随筆 新・人間革命 307 晴れ渡る岐阜の空 ―― 勝ち進め! 民衆の正義の大行進 ――  昨年、フランスSGIのユゴー文学記念館では、揃って生誕二百年を迎えた 二人の大文豪を紹介する「ユゴーとデュマ展」を開催した。  内外に多大な反響を広げたと伺い、嬉しい限りである。  さらに、十一月の末日には、フランス国家の名において、かのデュマの遺骨 が、ユゴーやゾラなど偉人の眠る、パリのパンテオン(偉人廟)に移された。  デュマは『モンテ・クリスト伯』等の多数の傑作を残しながら、"黒人奴隷の 子孫"ゆえに不当に低い評価を受けてきた。それが名誉回復されたのである。  故郷からパリに向かうデュマの棺は青い布で覆われ、そこに、こう記されて いた。  「皆は一人のために。一人は皆のために」  代表作の一つ『三銃士』のなかで、主人公たちが団結を誓う名文句である。  「皆は一人のために」――いわば、一人を大切にする人間主義の心といえよう か。  「一人は皆のために」――友のために一人立ち、献身しゆく責任感であろう か。  この両方の心が生き生きと脈動する、真正の人間王者の団体が、わが創価学 会だ。  この模範の「人間の都」をさらに堅固にし、さらに強めていかねばならない。  日本の中心たる中部にあって、威武堂々、その民衆大行進の最前線を進むの が、我らの岐阜の使命である。 ◇  五十年前(昭和二十八年)の師走、私は名古屋に続き、岐阜に第一歩を印し た。  以来、訪問は二十回にも及ぶが、いつも岐阜の空は澄み渡り、麗しき「飛山 濃水」の国土が最高の装いで迎えてくれていた気がする。  岐阜で行った第一回中部青年平和文化祭(昭和五十七年)も、「曇りのち雨」 の予報を覆して、青い空が不屈の五段円塔を祝福した。  高山の友との出会い(昭和四十二年)も、乗鞍や穂高の秀峰が見守っていた。  今、ここには待望の二十一世紀研修道場が完成し、白川郷の合掌造りを思わ せる高山文化会館からは、"愛郷"の友の歓声が響いている。  また、昭和四十七生の三月十二日、四千二百人の岐阜の友と記念撮影をした 日も、清々しい空の彼方に、くっきりと雪の伊吹山が見えた。  会場の県民体育館(当時)には、開館したばかりの「岐阜本部」の巨大な絵 が、満開の桜に包まれて描かれ、その下には県花のレンゲ草の花壇が設けられ ていた。  撮影の合間には、「春の小川」の大合唱となった。  私はピアノも弾いた。岐阜の友が喜んでくださるなら、何でもしたかった。  皆、あの「言論問題」で、驕れる権力の罵倒に激怒しながら、悔し涙を流しな がら、必死に耐えてきたからだ。  さらに、私の心に刺さって離れぬ一事があった。  前年の暮れ、岐阜駅構内で起こった、停車中の普通列車に貨物列車が追突し、 多数の乗客が負傷した事故のことである。普通列車には、登山会帰りの美濃や 郡上の同志たちが乗っていたのだ。  "こんな事故で一人も不幸にしてなるものか!"  幸い、怪我をした方々も命に別状はなかったが、私は、岐阜の同志の「変毒 為薬」を懸命に祈り、矢継ぎ早に励ましを送り続けたのである。  この事故は、貨物列車のスビードの出し過ぎ、前方不注意など、まったく人 為的ミスによるものであった。  多くの生命を預かる責任は重い。あまりにも重い。  慣れ、惰性、油断、疲れ……そうした一瞬の隙を、魔は突いてくる。信心と は、間断なき「魔との戦い」であることを、仏法指導者は絶対に忘れてはなら ない。  記念撮影会には、列車事故に遭った方々も、多く参加しておられた。皆、お 元気そうであり、私は安心もし、本当に嬉しかった。  会場を包む、岐阜の友の笑顔また笑顔。その満開の笑みとレンゲ草とが、私 のなかで重なり、一句が浮かんだ。  「美濃の路に 功徳と咲けや 蓮華草」 ◇  この記念撮影会の折に再会を約しあったが、それは翌年六月に実現した。県 民体育館に再び岐阜の友が集っての、文化祭と県幹部会である。  文化祭の圧巻は、郡上方面の同志らによる創作劇「一人立つ」であった。江 戸時代の宝暦年間に起こった、有名な「郡上一揆」をモチーフにした劇である。  ――時は十八世紀の半ば。郡上金森藩では、財政難の上に藩主が幕府の要職 に就いて出費が嵩み、様々な理由をつけて年貢増を図った。  「もう我慢ならぬ!」  農民たちは増税撤回を求めて立ち上がる。一度は要求は認められるが、藩側 の狡猾な切り崩しと弾圧により、脱落する者も出始めた。  だが「立者」とも「立百姓」とも呼ばれた、不屈の農民たちは、江戸に出て、 死罪も覚悟で幕府への直訴を敢行していく……。  創作劇は、こうした史実を踏まえ、迫害に屈せぬ魂を描き出していった。  堂々たる体躯の、主役の青年の叫びが会場に響いた。彼は、目が不自由なな か、男子部の幹部としても、必死に奮闘してきた青年であった。  「俺は決めたんだ。死ぬ気になって事にあたれば、何も怖いことはない!」  「たとえ両手を取られようが、足をもぎ取られようが、この命の続く限り、俺 の命の続く限り戦い抜くんだ!」  迫害の嵐に向かい、人生の苦難に向かい、断じて恐れることなく一人立つ精 神!  これこそ学会魂だ。  世間の風向き次第で、たやすく信念が揺らぎ、逃げ去る臆病者は必要ない。  御聖訓に仰せである。  「願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ、過去遠 遠劫より己来日蓮がごとく身命をすてて強敵の科を顕せ」(御書一五八九ペー ジ)  学会は師子だ。邪悪とは、断固と戦い、勝つのだ!  私は、この日、偉大な岐阜の同志の胸に、創価の正義の炎が、赤々と燃え上 がったことを知ったのである。  ――昨年、「郡上一揆」の舞台となった地域にも、民衆勝利の宝城たる郡上 平和会館が誕生し、わが同志が生き生きと乱舞しておられる。本当に嬉しい。  実は中国の周恩来総理も、三十八年前(一九六五年)の五月、日本の訪中劇団 が演ずる、郡上一揆を題材にした演劇「郡上の立百姓」を観られた一人であっ た。  岐阜に脈打つ、戦う正義の民衆の心は、偉大なる人民の指導者と、深き共鳴 の調べを奏でていたのである。 ◇  周総理は言われた。  「勝利を望むのなら、消極的に抗戦するのではなく、積極的に抗戦すること である」(日本語版《周恩来選集》翻訳室訳)  悪と戦わずして、善の勝利はない。善の拡大なくして、幸福の拡大もない。 勇気をもって戦う生命こそ、人間としての栄冠なのだ!  これは、中部の同志と共に半世紀、来る日も来る日も、広宣流布の戦場を勝 ち越えてきた私の結論である。  わが岐阜の同志よ! 正義と幸福の炎を燃やしながら、人生の凱旋門へと続 く「この道」を、夫婦と共に、親子と共に、そして同志と共に、朗らかに、堂々 と、勝ち進んでくれたまえ! 2003.2.5(水)掲載