青年よ世界を見つめよ! 未来を開け!           2002-2-5 歴史を揺るがした"日中国交正常化"提言 1968年9月8日第十一回学生部総会で 国内外のマスコミ・識者も注目4年後に正常化が実現 林 池田先生が初めて「日中国交正常化」を提言されたのは、1968年(昭和43年)9 月8日の第11回学生部総会でしたね。 迫本 そうです。その通りです。 橋元 私をはじめ、今の学生部員が生まれる前のことです(笑い)。 「日大講堂」に刻まれた歴史 中野 これは、東京・両国の日大講堂で行われた、あの有名な大総会だったね。当 時、参加した私の先輩も、「日大講堂の真ん中に、『英知』と、墨痕鮮やかに掲げて あったのが、今でもまぶたに残っている」と語っていた。 佐藤 日大講堂といえば、1960年(昭和35年)5月3日に、池田先生の第3代会長就任 式が行われた会場でもある。ここでは、1977年に一般の使用が中止されるまで、約 280回も学会の会合の歴史が綴られてきた。 林 私たちは、その建物は知りませんが、今でも、あるんですか。 佐藤 いや、すでに取り壊されていて、跡地にはオフィスや住宅用のビルが建ってい ますね。 橋元 ああ、そっですか。学生部総会は、まだ日本に復帰する前の沖縄の代表をはじ め、全国から男女学生部の代表1万数千人が集って盛大に行われた。「爆発的な雰囲 気」だったと、当時の聖教新聞にも書いてありますね。 杉山 この日は日曜日で、総会が始まったのは午前11時。台風が近づいていて、天気 は曇りだったそうだ。 橋元 席上、池田先生は1時間17分にわたって講演された。そのなかで、「日本は中 国を承認し、正式の外交関係を樹立すべきである」 「そのためにも、一日も早い日 中首脳会談の実現を」等と主張されたのです。 林 本当に歴史的な提言になったわけですね。 提言の反響 佐藤 当時、先生のこの提言に、各界の人々が注目した。 中野 夜のテレビのニュースでも「池田会長が日中国交正常化を提言」と全国に流れ た。 杉山 翌9日付の新聞を見ても、朝日、毎日、サンケイが1面で報じたほか、読売など の各紙が大きく報道している。 林 どれほど注目されていたかが、よく分かりますね。 中野 AFP通信など海外のメディアも、ただちに記事を配信している。 佐藤 その通りです。日本中のマスコミが揺れ動いた。そして日本中が、このニュ− スを聞いて、未来を見つめながら、感嘆した一日となったようだ。 杉山 中国でも、海外のニュースを報道する「参考消息」が11日付の1面に、4分の1 ものスペースで大々的に報じていた。 橋元 大きな見出しで「池田大作氏、日本の反中国政策の中止および我が国との国交 樹立を主張」と報道していた。一宗教団体の指導者の、この宣言が、世界的な広がり の叫びとなったのだ。 迫本 本当に衝撃的な講演だったと思いますね。 中野 どれほど反響が大きかったか? 日本でも当時、有名な中国文学者の竹内好氏 が「光はあったのだ」と絶賛したことは、あまりにも有名だ。 杉山 中国通の政治家の松村謙三氏(元・厚生大臣)が「百万の味方を得た」と言っ たことも、よく知られている。それほど大きな反響があった。  佐藤 それとともに、池田先生は、この歴史を動かした提言を、2万人もの青年に託 された。  いわば日中の未来、アジアの安定を「青年の力で」と訴えられた提言でもあった。 ここに大変に重要な意義があると思う。 迫本 まったく同感だ。先生が、いかに青年に万感の期待を寄せておられるか。我々 青年の使命が、どれほど重大か。ゆめゆめ簡単に考えてはならないと思う。 中野 その通りだ。当時、日本は対米外交一辺倒で、中国との国交正常化など、論外 中の論外だったからな。 林 驚きですね。身震いするような感じがしますよ。 佐藤 その証拠に当時の牛場外務次官は、この提言を迷惑千万″とまで酷評してい た。 杉山 まったく今も昔も日本の外交は、追従ばかりで主体性がない。情けない日本 だ。 中野 しかし歴史は、先生の提言の正しさを厳然と証明した。4年後の1972年(昭和 47年)には国交正常化が見事に実現したのだ。  陰に陽に中国と日本の平和・友好を願っていた人々は、心の中で、どれほど喜んだ か。いくつものエピソードが生まれ、残っている。 迫本 すごい先見だ。どれほどすごい提言だったか。中国の指導者たちが、こぞって 池田先生を讃嘆されるのも理解できますね。