新・人間革命  羽ばたき 二十四 (2919)  被災地のメンバーは、一日千秋の思いで、記念撮影会の日を待った。  山本伸一は、七月末から約一カ月間にわたる夏季講習会を終えると、九月三日には九州 に飛んでいた。  福岡、鹿児島の記念撮影会をはじめ、各部代表との懇談会などに出席するためであった。  この記念撮影にも、七月の豪雨で被災した多くの人たちがいた。  彼は、十日に東京に戻り、さらに十四日には、中国訪問に向かったのである。  十五日、広島の福山市体育館で、六千人のメンバーとの記念撮影会が行われた。このう ち、千五百人が被災者であった。  会場の待機場所は、一際、明るい談笑の花が咲いた。  被災したメンバーと、救援隊として駆けつけてくれた同志が再会を果たすシーンが、随 所に見られたのである。  若い壮年が、救援隊の青年を見つけて言った。 「こないだは、ほんまにお世話になりました。あん時のオニギリの味だきゃあ、忘れられ んですよ。何より、ありがたかったんは、子どものミルクとオムツじゃった。  いつか、あんたに会うて、お礼が言いたかったんです」 「とんでもない。ぼくたちは、ただ配らせてもらっただけですよ。  ぼくが感動したんは、被災した同志のことを心配されて、すぐに手を打たれた山本先生 の迅速な行動じゃったんです。  テレビで被害の模様が放映されるや、すぐに救援の指示が飛んどったんです。それも東 北からじゃった」  隣にいた婦人も語り始めた。 「こないだの学会の救援に、近所の人がほんまに驚いとったんです。  救援物資にしても、食料品、水、衣類、毛布、タオル、それに石鹸と、いちばん必要な もんばっかりじゃったでしょ。 『ほんまに被災者のことを考えてくれとる。実際にこれだけのもんを、すぐにそろえるな んて、どこの団体にもできゃあせん』と、みんな感動しとったんですよ。  また、同志の方が『大丈夫ですか』『頑張りましょう』って、励ましてくださったでし ょ。それを見て、『学会が、生きる力を与えてくれた』って、しみじみ言うとったんです よ」 名字の言 2004.11.6 ▼「善と悪」「国民の伝令」「人民の友」「不偏不党」「ジャコバン」「デュシェーヌお やじ」――これは、フランス革命期に発行された新聞紙名の、ほんの一例である ▼革命の勃発から数年間に誕生した新聞は、軽く千を超えたという(E・ポワヴァン著、 城戸又一・稲葉三千男訳『新聞の歴史』白水社) ▼当時、新聞の売り子たちは、紙名を叫びながら、不当な権威・権力を声高に糾弾した。 自分たちの新聞の主張を、自らの言葉でさらに強く訴えたのだ。後に、売る時には、紙名 以外、口にしてはいけないという法律ができるが、手にしたその新聞こそ、最大の雄弁 者″であった ▼紙名は、そのまま新聞のあるべき姿を表す。「聖教」の「聖」の字は、日蓮大聖人の 「聖」に通じ、言論の力で、日蓮仏法の正義を社会に、世界に宣揚しゆく意義がある ▼「正義の観念は、筆力に発する重要な火花である」とは、新聞王ピュリツァーの口癖で あった ▼「人間の機関紙」聖教新聞は、創刊から1万5000号を数えた。明年は日刊化40周 年の紙歴を刻む。発展を支えてくださるすべての方々へ感謝を申し上げたい。これからも 邪悪と戦い抜く精神を燃やし続けて、「真実」と「正義」の歴史を綴っていきたい。(杏) 北斗七星 2004.11.6 ◆野茂、イチロー、松井らの活躍もあって、日本プロ野球の有力選手は次々と大リーグを めざしている。米プロバスケットでは田臥(たぶせ)勇太が躍動、北米プロアイスホッケ ーには日本代表選手の福藤豊が挑む ◆国際社会で日本が生き残っていくうえで、こうした選手たちの姿は大いに参考になる。 かつて、世界経済では米・欧・日の三極といわれたものだが、少子高齢社会・日本の針路 に不安は広がる。国民の関心が高い健康や医療、教育重視に大きくかじを切り換えなけれ ばならないが、改革の決め手が見えてこない ◆イチローの活躍は米国人の「日本のイメージ」を変えるのに貢献し、9月のF1中国グ ランプリでは上海ファンの佐藤琢磨人気は高かったという。まさに「個人の力で国の品位 が上がっていく時代」(黒川清・日本学術会議会長)である ◆公明党が21世紀の日本を「文化・芸術立国に」と公約しているように、さまざまな分 野で人づくりを支援していくことこそ、日本浮上の決定打になるのではないのか ◆政党のレベルアップも原理は同じ。先の党大会で公明党は国の未来に責任を持つ第3党 として新出発したが、これはもちろん議席数3位を誇っているのではない。各界、各分野 の人材を結集した集団として、最先端の問題に切り込んでいくことで、さらに強力な党に なれるはずだ。(山) ☆「わが友に贈る」☆ 一日一日が 真剣勝負である。 「さあこれからだ」と 本因妙の決意で 打って出よ!