フェイク 第560号(発行=04.11.24) 日顕が被災者を嘲笑、天台教学を自慢  四百年法要の常在寺、上空にカラスの群 日顕の説法に辟易、「もう止めてくれ」と参加者  東京・池袋にある常在寺の開創四百周年記念の法要が二十三日午前 十一時から午後三時まで行なわれた。これは修復改装工事の竣工に伴 う行事だが、日顕が導師を務めたばっかりに法要は重苦しい雰囲気に 包まれ、参加者の話によると、喜びも感動も有りがた味もないもの だったということだ。  参加者は信徒約四百人、坊主は総監の藤本日潤、尾林日至、光久日 康、小川只道ら約五十人。法華講員の説明では日顕は五台の車列を連 ね、その先頭のベンツに乗って十時半前に到着。間もなく信徒が本堂 に入場。式典は十一時過ぎに開始され、読経・唱題など型通りの式の 後、日顕が挨拶した。  この常在寺住職の細井珪道は妙観会の中心者で、日顕批判の急先鋒・ 花野充道の後ろ盾の一人だが、前法主の長男でもある。そのため日顕 は「自分は常在寺で得度した」とか「細井房(珪道)は頑張っている」 等々、お世辞を述べていた。  山本登喜夫(総代)の経過報告の後、総監の藤本と光久の坊主二人 が祝辞。なかでも、藤本は、この後に挨拶に立った総講頭の柳沢喜惣 次と口を合わせて学会を非難する話をしていた。  住職・細井珪道の話に引き続き「三師塔開眼供養」、記念植樹(お 手植え)があり、約一時間の休憩後、二時から本堂で日顕の「ご親教」 が始まったが、開始のアナウンスを聞いた参加者が「エエ〜ッ、もう 無しにして欲しい」と叫んでいた。  それもその筈、休憩の間、日顕ら主要な坊主は豪勢な食事に舌鼓を 打っていたが、その間、信徒は待機させられていた。午前十時頃から 集合していたのに、午後三時まで飲まず食わずのままである。  かつて日顕は「信徒の分際で……」と口走ったことがあるが、日顕 宗では信徒は人間として扱って貰えないのである。  こうして始まった親教で日顕は一時間にもわたって「太田左衛門尉 御返事」を通し、ダラダラと次のような御託を並べていた。      ◇ ○太田金吾は大聖人と同じ年。五十七歳は「厄年」。この御文の初め に「十貫文」を供養したとあるが、今なら1000万円に相当する。 ○…太田金吾は信徒でありながら「三大秘法抄」という重要な相伝書 を送られている。 ○…天台の教学について、私も天台教学を初めて読んだ時、壁の前に 立ちつくしたようだったが、今は天台の教学は殆ど分かる。 ○…(「当起遠迎当如敬仏」の言葉を通し)私も折伏行に励む信徒の 姿を見ると、手を合わせる思いだが、山にいて見られないけど……。 ○…ある団体は信越の地震で多数死んだ(ニンマリ)。宗門は守られ た。顕正会、正信会も大勢が死んだ。 ○…明後日より台湾に行きます。遊びじゃないですよ(場内、失笑)。 ○…(途中で御文の一部を飛ばして脱線した感じになり)私も頭がおか しくなって、何を言ってるのか分からなくなってきた(場内、失笑)。      ◇  長い法要に参加者は口々に「疲れた」と漏らす。この日顕の説法が始 まった頃、常在寺の上空には、何処からかカラスの群れが集まり、通行 人は「薄気味悪い」と早足で通り過ぎていた。