2006.2.22SP 名誉会長 中国の王毅大使と会談 ◆◆◆ 未来をつくるのは青年! 日中に若き心と心の橋を ◆◆≪大使≫ よき伝統を次の世代へ ◆◆≪名誉会長≫ 友情と信義は断じて貫く           ◇  池田名誉会長は16日午後、中国の王毅(おうき)駐日大使一行と東京・信 濃町の聖教新聞本社で会談。日中の永遠の友好のために、文化・教育・青年の 交流を一段と深めていくことを語り合った。これには中国大使館の程永華(て いえいか)公使、孫美嬌(そんびきょう)参事官、楊宇(ようう)1等書記官、 喬倫(きょうりん)2等書記官、また創価大学と学会の代表が同席した。           ◇  東京で、数日間続いた春のような陽気。この日は、時折の雨が都心を濡らし ていた。 【池田名誉会長】 きょうはご多忙のなか、本当にありがとうございます。  中国の唐の大詩人・李白(りはく)は歌いました。   ── 東風(とうふう)、雨露(うろ)をそそぎ、天地の春に入らんとす。 〈やわらかな雨が、風に静かにたなびきながら、天地の春に溶け込もうとして いる〉  この詩のごとく、春の到来を告げゆくきょうの佳き日に、王大使をお迎えで きました。本当に、うれしいです!  王大使は以前、お会いしたときと少しも変わらずにお若いですね(笑い)。 【王毅大使】 そんなことありません(笑い)。  私こそ、日本に赴任してから、池田名誉会長にお目にかかることを、ずっと 楽しみにしておりました。  このような機会をいただき、大変にうれしく、また光栄に思います。   ── 王毅大使は52歳。北京第2外国語学院(日本語専攻)の卒業で、中 国外務省きっての日本通として知られる。  この日の会見も、すべて流暢な日本語で行われた。  王大使は外務省史上最年少の33歳で、アジア局の日本処長に就任。その後、 駐日大使館の勤務を経て、アジア局長、外務次官などを歴任した。  名誉会長と江沢民(こうたくみん)国家主席との会見にも、2度(1992 年4月、98年11月)、同席している。  2004年9月に駐日大使に就任。鋭い頭脳と端正な容姿で、「中国外交界 のスター」「若きエース」と称される人物である。 ◆◆ 今夏[200人の訪中団]を派遣へ ◆◆ 熱情ある青年の大交流を! ◆国交の正常化に多大な貢献 【名誉会長】 残念ながら、今、日中関係は厳しい状況にあります。  だからこそ私たちは、いっそうの決意をもって、両国の友好のために尽くし ていきたい。絆(きずな)を強めてまいりたい。  そのためにも、本年の夏、学会として200人の青年訪中団を派遣したいと 考えています。  より多くの日本の青年が中国を訪れ、心かよう友情を結んでいってほしい。  かつて胡錦濤(こきんとう)国家主席と再会した際(1998年4月、当時 副主席)も、「青年が熱情ある交流をしていく以外に、平和友好を発展させる 道はない」と語り合いました。  平和こそ万民の願いです。そのためにも、民衆の交流を深めていくことです。 なかんずく青年が、未来をつくる。  この思いで、私たちは日中の青年の交流を進めてきたのです。 【大使】 大いに賛成です。  中国と日本が国交正常化する前の1960年代から、名誉会長は両国民の利 益のために、またアジアと世界の平和のために、率先して、両国の国交正常化 を呼びかけてこられました。  そして、正常化のために多大な貢献をしてこられました。  私たちの言葉で言うと、名誉会長は「井戸を掘った功労者」で、中国人民が 尊敬する、私たちの古い友人です。その素晴らしい貢献は、中日交流の長い歴 史のなかで、大変重要な一ページとなっています。  国交正常化の後も、周総理との出会いをきっかけに、中日間に友情の「金の 橋」をかけ、教育・文化の面で両国民の相互理解のために、大変多くの有意義 な仕事をしてこられました。  ほとんどの中国人が、名誉会長のことを知っています。  さらに名誉会長はアジアと世界の平和のために奔走(ほんそう)し、大きな 貢献をしてこられました。名誉会長はまさに「友好の使者」であるだけでなく、 「平和の使者」です。 ◆日中友好こそアジアの平和の礎(いしずえ) 【名誉会長】 恐縮です。温かなお言葉に、心から感謝申し上げます。  きょう2月16日は、私どもが信奉する宗祖・日蓮大聖人の御聖誕の日です。  仏法も、貴国を通して学びました。それ以外にも、日本は多くのことを貴国 から学びました。  貴国は日本にとって、文化大恩の「師匠の国」です。  しかし、この大恩ある中国を、日本は非道にも侵略しました。  戦時中、創価学会は日本の軍部政府と戦って弾圧され、牧口初代会長、戸田 2代会長は牢獄へ入れられました。そして、牧口先生は獄死です。  学会は一貫して、軍国主義と戦い抜いてきました。  貴国を心から敬愛し、大切にして、貴国の恩義に報いていくところに、日本 の正しき軌道があります。この報恩を仏法は教えています。  その意味からも、私は貴国との文化・教育交流に尽くしたいのです。それが、 貴国への恩返しとなるからです。   ── 会見で大使は名誉会長の中日友好への尽力に重ねて謝意を表するとと もに、中日関係の現状に憂慮を表明。  日本と中国はお互いに隣国であり、中日関係は極めて重要である。  両国の国民の利益、アジアの平和を考え、中日関係の政治的障害を克服し、 関係改善する必要があると述べた。  名誉会長は「日中の友好関係なくして、アジアの平和も世界の平和もない」 との長年の信念を語るとともに、先月発表した「SGI(創価学会インタナシ ョナル)の日」記念提言のなかで、日中関係の改善を強く訴えたことに言及し た。  提言で名誉会長は述べている。  「"壁にぶつかった時は原点に帰れ"という言葉がありますが、日中関係が 現在の袋小路から抜け出すためには、国交正常化時の精神を再確認することか ら出発すべきではないでしょうか」  名誉会長は、提言には各界から多大な反響が寄せられたと述べ、「心ある多 くの人々は、貴国との関係の打開を願っています」と語った。  大使は名誉会長の提言に賛同を表明。そして、「今こそ、34年前の国交正 常化の原点にもどり、周恩来総理と日本の指導者の間で交わされた約束をきち んと守り、それに背くような言行を避けることによって、中日関係の未来が開 かれるものだ」と述べた。 ◆周総理との約束 【名誉会長】 周総理はかつて、インドネシアのバンドンで行われたアジア・ アフリカ会議に際して、「平和友好の正義の事業は破壊されるものではない」 (森下修一編訳『周恩来選集』中国書店)と語られました。  平和と友好の事業を絶対に止めてはならない。私も、この断固たる信念を共 有し、行動を続けていく決心です。  また、11世紀の北宋(ほくそう)の文学者・欧陽脩(おうようしゅう)は、 「同心にして共に済(たす)け、終始一(いつ)の如し」と記しています。  心一つにしてともに助け合い、終始一貫して変わらない ── それが真の友 情です。  中国と日本も、こうした友情を築いてまいりたい。  かつて私が対談した歴史家のトインビー博士も、中国と友情を結ぶことが日 本にとって重要であると語っておられました。  また、論語には「朋友(ほうゆう)と交わりて信ならざるか」とあります。  友と交わる際は、言葉を決して違えず、信用を重んじなければならない。私 は、この信念でやってきました。  これは、私の恩師から厳しく教わったことでもあります。  私にとって、日中の友好は周総理とお約束した信義の道です。この信義を断 じて果たし抜き、さらに、若き後継の友に、この道を託していく決意です。 【大使】 ありがとうございます。 ◆◆ 平和を築く力は教育     ── 創価大学が北京事務所を《創大は20以上の中国の大学と交流》 ◆◆ 中国は文化大恩の国     ── 民音が中国京劇院を招聘《2ヶ月間で64回の公演》 ◆たゆみなく教育と文化の交流を 【名誉会長】 来る3月、創価大学の北京事務所がオープンします。  創価大学は、貴国の20を超える大学と交流を結んでいます。  今後、この事務所を拠点として、創価大学と北京語言大学とのデュアルディ グリー・プログラム(両大学からの学位を同時に取得できる制度)の実施や、 さまざまな共同研究など、一段と教育・学術交流を進めていく予定です。 【大使】 大事なことです。私どもも、ぜひ協力したいと思います。 【名誉会長】 創価大学が、いち早く、新中国から素晴らしい留学生の方々を お迎えして、今年で31年になります。  きょう同行されている程永華(ていえいか)公使は、誉れある"留学1期生" です。  日中友好への願いを託した「周桜(しゅうざくら)」も、大きく美しく育っ ています。大使も、またぜひ、創価大学にお越しください。 【大使】 ありがとうございます。 【名誉会長】 文化交流も大事です。  私どもの民音(民主音楽協会)は本年6月、貴国を代表する最高峰の「中国 京劇院(きょうげきいん)」を招聘(しょうへい)します。2002年に次ぐ、 2度目の民音公演になります。  〈同京劇院の初代院長は、伝説的な名優・梅蘭芳(メイランファン)。池田 名誉会長は、同京劇院の名誉芸術顧問である〉  今回は、2カ月にわたって64回の全国公演が行われ、「三国志」の名場面 の数々が一挙に上演されます。日本中が楽しみにしています。  貴国との文化交流を、これからもたゆみなく続けてまいりたい。 【大使】 うれしいことです。心から賛同します。 ◆未来に目を! 平和的に発展! 【名誉会長】 王大使は、これまでも要職を担ってこられました。  大使に赴任される以前、2003年、2004年には、朝鮮半島の核開発問 題をめぐる「6力国協議」で、中国の首席代表を務められた。  優れた外交手腕を発揮し、きわめて重要な仕事をされました。〈当時は外務 次官〉  大使就任からは、積極的に各地を回り、日本の各界の人々と交流を結ばれて いる。  スピーチやインタビュー等にも、精力的に取り組んでこられました。  そうした激務のかたわら、スキーやテニスなどのスポーツもたしなんでおら れる。  周囲の人は「スーパーマン」(超人)と呼んでいるそうですね。 【大使】 恐縮です。名誉会長は、なんでもご存じですね(笑い)。 【名誉会長】 当然です(笑い)。大使は大切な方ですから。  昨年の11月には、中国の大使として初めて「日本外国特派員協会」で講演 され、各国の記者からの質問に見事に答えられました。  ほかに講演をされたのは、早稲田大学、慶応大学、中央大学、防衛大学校、 日本学士会、立命館孔子学院など……。  「創価大学でも、ぜひ講演を」と、多くの人が期待しています。 【大使】 喜んで、うかがいます。 【名誉会長】 大使への就任直後に、「いかにして中日関係を健全かつ安定的 に発展させるか」を念頭に、「一つの基盤」と「三つの目標」を提案されてい ますね。 【大使】 ええ、その通りです。 【名誉会長】 「一つの基盤」として大使は、1972年の国交正常化の際に 発表された「中日共同声明」、そして「中日平和友好条約」と「中日共同宣言」 を挙げられました。  「三つの目標」とは、第一に「歴史を鑑(かがみ)とし、未来に目を向ける」。  第二に「互恵協力(ごけいきょうりょく)し、子々孫々友好していく」。  そして第三に「平和的に発展し、共にアジアを振興する」。  いずれも明快な、根本的な指標です。 ◆高まる中国語熱   ── さらに語らいでは近年の中国の目覚ましい発展ぶりが話題に。  宇宙開発の分野では、明年、初の月面探査衛星の打ち上げを予定。昨年10 月には2度目の有人宇宙飛行に成功した。  経済の発展も良好。  世界銀行は、本年の中国経済は9・2%の成長になるとの予測を発表してい る。  こうした勢いを反映するように、今、世界的に「中国語ブーム」が起きてい る。世界の中国語学習者の人口は明年、1億人に達するとも言われる。 【名誉会長】 2008年には「北京オリンピック」、2010年には「上海 万博」が開催されますね。これも大きな話題です。 【大使】 ええ、楽しみです。  先日、トリノ・オリンピックでも、フィギュァスケートで銀メダルを獲得し た男女のペアが素晴らしかった。  女性が演技中に負傷しながらも、あきらめずに挑戦。その姿は世界に感動を 広げました。  〈13日、ペアの自由演技に出場した中国の張丹(ちょうたん)選手と張昊 (ちょうこう)選手〉  ヨーロッパ勢だけでなく、アジアの国々が活躍し、一つでも多くの栄冠を勝 ち取ることを願っています。、・ ◆大変な中でも学び続けた 【名誉会長】 王大使は、10代の半ばから「文化大革命」を経験されていま す。  「下放」(かほう=知識人・学生を地方に行かせた)のため、約8年間、東 北の黒竜江(こくりゅうこう)省の農村で過ごされた。  冬はマイナス30度から40度まで気温が下がる極寒の地で、農作業のかた わら、多くの書を読み、学んでこられたのですね。 【大使】 あの8年間は、私は農民の生活でした。長く、大変な期間でしたが、 そのおかげで、身をもって、中国の本当の姿を知ることができました。  このことは、私の人生にとって、大変に有意義な経験となりました。 【名誉会長】 この苦闘の日々は、何万冊の書よりも貴重な教えとなったので はないでしょうか。  その後、北京に戻って大学で日本語を学ばれたのですね。 【大使】 そうです。  ?小平(とうしょうへい)氏のおかげで、大学入学の制度が復活したのです。  24歳の時、私は、北京第2外国語学院に入学することができました。  遅いスタートでしたが、4年間、一生懸命に勉強しました。 【名誉会長】 奥さまと知り合われたのは、そのころですか?(笑い) 【大使】 大学を卒業して、外交部(日本の外務省)に入りました。いろいろ、 仲をとりもってくださる方も出てきます。  そして「この人だ!」という女性と出会ったのです(笑い)。  妻は、周恩来総理と関わりがありました。妻の父親が、総理のもとで働いて いたのです。 【名誉会長】 外交にも力を発揮された銭嘉東(せんかとう)氏ですね。 【大使】 そうです。  じつは、名誉会長が周総理と会見された1974年ごろも、妻の父は総理の 秘書官として、ずっと、そばで仕事を手伝っていました。  中国が一難しい時であり、総理にとっても難しい時期でした。 ◆母の励ましの手紙が支えに 【名誉会長】 大使のご両親はどんな方でしたか。  お父さまとお母さまのどちらの影響が大きかったと思いますか? 【大使】 ありのままに申しますと、小さいころは両親がともに忙しく、南方 にいる祖父のもとで育てられました。  北京にもどったのは、小学校3年の時。私が両親と一緒に住んだのは、小学 校6年までの3年間だけでした。  母は、優しさのなかに厳しさもありました。  やはり、父よりも母の影響のほうが大きかったように感じます。  一番印象に残っているのは、農村に行った私のことを心配して、母が、いつ もいつも手紙を送ってくれたことです。  当時、15、6歳だった私にとって、大きな支えとなりました。  思えば、大変な嵐の時代であり、母もまた生活は厳しかったのです。  そのなかで、いつも私を励ましてくれたことに感謝は尽きません。 【名誉会長】 大事なお話です。お母さまの深い愛情が伝わってきます。  お父さまと将来のことや仕事のことについて語り合われた思い出はありまし たか。 【大使】 父は北京大学で林業を専攻しました。  寡黙な人で、週に一度、家に帰ってきては、仕事に戻る。そういう生活でし た。  ですから、面と向かって、そういう話をした記憶はありません。  しかし、自分が父親になった今、気づくのは、山の仕事を続けていた父から も深い影響を受けているということです。  私は山が好きです。  とくに、森の中へ、自然の中へ入っていくのが楽しい。これは父の影響だと 思うのです。  山に登ると、人はだれでも寡黙になります。その感慨は、言葉では言い尽く せません。  大自然、そして永遠の山を前にして、人間の存在、社会の転変(てんぺん) を見つめなおすことができる。  先日、休暇で帰国した際、四川(しせん)省の雪山へ行きました。馬に乗っ て、数千メートルもの高地まで登る。その先は歩いて登る。  電気も、電話も、テレビもない。そういうところで暮らす11世帯の小さい 村。そこで酒を酌み交わし、ともに歌を歌い、語り合いました。眠るのも、馬 や牛と一緒でした(笑い)。 【名誉会長】 心温まる光景が目に浮かびます。 ◆いつも前へ! 【名誉会長】 雪山といえば、大使はスキーがお上手ですね。 【大使】 今でもチャンスがあれば、スキーを楽しみます。きっと山に登るス ポーツだからでしょう(笑い)。  スキーで滑降(かっこう)するときのキーポイントは、「いつも前へ行く」 「前を向く」ということではないでしょうか。  こわがって、後ろ向きになってはいけない。むしろ危ない。スピードが速い ほどそうです。  度胸がいる。信念が必要です。  もし自分をコントロールしたいなら、前を向くことだ ── それをスキーは 教えてくれます。 【名誉会長】 大使の人柄をほうふつさせる、味わい深い話です。 【大使】 国は永遠に存在していきますが、そこに生きる人間は、一つの世代 から、次の世代へと、未来を託していきます。  それぞれの世代に、それぞれの役割がある。  私が10代の時には、文化大革命がありました。その後、改革・開放の時代 を迎えました。  以前の中国と、改革・開放の現代の中国。その両方を知っている。それが私 たちの世代です。  しかし自分たちの世代の限界もあります。文革の時代にはコツコツと自力で 勉強を続けましたが、十分には学べなかった。  私たちの世代の使命は、先輩の伝統を受け継いで、優秀な後輩たちにバトン タッチしていく。橋渡しをしていく。  その使命を、私は一生懸命、果たしていきたいのです。   ── 日中の永遠の友誼(ゆうぎ)へ、語らいは尽きない。  再会を約し合う、名誉会長と王大使。  未来への思いを馳せ、大使は芳名録に綴った。  「友好の金の橋   平和の使者」  力強い筆致である。  「池田先生が言われた『金の橋』との言葉を綴りました」と語る大使。  外へ出ると、雨は上がっていた。友好の未来を映(うつ)すかのように。