう希望する少女たちから何百通という手紙が届いた。その ほとんどに返事を書いた。  最後の最後まで、やるべきことを見つけ、挑み、「未来の種」を植え続けていったのである。  「生涯を一個の芸術とすることこそ、すべての芸術のうちで最もすばらしいものだと私は 考えています!」(中村妙子訳)  そう語った通りの人生を生きた。  1910年8月13日。  芸術のごとき人生は、静かに幕を閉じた。  90歳。ナイチンゲール看護学校の創立50周年の佳節であった。  彼女の生前の希望で、葬儀は質素だった。  ナイチンゲールは、死を「限りない活動への旅立ち」と捉えていた。  一、御書には、「自身法性の大地を生死生死と転(め)ぐり行くなり」(724n)と仰せで ある。  妙法を信ずる人は、自身の「法性の大地」すなわち「仏界の大地」の上を、「生も歓喜」「死 も歓喜」と進んでいける。  生命は永遠である。  だからこそ、この一生で、絶対に崩れない「常楽我浄」の生命を築き上げることだ。  そのために、正しい信仰が必要であり、人に尽くしゆく正義の行動が不可欠になる。  ひとすじに広宣流布に生き抜いた人は、「歓喜の中の大歓喜」の永遠の幸福の軌道を歩んで いけるのである。 女性の新世紀を  一、ナイチンゲールは「女性の世紀」という言葉を書き残している。  80歳の時、看護学校の学生たちにあてた最後の書簡。これは彼女が、公に語りかけた最後 の言葉とされる。  そこに、こう述べられている。  「一九世紀は(ある言い伝えによると)女性の世紀になるといわれてきました。その伝説 の予言の、なんと真実を言い当てていたことでしょう!  かつては女性は家庭に縛りつけられた奴婢にすぎませんでした。ところが今では、女性は 家庭の導き手なのです」(湯槇ます・小玉香津子・薄井坦子・鳥海美恵子・小南吉彦訳)  新しい「女性の世紀」――21世紀は、今度は女性が「社会の導き手」となるべき時代であ ろう。  ナイチンゲールは、こうも呼びかけた。  「女性の世紀」の到来を妨げるものは、行動しない女性自身である″  看護の道に酢静めた30歳の時、1851年に発表した一文である。  女性が、何ものにも頼らず、強く生き抜いていく。社会のため、人々のために、さっそう と、勇敢に行動していく――そういう時代の到来を、ナイチンゲールは見つめ、楽しみにし ていたにちがいない。  今、「女性の新世紀」の先頭に立つのが妙法のナイチンゲール”である“「白樺会」「白樺 グループ」の皆さまである。 そして、婦人部、女子部のすべての皆さま方である。 妙法のナイチンゲールたれ!  一、ナイチンゲールといえば、忘れられない思い出がある。  昭和22年(1947年)、私が入信して間もないころのことだった。  私は戸田先生の法華経講義に出席しな。講義が終わって質疑応答になった。  一人の女子部員が、戸田先生に質問した。  「信心していなくても、立派な人がたくさんいますが、どう考えていけばいいのでしょう か」  戸田先生は、温かく包み込むように、しかし厳然と、こう指導された。  「確かに、その通りです。そして、あなたは、いわゆる立派な人″と比べれば、平凡な 女性に見えるかもしれない。しかし、あなたは、妙法という大法″を持っている。これは 大変なことなのです。妙法を持ち、人々に教えながら、広宣流布に生きゆく人生を送ってい ることは、最高の女性の生き方なのです」  そして戸田先生は、こう続けられた。  「大変に立派な活動を成し遂げ、立派な歴史を残したナイチンゲールのようには、あなた は、なれないかもしれない。また、なる必要もないかもしれない。しかし、その一念、精神 だけは、ナイチンゲールに負けてはいけない」  烈々たる、厳愛の言葉であった。その先生の指針は、今も耳朶に響いている。  看護に捧げられたナイチンゲールの生涯。それは、押し寄せる苦難の波を越えながら、「使 命を自覚した人間の力は、こんなにも偉大である」と未来に向かって示し続けた一生であっ た。  私たちも生きたい。  「わが10年後を見よ」 「わが50年後を見よ」、 そして「広布に生き抜いた、わが一生を見よ!」 と高らかに叫びながら。世界に「勇気の光」を贈りながら。  御聖訓に「諸薬の中には南無妙法蓮華経は第一の良薬なり」(御書335n)と仰せである。  妙法は(生命という根本の次元から、人間を癒し、蘇らせ、救っていく「妙薬」であり「大 良薬」である。  妙法に生き、妙法を弘めておられる皆さま方こそ、最も偉大なる「生命の名医」であり「生 命の大看護師」である。  誇りも高く、「生命蘇生の対話」を勇敢に繰り広げていきたい。  荒海のごとき社会で、「希望はここにある!」と確たる航路を指し示しながら、「宿命転換」 の銀波を、「人間革命」の金波を、千波万波と全世界に広げてまいりたい。 (主な参考文献)  『ナイチンゲール著作集』湯槇ます・薄井坦子・小玉香津子・田村真・金子道子・鳥海美 恵子・小南吉彦訳・現代社、エドワード・クック著『ナイティンゲール〔その生涯と思想〕』 中村妙子・友枝久美子訳・時空出版、セシル・ウーダム=スミス著『フロレンス・ナイチン ゲールの生涯』武山満智子・小南吉彦訳・現代社、エルスペス・ハクスレ一著『ナイチンゲ ールの生涯』新治弟三・嶋勝次訳・メデカルフレンド社、ザカリイ・コープ著『ナイチンゲ ールと医師たち』小池明子・田村真訳・日本看護協会出版会、バーバラ・ハーメリンク著『ナ イチンゲール伝――近代看護の創始者』西田晃訳・メデカルフレンド社