随筆 新・人間革命 305 不滅のわが愛知城 ―― 勝利に輝け! 21世紀の一番星 ――  十九世紀、イタリアの統一へ歴史的な使命を果たした革命家マッツィーニは、 有名な言葉を残した。  「目的地が遠隔であればあるほど、絶えず前進することがますます必要だ。 急ぐな、しかし同時に休んではいけない」(原久一郎訳)  まず、この箴言を「広布の堅塁」たる中部の皆様方に贈りたい。  とともに「中部一と聞くと、胸に沸き上がる言葉がある。  「世界の大偉業の大半は、もはやこれで絶望かと思われた時にも、なお仕事 をやり続けた人々の手によって、成し遂げられた」(神島康訳)  苦難に満ちた人生をいかに勝利するか。それを考え抜いた米国の思想家、D・ カーネギーの箴言だ。 ◇  わが中部の同志の方々は、幾たびとなく大迫害のなか……断じて負けなかっ た。  来る年も、来る年も、悪意と偏見の壁は、あまりにも厚かった。非難と中傷 の嵐は、あまりにも激しかった。  しかし、偉大なる中部は、よく戦った。よく耐えた。そして、よく勝った。 卑劣なるあらゆる大弾圧をはね返し、断固として勝ちに勝った。  私は「ありがとう! ありがとう!」といつも感謝している。そしてまた「ご 苦労様! ご苦労様!」といつも思っている。  今や、愛知を中心とする広宣流布の堂々たる「堅塁」は、完壁に築かれ完成 した。  永遠に不滅の金剛の城は美事にそびえ立っている。  天下の名城・名古屋城の彼方には、希望の一番星が煌々と輝き光る。  これぞ、大明星天が、いつもいつも広布に走りゆく中部の友の活躍を、常に 厳然と見守っている象徴の光であると、私には思えてならない。  大切な学会の後継の青年部も、瞳は輝き、たくましく成長に成長を続けてい る。  昨年、中部の青年部が企画した、あの?周恩来展″は全国を巡回し、行く先々 で絶大な反響を、今でも巻き起こしている。  周総理が逝去されたのは、昭和五十一年の一月八日のことであった。  あの時、私は、この偉大な指導者の信念の足跡を、日本中の人びとに伝え残 していかねばならないと、深く心に期したのである。  その願望をば、わが偉大なる弟子たる中部の青年部が達成してくれたのであ った。  私は本当に嬉しかった。私は、頼もしき私の後継者が育ったことが、熱い涙 が出るほど嬉しかった。 ◇  ところで、昭和五十一年という年は、中部のわが同志と、深い深い思い出を 刻んだ、歴史的な一年であった。  一月十六日の夕刻、私は、大阪から愛知に入った。  この日、名古屋では、約三百の会場で、にぎやかに婦人部総会が始まってい た。  全国に先駆けての"一番"の開催だと伺い、私は、南区の六つの総ブロック の方々が集まった、名古屋南会館(当時)での婦人部総会に飛び入り参加した。  "二十一世紀は、必ず「中部の時代」が来る! ゆえに今こそ、その壮大な る陣列の城の基礎をつくろう。日本列島の中心の愛知から、真っ先に太陽を昇 らせてみせる"と決意していたのであった。  「愛知が一番だ!」「中部が一番だ!」――この誇りと伝統を、使命に走り ゆく、わが友の胸に刻むことだ、と私は祈りながら励まし続けた。  皆様方は喜んで私を迎えてくださった。その尊き母たちのために、私は、感 謝を込めて語った。  ――アメリカで、私が日本のある著名な財界人と懇談した時、「この世界で 一番尊く偉いのは誰ですか」と聞かれた。おそらく、釈尊などの名前を、必ず 挙げるものと、彼は予想していたようだ。  だが、私は答えた。  「一番尊く偉いのは、一般市民のお母さんです!」  彼は、驚いた顔をした。  私は続けた。母こそが、雨の日も風の日も、太陽のように変わることなく、 わが友とわが家族を、慈愛を込めて守ってくれているからだ、と。  いつしか、会場のお母さんたちの目から、幾筋もの美しい涙がこぼれていた ……。  ともあれ、広布の太陽たる母たちの活躍こそ、平和と希望の光源であること は、絶対に間違いない。  本年も、百花繚乱の婦人部総会から、栄光と大勝への前進が始まった。 ◇  翌日(十七日)、中部の代表幹部会に出席し、「堅塁中部」の淵源ともいう べき師弟の誓いを語ったことも、私は忘れることが出来ない。  「扇」を広げたような日本列島にあって、わが中部は、地理的にも、歴史的 にも、さらに経済的にも、まさに「要」の天地となってきた。  この日本の要衝に、広宣流布の要塞を必ず築き上げてみせると決意したのは、 戸田先生と、弟子の私の不二の誓いであった。それから一年余にして、わが師 は霊山に旅立たれた。  「中部の堅塁」の構築は、まさに、師から私への遺言であったのだ。  その心を酌んでくださった現在のリーダーである大野和郎君(総中部長)た ちの強い自覚と勇気ある健闘を、諸天も見つめて讃えていることは間違いない だろう。  中部の同志の方々は、本当によく戦った。よく耐えた。 そして完壁に勝たれた。 ◇  私は愛知が好きだ。、愛知の皆様とつくった思い出は、無数の星と輝いてい る。  ある時は、名城公園を皆と散歩しながら、未来を語った。  ある時は、名鉄電車に揺られながら、皆と笑った。  ある時は、信号待ちの交差点で、皆と対話した。  またある時は、商店の軒先で、皆と庶民の哲学を語り合った。  庶民は強い。庶民は生活の英雄である。生き抜く英雄である。人間の英雄で ある。  庶民は、生活の、そして人生の智慧の博士である。  「庶民を軽蔑する権力者や有名人たちがいたとするならば、それは、卑しい 慢心の奴隷の魂に覆われた矮小の人間のようなものだ」と言った哲学者がいた。 ◇  「おみゃあさん、そんなことで負けたらあかんがや!」  愛知の方言には、実に温かい人間味が響きあっている。  時代は流れ、いやまして愛知という風土に、一段と重要な地域性と人間の魅 力を感じながら、引きつけられる新世紀に入った――著名な有識者たちは、こ う見つめている。  昭和二十八年の十二月十二日、私が愛知に第一歩を刻印してから、本年は五 十周年とのことである。  今秋には、待望の光輝燦たる中部の記念会館が完成する。  わが中部の地から、あの一番星を皆で見て語り合ったことは、一生涯、忘れ ることの出来ない瞬間であった。この一番星は、常に希望と勝利に輝いていた からだ。  さあ、わが中部の偉大な同志よ! いつまでも健康で、いつまでもお達者で、 誉れ高き思い出の幸福の行進を続けていただきたい。  私は祈りたい。  二十一世紀の「堅塁愛知」の広布の建設を! 今、世界の友も、それを見つ め、見守っている。  新しき堅塁は、新しき無数の人材の登場を待っている! 一人ひとりの厳然 たる勝利の凱歌を、祈り待っている! 2003.1.29(水)掲載