随筆 人間世紀の光 055 ◆「女性の世紀」の若き旭日(中) ―― 永遠の「幸福の宮殿」を開け! ―― ―― 心正しく 善悪に厳しく 忍耐強く ――  青春の    スクラム楽しや       女子部かな  ――人から貰ったような幸福は、いつか逃げ去るものだ。しかし、自分でつ くる幸福は決して欺かない。  フランスの哲学者アランの、この『幸福論』の洞察は有名である。  幸福は与えられるものではない。まして、他人が決めるものではない。  大聖人は仰せである。  「さいわい(福)は心よりいでて我をかざる」(御書一四九二ページ)  幸福は、自分自身の「心」から生まれる。だからこそ、わが心に、燦然と輝 く哲学の明鏡を持つことだ。  三世永遠の高次元に立つ、仏法の深遠なる生命論では、「欲楽」と「法楽」 とを明確に立て分けている。  つまり「欲楽」とは、さまざまな欲望を充足していく快楽の範疇である。  それは、どんなに満たされようと、際限もないし、その喜びは永続しない。  かえって、人間を後ろ向きにさせて、不幸の因となる場合が多い。  これに対して「法楽」とは、常に、前を向き、前に進み、正しき「法」とと もに、幸福になっていくのだ。  釈尊も、そして日蓮大聖人も、正しき「法」に生きゆく「歓喜の中の大歓喜」 を、自らの生命に受け切っていくことが幸福なのであると、結論されておられ る。  御聖訓に「法華経は一切経の頂上の法なり」(同一二九一ページ)と説かれて いる如く、妙法蓮華経が大宇宙の究極の法則だ。  法が無限であるがゆえに、その幸福も無限である。  法が永遠であるがゆえに、その幸福も永遠である。  法が絶対であるがゆえに、その幸福もまた絶対である。  戸田先生が、「相対的な幸福」ではなく「絶対的な幸福」を打ち立てよ、と 教えられた意義も、ここにある。  人と横目で見比べ合うような、ちっぽけな幸福ではない。何かあれば、すぐ 壊れてしまうような脆い幸福でもない。      ◇  「御義口伝」には、「南無妙法蓮華経と唱え奉るは自身の宮殿に入るなり」(同 七八七ページ)との法門が明かされている。  私たちの生命の中に、崩れざる幸福の宮殿があるのだ。  その大宮殿の扉を、自分自身の手で開きゆくのである。  そして、生きていること、それ自体が楽しいという大境涯を築きながら、人 びとに希望の光を贈り、社会に平和の波動を広げゆくのだ。  古代ギリシャの教育者イソクラテスは叫んだ。  「人間の生は悪徳によって滅び、徳によって保持される」  さらに、古代ギリシャの詩人テオグニスは、「人が自身の持物として、智慧 分別に、優るものはない」と教えた。  人間として最も尊貴な「智慧」と「福徳」の道を、わが女子部は、世界の無 数の乙女たちに示しているのだ。  この若き「幸福博士」の大連帯は、百六十七万人を趣えて、今や百七十万人 へと拡大を続けている。  フランスの文豪ロマン・ロランは、若人に語った。  「勇気を失ってはいけません。あなたの精神が強ければ(私はそうだと確信し ています)、いかなる障害も、いかなる遅延も、精神を鍛えてくれるだけだとお 考えになることです」  真の同志や友人からの意見や注意は、聞くことが大切である。  しかし、悪意を持った人間の悪口や陰口など、絶対に気にしてはならない。 損をするだけだ。  人は、口のある動物だから、感情的な人も、知性的な人も、嫉妬の悪口を言 いたがるものだ。気に病んだりするのは、愚かなことだ。  仏法では「嫉妬かさなれば毒蛇となる」(同一五四七ページ)と達観している。      ◇  先日、私は、シルクロードの天地・キルギス共和国から、名門オシ国立大学 のムルズブライモフ総長ご夫妻をお迎えした。意義深き名誉教授の称号を、お 持ちくださったのである。  キルギスでは、指導者にあるまじき「恥の中の大恥」として「嘘」があげら れてきた。 また十一世紀のキルギスの大詩人バラサグンは、「人格を台なし にする悪徳」の筆頭として、「中傷好きな舌」をあげている。  これは、洋の東西を問わぬ人間社会の大原則である。  「嘘をつくということは、そのことそれ自身が悪の絶対の形である」「嘘は、 悪魔の容貌である」とは、フランスの大文豪ユゴーの憤怒の叫びだ。  そうした悪辣な嘘に騙されたり、卑劣な中傷に屈すれば、幸福には絶対にな れない。  だからこそキルギスの民話の聡明な乙女は教えている。  「嘘」が人の耳に注がれても、自分の目で見破れば騙されない。「真実」を 見抜く、確かな目を持て! と。  賢く正しき女性の眼力と舌鋒ほど、強いものはないのだ。  「宗教改革の父」とも言われるオランダの人文主義者エラスムスも、教養深 き女性が、堕落し切った傲慢な坊主を痛烈にやりこめ、笑い飛ばす対話を描き 残している。  放蕩に耽る貪欲な坊主に、その女性は言い放った。  「知恵とは、人間にとって精神の富以外に幸福はないということ、財産も名 誉も血統も人間をより幸福にも、よりりっぱにもできないということを、悟る ことだと思います」  この無名の賢女が語った言葉は、私の胸から離れない。  ともあれ、わが「精神の富」と「生命の宝」に目覚めた女性には、何も恐れ るものはない。幸福と勝利の女性だからだ。      ◇  無慈悲な、残酷な悪世だ。若い女性を狙った凶悪事件も、あとを絶たない。  「人間の世界というより、まったく野獣の世界じゃないですか!」と、ある 母が泣きながら激怒していた。  だからこそ、聡明に、細心の注意で行動することだ。  大聖人も、「民の心・虎のごとし・犬のごとし」(同一二一七ページ)という 世情にあって、門下を護り抜くため、繰り返し戒めておられた。  また、特に夜間の注意は厳重である。  「よる(夜)は用心きびしく」(同一一六四ページ)――夜は用心を厳しくしな さい――  「かへらむには第一・心にふかき・えうじん(用心)あるべし、ここをば・か ならず・かたきの・うかがうところなり」(同一一七六ページ)――帰る時には、 一層、心に深く用心しなさい。この(帰宅の)機会を、必ず敵は狙うからである ――と。  弟子の夜の安全、無事故の帰宅のために、御本仏がこれほどまでに心を砕い ておられたのである。  ゆえに、大切な大切なわが女子部は――  (1)夜遅くならないように、早めに帰宅する。  (2)人通りの少ない道は避ける。一人で暗い夜道を歩かない。防犯ベル等 を携帯する。  (3)家族に心配をかけぬよう電話で帰宅時間を知らせる。  こうした基本を、今一度、真剣に確認しておきたい。  「さきざきよりも百千万億倍・御用心あるべし」(同一一六九ページ)との御 金言を、わが事として拝していくことだ。  絶対に、悪を近づけない。断じて、魔を寄せつけない。その毅然とした強さ と智慧をもたねばならない。      ◇  「苦労のない人が、幸福なのか。決してそうではない。  そういう人は、人間の深さを知らない不幸な人だ」  そう言った学者がいる。  決して、弱虫になるな!  泣きながら、怯えながら人生を送って、何のために生まれてきた価値がある のか。  心正しく、善悪に厳しく、忍耐強くあれ!  嵐にも負けず、すくすくと大樹になりゆく若木と同じ生命力ある命でなけれ ばならない。  人生に絶望など、絶対にあってはならない。  人間の歩みゆく道には、必ず光明が射していることを忘れまい。  目に見えて不幸になっていくような、悪の行為に縛られる女性になってはな らない。  周囲に惑わされ、縁に紛動されて、自分を見失ってはならない。毅然と強く あれ!  弱いことは、決して"女性らしさ"ではないのだ。  幸福の道を、賢明に、正しく、地道に、歩み抜く人には、晴れ晴れと、わが 幸福の到達点は見えてくる。  釈尊のもとで、正しき信仰を貫き通した、女性の弟子たちは、こう叫んでい る。  「悪だくみある者どもが、ここに千人の百倍も来ようとも、わたしは一本の 毛筋も動かしません。驚きはしません」  「(わたしの)心は、いかなるものにも汚されません」  彼女たちの胸には、無上の誇りが輝いていた。  "私は、偉大な師の女性の弟子なのです!" 2004年(平成16年)11月12日(金)掲載