2006.3.1SP  第2総東京代表協議会での名誉会長のスピーチ ◆◆◆ 進め! 広布のフロンティア(開拓の最前線)へ ◆◆◆ もう一つ 学会を創る勢いで        ── 第2総東京は拡大の震源地たれ ◆◆ 先手は必勝 後手は敗北        ── 一日一日改革! 一日一日真剣勝負! 【名誉会長のスピーチ一  一、一日一日が、勉強である。  一日一日が、改革である。  一日一日が、人間革命である。  一日一日が、真剣勝負である。  リーダーは常に情報を共有し、意見を交換しながら、良き智慧を出し合い、 的確な改革の布石を打ってまいりたい。  イギリスの歴史学者・トインビー博士は語っている。  「変革の必然性に対処する建設的な方法は、変革がぬきさしならなくなって くる以前に、自発的に変革を行うことである。われわれが行動を起すのが早け れば早いほど、われわれの選択の範囲は広くなるだろう」(「中央公論」19 62年7月号)  大事なことは、「先手」を打つことだ。  手を打つべきときに、手を打たないことを、「後手(ごて)」という。  「後手は敗北」「先手は必勝」である。  特に現代社会は、変化のスピードがどんどん早まっている。ゆえに、指導者 が安閑としていては、時代に取り残されてしまう。  インドの大詩人タゴールは言った。  「頭を働かせない者は、わずかな変化をも受けつけない固定化した習慣にな じんでしまうものである」(森本達雄訳「自治への闘い」、『タゴール著作集 第8巻』所収、第三文明社)  常に頭脳を回転させて、斬新な発想をしながら進むことだ。  硬直した慣習は一つ一つ見直して、柔軟に変化させ、日々、生き生きと脱皮 していくことだ。 ◆生涯、最前線で!  一、学会は広宣流布のための「折伏の団体」である。  どこまでいっても弘教・拡大が根本である。  平和・文化・教育などの各分野で活躍するリーダーも、この根本を忘れては いけない。  地道に拡大を進める広布の現場から離れてはいけない。  それでは偉大な功徳は出ない。折伏精神を失い、見栄ばかり張って、要領を 使うようになると、やがて信心がおかしくなってしまう。  生涯、広布の最前線に立つことだ。  60代、70代になっても、「こういう自分になろう!」と目標をもち、生 き生きと、同志とともに進む。組織の現場に入り、ともに苦労し、ともに弘教 に取り組んでいく。  そこに永遠の功徳がわく。信心の大きな書びがあるのである。 ◆勝利の大行進  一、日蓮大聖人は、仰せになられた。  「師子の声には一切の獣・声を失ふ」「日天(にってん)東に出でぬれば万 星(ばんせい)の光は跡形(あとかた)もなしし(御書1393ページ)  師子のごとく堂々と、そして、旭日(きょくじつ)のごとく赫々(かっかく) たる、第2総東京の勝利、勝利の大前進を讃えたい。本当におめでとう!(大 拍手)  見事な歴史を残してくださいました。各区の麗(うるわ)しい団結があった ことも、全部、分かっております。  尊いご健闘を、心からねぎらい、感謝申し上げたい(大拍手)。 ◆生長点を定めよ  一、フランスの信念の文豪ロマン・ロランは綴っている。  「年齢とともに進歩し、別のものに、より偉大なものになるように不断の努 力によって、自己の真の進歩をみるのです。どの年齢にも、その務めがありま す!」(宮本正清訳「クレランボー」、『ロマン・ロラン全集5』所収、みす ず書房)  個人も、団体も、一年また一年、堅実に前進し、発展の年輪を刻んでいかね ばならない。  そのために、どこに力を入れ、どこを伸ばしていけばよいか。  その新たな飛躍のためのフロンティア ── 開拓の最前線を、明確に見定め ていくことが大事となる。  植物にも、「生長点(せいちょうてん)」と呼ばれる組織がある。  すなわち、根や茎の先端部にあって、次々に細胞分裂を繰り返し、新しい細 胞をつくり出している場所である。  大宇宙にも、新しい星が続々と誕生していく際立った星雲がある。  次元は異なるが、広宣流布の組織においても新たな人材が綺羅星(きらぼし) のごとく光り輝いていく拡大の電源地がある。  いな、その電源地をつくり出していかねばならない。  私は、その希望の天地を、ここ「第2総東京」と定めたのである。 ◆この地にこそ!  一、私は、この第2総東京を揺るぎなく確立するために、決然として、立川 文化会館へ向かった。そして指揮を執り始めた。  昭和52年(1977年)の師走、12月23日の開館記念勤行会に出席し て以来、幾たびとなく足を運んだ。  本部にいては、分からない。  まず動くことだ!  まず語ることだ!  そして、この前途洋々たる第2総東京の未来構想を広げていきたい。素晴ら しい第2総東京を隆々と栄えさせていきたい ── こう強く深く、私は決心し ていた。  ここ第2総東京には、非常に優秀な人材が多い。そしてまた、まれに見る仲 のよい異体同心の団結がある。  「ここに21世紀の広宣流布の新たな大城を!」  「ここに21世紀の教育と文化の大拠点を!」と、私は展望しながら、盤石 な基礎を築き上げていったのである。  その私の真情(しんじょう)を知る人は、少なかった。しかし、私は第2総 東京の大建設を断行したのだ。  私が還暦(かんれき=60歳)を迎えたとき、93歳の松下幸之助氏が、「も うひとつ〈創価学会〉をお作りになられる位の心意気で」との心温まる祝詞を 寄せてくださったことがある。  私にとって、まさしく第2総東京の建設は、第2の創価学会をつくる決心で の大事業であったことは間違いない。 ◆世界が仰ぎ見る素晴らしき大城(だいじょう)  一、うれしいことに、今や第2総東京は、東京23区とともに、日本中、世 界中が仰ぎ見る、素晴らしき大城となった。  世帯数も、史上最高を更新中である。  聖教新聞の拡大も全国をリードしている。  教宣部の皆さま方は、"日本一の破邪顕正の言論戦"を展開している。  「信・行・学」の実践も、婦人部を中心に全国の模範である。  常に新しい人材を育てゆく「コスモス平和大学校」は、婦人部、女子部が一 体となって、目覚ましい成果をあげてこられた。〈現在の5期生は、1万50 00人を超える。累計では8万5000人を数えている〉  友人も参加して、学会への理解を深めておられる。  母娘(ははこ)が一緒に学ぶ麗しい姿も増えてきた。  さらに、親子3代で学ぶ一家もあるとうかがった。  まさしく、たゆみなき持続こそ力である。  宝寿会の方々は、地域に開く、はつらつたる対話を繰り広げておられる。  「ヤング桜城(おうじょう)池田会」を中心として、ヤング・ミセスも朗ら かに広布拡大の先駆を切っている。  婦人部の力強い支えもあって、女子部の部員増への取り組みも、模範と輝い ている。  さらに、女性広報部の活躍も目覚ましい。創価の花の"女性大使"として、 「理解」と「共感」と「信頼」をさわやかに広げてこられた。  名士の方々を、東京牧口記念会館に案内する見学会も13回を数えた。  東京牧口記念会館も開設13年を迎え、来館者は世界の国家元首をはじめ、 180万人を超えた。  第2総東京は、地域貢献にも先駆。30代、40代の壮年・婦人部が中心と なって、「地域先陣会」を結成している。  また、壮年部の「21世紀前進大学校」の卒業生は5000人に。そして若 手壮年部の「創価勇勝(ゆうしょう)会」も意気軒高(いきけんこう)である。  そして今、あの地この地で、美しき友情の大輪を満開に咲かせているのが女 子部である。その先頭を走る「2010年グループ」「ハピネスグループ」の 活躍が、とりわけ光っている。  また女子部は毎月、「友人参加の部活」に挑戦。地区リーダー中心の「草の 根大教学運動」の推進も見事である。、男子部は、本部長を対象とする教学研 鑚グループ「本陣正義大学校」を新たに結成。  総区男子部長の担当による「部別御書講義」、毎月の「教学部活」などとあ わせ、次代を担う力ある人材を育成する。  未来部は、毎月の「未来部の日」に各地で「支部未来部会議」を開催。  各部が一丸となって後継の友の育成・激励に取り組んでおり、本年に入って、 部員会への参加者が激増している。 ◆大法弘通(だいほうぐつう)の波を  一、ともあれ、ここ八王子も、創価大学が誕生した当時と比べて、人口が倍 増している。  まさに隔世の感を覚える。社会的にも、さらに大発展しゆく要因が満ち満ち ている。  新しく完成した八王子の歌「世界の宝 創価城」に、「今 前進の八王子」と 高らかに歌われている通り、伸びゆく青年の情熱にあふれている。  大聖人は、「かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と 同じく法華経を弘むべきなり」(御書903ページ)と仰せになられた。  創価学会常住の「大法弘通慈折(じしゃく)広宣流布大願成就」の御本尊は、 厳然と、ここ東京牧口記念会館に御安置されている。  この偉大な使命を帯びた第2総東京から、次の50年へ「大法弘通」そして 「慈折広宣流布」の新たな大波が広がりゆくことを、私は確信してやまない。  ともあれ、自分自身の人生においても、自分たちの組織においても、現状に 満足することなく、常に"もう一つの大城""第2の大城"をつくり上げてい く気概をもって、大発展の歴史を残していきたいものである。 ◆卑劣なる中傷  一、八王子から見る、白雪の富士は美しい。  富士を数多く描いた、近代日本画の大家に、「横山大観(よこやま・たいか ん)」(1868?1958年)がいる。  私も東京富士美術館で大観の富士の名画を鑑賞したことを思い出す。  「富士」は「不二(ふじ?」とも書かれる。  「師弟の関係というものは、まことに美しいものです」(横山大観著『大観 画談』日本図習センター)  横山大観は、この言葉そのままに、美しき不二(ふに)なる師弟の道を生き 抜いた一人である。  大観が終生、敬愛し続けた師匠とは、近代日本美術の父と謳われる「岡倉天 心」(おかくら・てんんしん=1862?1913年)である。  青春時代、天心の著作に親しんだことは、私にとって懐かしい思い出だ。天 心とタゴールの深き交友も有名である。  天心は、自ら創設に関わった東京美術学校(現・東京芸術大学の母体の一つ) の校長を務め、大観をはじめとする幾多の逸材を薫陶していた。  ところが、天心が信頼し、美術学校の主任教授にまで登用した人闇が、ある 事件をきっかけに、天心に筋違いの恨みを抱くようになった。  そして、大恩ある天心への誹謗中傷を記した怪文書を、多くの人々に送りつ けたのである。  文書には「有為(ゆうい)ノ青年ヲシテ尽ク魔道(まどう)ニ陥(おちい) ラシム」等と、天心への悪口が書き連ねてあった。〈木下長宏著『岡倉天心』 ミネルヴァ書房〉  この文書が一つの原因となり、天心は、精魂を傾けた美術学校の校長を辞職 せざるをえなくなったといわれる。 ◆不正を許すな!  一、天心が校長の職を追われようとした時、決然と抗議に立ち上がったのが、 大観ら弟子たちであった。  弟子の教員たちは辞表を提出し、連名で声明書を発表した。その趣旨は、次 のようなものであった。   ── 人身攻撃をもって岡倉先生を排斥(はいせき)した行動は、実に恥ず べきことである。そもそも、岡倉先生は、長く美術教育に尽力してこられた。 この美術学校も、先生が創設に奔走されたのである。  その先生の労苦と功績を忘れ、不当な罪、不当な人身攻撃を理由に、校長職 を奪うとは!  ならば、先生の恩を受けた者が、この不正を傍観し、学校の職に留まること はできない ──  そして、多くの弟子たちが実際に、職を辞したのである。  どこまでも、恩ある師匠とともに ── 弟子・大観の心は決まっていた。  私には、牧口先生が時の権力者の横暴によって、小学校の校長を追われた時、 師をお守りして行動をともにされた戸田先生の姿が思い起こされる。  大観は、天心が健在のときも、亡きあとも、師匠の恩を絶対に忘れなかった。  恩師を宣揚(せんよう)し、恩師の事業を発展させるために、終生、戦って いった。師匠の偉大さを叫びきっていったのである。 ◆◆◆ 不二なる師弟は美しい!     ── 師匠〔岡倉天心〕の偉大さを叫びきった弟子〔横山大観〕     ── 「毎日の精進こそ師への最大の報恩」 ◆師への深い感謝  一、後に、天心が新しい美術教育の機関を設立した時にも、大観は即座に馳 せ参じた。  大観は記している。  「岡倉先生というお方は、本当に偉い人でした。時がたてばたつほどその偉 さがわかって来ます」  「顧(かえり)みますと、私は実に岡倉先生から厚い恩誼(おんぎ)を享(う) けています」  「このありがたい先生のご期待に背(そむ)くまいと、私はただ脇目もふら ず、一筋に芸術への精進をつづけて来ました。  今日、私がこのはかり知れない先生のご恩誼にお報いすることのできるもの といえば、それはこの芸術への精進という一事以外には何物もありません。  先生は年若くして亡くなられたとは申しますものの、先生のご精神はいささ かも亡びず、今なお生きていられます。先生はいつもいつも私を見守っていて 下さいます」(前掲『大観画談』)  師弟の道に生き抜く人生は、美しい。  師匠というのは、弟子の一生の勝ち戦(いくさ)のために、希望と力を贈っ てくれる存在である。  大観の言葉には、師への深い感謝の思いがあふれている。 ◆永遠の発展の道  一、仏法の真髄もまた、師弟にある。  妙法流布の先頭に立ち、軍部権力の弾圧をはじめ、あらゆる大難と闘い抜い た牧口先生。  弟子の戸田先生は、牧口先生と一緒に牢獄まで行かれた。そして一人、生き て牢獄を出て、学会の再建に立ち上がられたのである。  本当に偉大な先生であった。  私は戸田先生を師匠と仰いだ。先生が事業の破綻で苦境にある時も、わが身 をなげうって支え抜いた。  戸田先生を守ることが学会を守ることになる。広宣流布を進めることになる ── この思いで戦い、断じて勝った。  先生は、私を見つけ、育ててくださった。私を大事にしてくださった。 そして、学会の一切を私に託されたのである。  学会の発展の根本は、三代の師弟の闘争にある。  この「師弟の精神」がある限り、学会は永遠に発展の軌道を進んでいくこと ができる。 このことを絶対に忘れてはならない。 ◆真実が勝つ  一、岡倉天心は記している。  「声の質というものは、思想そのものよりも、よく魂の内面をのぞかせるも のです」(『岡倉天心全集第7巻』所収、大岡信訳、平凡社)  声で心が伝わる。断固たる勇気の声を響かせてこそ、正義の勝利が開かれて いくのである。  天心は、こうも綴っている。  「真理はそれ自身の力で虚偽を打ち倒すでありましょう」(『岡倉天心全集 第6巻』所収、小野二郎訳、平凡社)  最後には真実が勝つ。また、絶対に真実が勝つ社会をつくっていかねばなら ない。  一、著名な教育者であり、農政学者であった新渡戸稲造(にとべ・いなぞう) 博士は、「新聞雑誌の中には、人の名誉を毀損(きそん)するを以て、一の楽 みとなし、又は之を商売の方法と心得る」ものがあると述べている(『新渡戸 稲造全集第7巻』教文館)。  現代にも通じる、鋭い指摘であろう。  私は青年時代、学会や戸田先生への不当な中傷は絶対に許さなかった。  「真実の剣」「言論の剣」を掲げて、真剣に戦い抜いた。  忘れ得ぬ歴史である。 ◆徹して責め抜け  一、戸田先生は、悪い人間に対しては、それはそれは厳しかった。  将来、学会の中から反逆者が出ることを予見され、「インチキな人間は追放 しろ」と遺言のごとく語っておられた。  残念ながら、その後、同志のおかげで社会的に、偉くなりながら、学会に反 逆し、恩を仇で返す卑劣な人間が現れた。  「人間の最大にして最多の悲惨は、不幸以上に人間の不正に基づいている」 (御子柴善之訳「コリンズ道徳哲学」、『カント全集20』所収、岩波欝店) とは、ドイツの哲学者カントの言葉である。  尊き同志をバカにし、陰に隠れて不正をなすような人間、私利私欲を貪(む さぼ)るような人間を絶対に許してはならない。  また、フランスの文豪ロマン・ロランは、小説のなかで綴っている。  「自分たちと同じようにひたすら正義のための熱意にうごかされているもの とばかり彼らが信じていた人々、彼らのたたかいの僚友(りょうゆう)であっ た人々が、ひとたび敵が敗退するやいなや、利権に飛びつき権力を独占し、栄 誉と地位とをかっぱらい、正義を踏みにじるありさまを彼らは見た」(片山敏 彦訳「ジャン=クリストフ」、『ロマン・ロラン全集3』所収、みすず書房)  こうした浅ましい、愚かな人間は、どこにでもいるものだ。  御書には「前車(ぜんしゃ)のくつがへ(覆)すは後車のいまし(誡)めぞ かし」(1083ページ)と記されている。  学会に仇(あだ)をなし、反逆していった人間は皆、哀れな末路をたどって いる。これは後世への戒(いまし)めであり、重大な教訓なのである。  同じことを繰り返さないためにも、悪の根は断ちきっておかねばならない。 そのためには正義の言論で、徹して戦っていくことだ。最後まで、容赦なく攻 め抜くことだ。  悪と戦うのがリーダーである。  要領ではない。また、曖昧(あいまい)であったり、中途半端であってはい けない。  悪と戦わないのは、結局、悪と同じになってしまうのである。 ◆◆◆ 妙法は絶対的幸福の軌道 ◆◆ 〔生も歓喜!〕〔死も歓喜!〕常楽我浄の大境涯に ◆必ず同じ所に生まれてくる  一、現在、私は、「『生老病死と人生』を語る」とのテーマで聖教新聞紙上 に連載を続けている。  人間の本来的な「生老病死」の苦脳をどうすれば乗り越えていけるか。そこ に確かな解決の光を当てたのが仏法の英知である。  「愛別離苦(あいべつりく)」 ── 愛する人との別れもまた、だれ人たり とも避けられない。その点についても仏法は明快な示唆を与えている。  南条時光(なんじょう・ときみつ)の父は、時光が7歳のときに、若くして 病気で亡くなった。  圧迫を恐れず、大聖人に帰依し、一家の宿命転換の道を厳然と開いた父であ った。  大聖人は、時光の母にあてて、「(亡くなられた夫君〔ふくん〕は)生きて おられたときは生の仏、今は死の仏です。生死ともに仏です」(御書1504 ページ、通解)と仰せになられた。  生命は永遠である。  妙法に生き抜く生命は、「生も仏」「死も仏」である。ゆえに、必ず必ず、 「生も歓喜」「死も歓喜」の大境涯を、悠々と堂々と進んでいくことができる のである。  夫の心を継いで、時光の母は、強盛な信心を貫き、時光ら子どもたちを立派 な後継者へと育て上げていった。子どもたちも、父から学んだ信心を毅然(き ぜん)と受け継いでいった。  その時光も、当然、「自分は早くに父を失い、、いろいろ教えてもらうこと ができなかった」との無念な思いも抱いていたようだ。  その時光の心を深く知っておられた大聖人は、こう励ましておられる。  「この経を受持する人々は、他人であっても同じく霊山に参られて、また会 うことができるのです。まして、亡くなられたお父さまも、あなたも、同じく 法華経を信じておられるので、必ず同じところにお生まれになるでしょう」(同 1508ページ、通解)と、お約束なされているのである。  妙法で結ばれた縁(えにし)は永遠である。  いわんや、妙法に生きる家族は、同じところに生まれ合わせていくことがで きる。それが、不可思議なる妙法の力用(りきゆう)なのである。 ◆必ず会える  一、熱原の法難のときも、南条家は広布の牙城(がじょう)となった。襲い かかる三障四魔と、時光は一歩も引かずに戦った。  法難の後、幕府は時光に経済的な圧迫を加えた。これは何年も続いたが、敢 然と耐え抜いた。  時光の父が逝去して15年後、今度は、時光の弟の七郎五郎が、16歳の若 さで、急逝(きゅうせい)した。大聖人も、その成長を心から期待されていた、 頼もしい好青年であった。  母の悲しみと嘆きは、あまりにも深かった。  大聖人は、その母の心の奥深くに希望の光を灯(とも)されるように、こう 教え励まされたのである。  「(亡くなられたご子息に)やすやすとお会いになる方法があるのです。釈 迦仏を御使いとして、霊山浄土へ参り、会われるがよいでしょう。  (法華経方便品第二に)『若し法を聞く者あらば、一人として成仏せずとい うこと無けん』と言って、大地をさして外れることがあっても、日月は地に落 ちられても、潮の干満がなくなる時代はあっても、花は夏に実にならなくても、 南無妙法蓮華経と唱える女性が、愛しく思う子に会えないということはない、 と説かれているのです」 (同1576ページ、通解)  "見事に信心を貫いた息子さんは、断じて成仏されました。貴女(あなた) も、妙法に生き抜くならば、愛するわが子に、絶対にまた会うことができます よ" ── この大聖人のお言葉に、時光の母は、どれほど深く勇気づけられた ことであろうか。 ◆妙法で結ばれた生命の絆(きずな)は永遠  一、大聖人の門下には、立派な最愛の息子に先立たれたこどが発心のきっか けとなって、両親ともに妙法への信仰を深めていった家族もいた。  この両親は、真剣に妙法を行じ、真心こめて大聖人にお仕えしていった。  大聖人は、その信心を讃(たた)えられ、こう仰せになられている。  「(あなた方の信心の素晴らしさは)ただごとではありません。ひとえに釈 迦仏が、あなた方の身に入り替わられたのでしょうか。また、亡くなられたご 子息が仏になられて、父母を仏道に導くために、あなた方の心に入り替わられ たのでしょうか」(同1397ページ、通解)  「あなた方に、もしものことがあるならば、暗い闇夜(やみよ)に月が出る ように、妙法蓮華経の五字が月となって現れ、あなた方の行く手を照らすでし ょう。そして、その月の中には、釈迦仏・十方(じっぽう)の諸仏はもとより、 先立たれたご子息も現れて、あなた方を導いていかれることを確信してくださ い」(同ページ、通解)  妙法に結ばれた生命は、生死を超えて、ともどもに、互いに、励まし合い、 護り合い、導き合って、絶対の幸福と勝利の軌道を進んでいくのである。  妙法の世界には悲嘆もなければ、悲観もない。  妙法を行ずる家族は、何があっても「常楽我浄(じょうらくがじょう)」の 月光に包まれていく。  そして、その足跡が、あとに続く人々に、はかりしれない希望と勇気を送っ ていくのである。 ◆勇気凛々(りんりん)と!  一、大聖人は、法論の際の心構えを、こう教えておられる。  あなたは、「法華経という大梵天王(だいぼんてんのう)の位」にいるので ある。だから、権宗(ごんしゅう)の者どもを「鬼畜」などと見くだしても、 あえて誤りではない。そう心得て、法論しなさい ── と。〈同1282ペー ジ〉  この誇り高き破折の精神を燃え上がらせていくことだ。そこに真実の仏道修 行の道がある。  大聖人は、こうも言われている。  「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」(同ページ)  この御聖訓を、ゆめゆめ忘れてはならない。  広宣流布は「勇気」で決まる。  勇気の二字の中に、慈悲も、正義も、幸福も、勝利も、すべてが含まれてい るのである。  さあ勇気凛々と、仲良く愉快に、新しき広宣流布の大行進を広げてまいりま しょう!(大拍手)          (2006・2・20)