随筆 新・人間革命 309 勝利の大鷲・三重 いざ栄光へ 君も戦え! 我も戦う!   「人生の本領は未来に在り」  これが「憲政の父」と讃えられる咢堂・尾崎行雄先生の人生観であった。(『尾 崎咢堂全集』第九巻)  こう心に定めたのは、七十代半ばのことという。「昨日までは、人生の序幕 で、今日以後が其の本舞台だ」と。  まったく真実の言葉だ。  「さあ今日から!」「さあこれから!」――この若々しい生命力で、「今日」 を戦い勝ちゆく人こそ、真の人生の勝利者なのである。  尾崎先生が、常に憂慮しておられたことは、"日本人は目先の利害得失に踊 らされて、善悪是非の標準をもたない"という一点であった。  ゆえに、戦時中には、身の危険も顧みず、希代の悪法たる治安維持法を「全 廃せよ」と叫ぶとともに、軍部権力の横暴を糾弾し続けた。当局から、演説の 一言が不敬罪だとして起訴され、巣鴨の拘置所に留置されもした。  「罪なくて 獄舎に一夜 明かしつゝ 國の行末 思ふ我かな」(前掲『全 集』第十二巻)  牧口先生、戸田先生が投獄される前年のことである。  戦後、尾崎先生は、正義を叫んだがゆえに、悪法によって罪人とされた人び とを念頭に、強く訴えておられる。  「悪い権力者のつくった悪法に触れた憂国の士をも詐欺師や泥棒と同じよう な罪人と思い、悪い人間の如く考えているようでは駄目である。法律に触れ、 牢に入れられても、よいことをした人はよいときまっている。国民は善悪の判 断を誤らぬようにしなければならぬ」(『卒翁夜話』)  この尾崎先生が生涯、正義の活動の地盤とされたのが、三重の天地であった。  戦時中、三重の支持者は「非国民」と罵られても、偉大な信念の大政治家を 厳然と支え、国政に送り続けたことは有名である。 ◇  『万葉集』にも薫り高く歌われた美しき三重――。  しかし、戦後にあっては、あの伊勢湾台風の被災や四日市の公害など、三重 の方々は厳しい試練も受けた。  そのなかで「立正安国」の法旗を掲げた同志も、悪口、中傷、村八分等の圧 迫に耐え抜き、必死に広宣流布の道を切り開いてきたのである。  "友よ、負けるな、断じて負けるな!"  昭和四十四年の暮れ、私はそう念じながら、三重の皆様のもとへ駆けた。  三日前に大阪入りした時は四〇度の高熱であり、まだ発熱は続き、体調は最 悪であった。だが、私は、奈良に続いて、三重の松阪、伊勢へと苦しい体を走 らせた。  弟子が懸命に戦い、待っているのだ。どうして行かずにいられようか。  あの日、私と三重の同志は「開目抄」を拝した。  「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし ……」(御書二三四ページ)  いかなる苦難があろうが、疑いを起こして、「広宣流布に戦う心」を失って は絶対にならない! 「我並びに我が弟子」と仰せのごとく、師弟一体で戦い 抜くのだ!  ここ三重の地に、わが魂魄を留めんと、時々刻々、命の限り戦った歴史は、 絶対に忘れることはできない。 ◇  三重には、それこそ幾重にも思い出がある。その一つが「人間革命の歌」だ。  自分のことになるが、この歌は、私が「山本伸一」名で作詞・作曲し、昭和 五十一年七月の本部幹部会の折に披露した作品である。  実は、この発表後、初めて赴いた地方が中部であり、三重・白山町の中部第 一総合研修所(現・三重研修道場)を舞台にして、三重の同志と一緒に、幾度 も、幾度も歌ったものであった。   ♪君も立て 我も立つ    広布の天地に 一人立て    正義と勇気の        旗高く 旗高く    創価桜の 道ひらけ  広宣流布は、「一人立つ」ことから始まる。  そして一人ひとりが、自分のいる場所をば、使命を果たすべき「広布の天地」 として立ち上がるところに、「人間革命」があることを、絶対に忘れてはなら ない。 ◇  三重には、もう一つ、歌の思い出がある。  第一次宗門事件の最中の、昭和五十三年の四月二十三日、三重の研修道場内 の白山公園で開催した、「三重文化合唱祭」のことである。  演目は進み、やがて婦人部の「青空合唱団」の「今日も元気で」になった。   ♪あかるい朝の       陽をあびて    今日も元気に       スクラムくんで……  彼女たちの歌声は、春の空に凛々と響き渡った。聴き入る同志もみな、一緒 に口ずさんでいた。  特に、「うれしい時も かなしい時も かわす言葉は 先生 先生 われら の先生」の個所に至ると、歌声は一段と力強さを増した。  ――実は、私が三重に到着して間もなく、三重の婦人部のリーダーが思いつ めた表情で訴えてきたのである。  「先生の前で『今日も元気で』を歌わせてください!」  この歌は、私と共に戦わんとの健気な心意気を歌った、婦人部の愛唱歌であ る。  しかし、この当時は、例の反逆者に操られた坊主らが、私と学会の非難中傷 に狂奔していた。ことに三重の寺は、全部がそのどす黒い一派であった。暗い 狂気じみた時代であった。  それでも学会は、僧俗和合を願って、合唱祭には坊主も招待していた。この ため、坊主を刺激してはまずいと考えてか、この晴れやかな合唱祭では「今日 も元気で」の歌をわざわざ歌わせない方向に決まったようだ。  だが、婦人部は「どうしても歌いたい!」と。  婦人部は強い。こうと決めたら、一歩もひかない。  英国の作家スコットは、作中の女性に語らせている。  「その目的の正しいことを知り、そして心を強くしておくことが、いちばん こんなんな日の仕事をやりとげる道なのです」(玉木次郎訳)  学会には、学会の行き方がある。時代がどう動こうが、これだけは譲れない。 そういう誇りを失ったら、牙を抜かれた師子のようなものだ。  その学会精神の根幹が、師弟の魂である。師と弟子が、心を一つにして叫び、 戦わねばならない。それでこそ真の師子である。  あの日、あの時の歌声は、師弟共戦の叫びとなり、三重の大空に舞ったのだ! ◇  三重県の形は、「翼を広げた鷲」の姿に似ているといわれる。  四日市・桑名方面が一つの翼、熊野・尾鷲方面がもう一つの翼であり、伊勢・ 鳥羽方面が頭部にあたる。そして、津・松阪などの中央部が胴体であろうか。  それぞれの地域が一体となって、栄光・大勝の空へ羽ばたく三重の皆様の英 姿と重なって見える。  戦おう、三重の同志よ!  空飛ぶ者の王・鷲のごとく、大空に向かって勇壮なる飛翔を共々にしてゆこ うではないか!  最も大切な庶民の真っ只中に飛び込み、偉大にして崇高な「人間革命」の波 動を起こしゆこうではないか!  民衆が民衆のための勝利の凱旋曲を、我らの万葉の天地に心ゆくまで響かせ てゆこうではないか! 2003年2月28日(金)掲載