2006.3.9SP  本部代表幹部会での名誉会長のスピーチ ◆◆◆ 永遠の発展の土台を今     ── 広布とは外交戦=何も恐れるな!     ── 「誠実」「智慧」「勇気」で勝利を 【名誉会長のスピーチ】  一、きょうは、忙しいなか、ご苦労さま!  あらゆる団体にとって重要なことは何か ── 。  それは、「渉外」であり、「外交」である。  いかにして味方を増やしていくか。いかにして敵と戦い、勝つか。  ここに、その団体の盛衰(せいすい)を分ける重要なポイントがある。  きょうはこの点について、学会の未来のために、戸田先生の指導にも触れな がら、スピーチをさせていただきたい。 ◆「一人」で決まる  一、先生は、「外交のできない人間は信頼してはならない」と言われた。  私は戸田先生のもとで、学会の初代渉外部長を務めた。徹底して訓練を受け た。  「誠実」と「智慧」、そして正義のために戦う「勇気」 ── これが渉外の 要諦である。外交の基本中の基本だ。これがあれば大丈夫である。  もしこの精神が失われたとすれば、それは、その団体が滅びていく兆候とい えよう。  強く、また誠実に、情熱をもって進むのだ。  渉外部長だった私は、戸田先生や学会に対し、事実無根の中傷を行う雑誌社 や新聞社があれば、即座に飛んでいって厳重抗議した。相手が非を認めるまで 許さなかった。  悪質なデマや誹謗をまき散らす連中とも言論で戦った。臆(おく)すること などなかった。単身、乗り込んでいった。  交通費がなければ、歩いてでも行った。  大切なのは、本気で戦う一人である。だらしのない、意気地のない人間が大 勢いても、何の役にも立たない。  本気で立ち上がる人間がいなければ、何も変わらない。 ◆師匠のために喜び勇んで!  一、私は師匠を守るために、命をかけて戦った。すべてを捧げて戸田先生に 仕えた。  先生は本当に厳しかった。今の時代では、想像できないほどの厳しさだった。  真夜中や夜明け前に「すぐに来なさい」と戸田先生から電話がかかってくる。 そういうことが、何度もあった。  先生のお宅は遠い。そんな時間では、タクシーも、なかなかつかまらない。 それでも手を尽くして、なんとかして、先生のもとへ駆けつけた。  ふつうの人間なら、反感を持ち、退転していたかもしれない。反逆していた かもしれない。それほどの厳しい訓練だった。  それでも私は広宣流布のため、師匠のために、喜び勇んで馳せ参じた。  仏法の真髄は、そして人間の生き方の真髄は「師弟」にある。  お金もない。何もない。大変な時代だった。  そのなかで、先生に仕え切った。横着(おうちゃく)など、一切しなかった。  今の人たちには、いくら口で説明してもわからないかもしれない。しかし、 命を賭して私は戦った。  先生のお宅へ行って、夜通し、先生をお守りしたことも、たびたびあった。 朝になると、そこから、会社へ出かけていった。  戦って戦って、戦い抜いた。  私は医者から「30歳までもたない」と言われたが、本当に、28歳くらい で死ぬかもしれないと思っていた。妻もそう思っていた。そういう戦いをした のである。 ◆阿修羅のごとく  一、ある時、戸田先生が大泣きをされた。   ── 大作は30歳までに死んでしまう。体が弱いのに、苦労ばかりかけて。 大作が死んだら、学会の将来は真っ暗だ ── そう言って、私の妻の父たちの 前で涙を流された。  それほど私は、命がけで、不惜身命(ふしゃくしんみょう)で、死にものぐ るいで戦ってきた。口先で言うのではない。事実として、その通りに戦い抜い てきたのだ。  戸田先生の事業が破綻した時も、私はただ一人、先生を守り抜いた。  先生に対しては、囂々(ごうごう)たる非難。刑事告発をされる恐れさえあ った。先生は、本当に真っ暗の、極限まで追いつめられた状況におられた。  そんななかで、一人残った私は阿修羅(あしゅら)のごとく猛然と戦った。 寒くなっても、開襟シャツ。月給が半分以下の時もあった。まったく出ないこ ともあった。  しかし、給料がどうとか、時間がどうとか、そんなことは問題ではなかった。 私は働いて働いて、働き抜いた。  あの時は、どこに行っても「学会の戸田か!インチキめ!」と、いやなこと ばかり言われた。それでも私は戦った。先生に一切を捧げた。  そして、ついにこの苦難を乗り越えて、先生は、第2代会長に就任された。 先生とともに、広宣流布への道を開いたのである。  折伏もそうだ。  遅々として進まない折伏の状況を見て先生は、「大作、立ち上がってくれな いか」と。  私は全国の各地で折伏の旋風(せんぷう)を巻き起こした。戸田先生の願業 である、75万世帯の拡大への突破口を開いた。 そうして今の学会が、できあがったのである。これが真実の師弟の姿である。  ほかのだれでもない。牧口先生、戸田先生がつくられた基礎の上に、今の学 会をつくったのは私である。私がいなければ、今の学会はない。  この厳粛なる「師弟」の一点を忘れたら、学会は崩れてしまう。将来、大変 なことになる。  自分自身のことであるが、未来のために、きょうは、このことを明確に申し 上げておきたい。 ◆「ありがとう!」と心から感謝を  一、以前も申し上げたが、組織は「上」から腐る。上の幹部が要領を使い、 威張ってばかりいたら、全体が腐ってしまう。人材も育たない。  それでは皆がかわいそうだ。そういう幹部は、下から声を上げて突き動かし ていくことだ。  権威を笠に着るのは"魔物"の存在だ。  学会は最高の「人間の世界」である。清らかな信心の世界である。  全員が平等である。学会のため、広宣流布のため、同志のために、どれだけ 働いたか ── ただ、それだけが、その人の「偉さ」を決める。  不惜身命の行動をした人を、日蓮大聖人は御賞讃くださるのである。  会員のために尽くすのが学会の本当のリーダーである。会員に尽くすことが、 御本尊に尽くすことになる。それが広宣流布に尽くすことになるのである。  自分は偉くない。偉いのは、広布へ戦う同志である ── そう心から思って、 「ご苦労さまです」「ありがとうございます」と讃え、感謝していくのだ。  そして、幹部は仲良く、互いに心を合わせ、力を合わせて、異体同心で進ん でいただきたい。 ◆「臆病者は去れ」  一、ここで、戸田先生のご指導を紹介したい。  先生は言われた。  「外へ出れば、一人であっても、学会全体を代表しているのである。個人で はない。学会の代表という責務に立たねばいけない」  この自覚が大切だ。  また、先生は「貧相な姿では、立派な外交の仕事はできない」とも言われて いた。  戸田先生は、こういうところにも気を使われた。貧相では、バカにされる。 それだけで負けてしまう。  先生は叫ばれた。  「臆病者は学会から去れ! 意気地なしは学会から去れ! 学会と生死を共に する者だけが真実の同志だ」  その通りだ。臆病者の集まりでは広宣流布はできない。世界広布はできない。  今、私は全生命を賭して世界広布のために戦っている。ただ広宣流布のため ── その責任を担う私の人生には、自分の楽しみなどはなかった。  第3代会長に就任した時に住んでいた小林町(大田区)のわが家は、大変に 質素だった。  私の家を訪ねてきた人が、気付かずに通り過ぎてしまう。それくらいの小さ な家だった。  昭和41年(1966年)に、信濃町に引っ越しをした。その自宅もまた、 質素なものである。  私は、私財もなげうって広布を支えた。血のにじむような努力をして、恩師 の教えのままに、すべてを学会に捧げてきた。これほど尽くしてきた弟子は、 ほかにいない。 ◆◆ 師弟こそ人生の真髄(しんずい)    ── 悔いなく戦え! 誉れの歴史を ◆価値ある道を  一、戸田先生は言われた。  「生きるということは、仕事をするということである」  真の仕事とは広宣流布である。広宣流布のために真剣に尽くしていくことで、 人間としての最高に価値ある道を歩んでいけるのである。  先生はまた、「戦いは迅速(じんそく)であれ」と指導された。  そして「闘争の最後は粘りである」とも。  私は19歳で戸田先生に師事して以来、先生からいただいたご指導の急所は、 すべて頭に入っている。  さらに、先生のご指導を紹介したい。  「敵を攻める時には、敵の実情を知らなくてはならぬ」  「何ものも恐れるな。何事も理性的、理知的であれ。そして、敵味方を峻別 (しゅんべつ)せよ」  「戦(いくさ)は一気にやるものではない。押したり引いたりしながら、割 り入って行くのである」  敵の実情を知れ。何ものも恐れるな。いずれも戦の要諦である。  臆病では勝てない。大切なのは誠実と勇気だ。そして勝利を得ることができ なければ、外交の意味がない。 ◆正義の言論で!  一、先生は、こうも語っておられた。  「今、我々の広宣流布は、社会のあらゆる面にわたっての戦いである。政治、 経済、文化、教育といった、立体的な戦いになってくる。  どんな強敵が現れても、微動だにするわけにはいかぬ」  「相手の誤謬(ごびゅう)や弱点や、矛盾といった過誤(かご)を明らかに し、どう正しい論点まで引っ張り上げるか、これが言論の力だ。説得力という ものは、この力なのだ。  主張だけしていたのでは、ケンカはできても、相手を説得によって、心から 降参させることはできない」  先生は、一つ一つ具体的に教えてくださった。私はその通りに戦ってきた。 勝利の歴史を築いてきた。  先生は叫ばれた。  「中傷だの、面罵(めんば)だの、雲がわくように起きてこよう。誤解のう えに、曲解(きょっかい)が重なるだろう。  本当の戦いはこれからだと立ち上がり、敢然と突き進もうではないか」  戸田先生は、悪に対しては容赦なかった。  悪意に満ちたデマとは、正義の言論で断固、戦えと教えられた。  幹部が臆病で、難を恐れて、敵と戦わない。こんなずるいことはない。  日蓮大聖人は、たび重なる讒言(ざんげん)によって命に及ぶ大難を受けら れた。デマによって、悪名(あくめい)を流された。迫害の連続であった。  御聖訓には、こう仰せである。  「もし恩を知り、心ある人々であるならば、(大聖人が)2回、杖で打たれ るならば、そのうち1回は代わって受けるべきではないだろうか」(御書14 50ページ、通解)  大聖人は、一切衆生の救済のために立ち上がられた。  そのお心を知るならば、難の半分は代わって受けるべきだとの厳しき仰せで ある。この御文を深くかみしめていかねばならない。 ◆「心」をつかめ  一、戸田先生は、こうも指導された。  「裏切られたり、足をさらわれたり、ひどい目に遭(あ)って、人を見る眼 も肥えていく」  「人間は感情の動物である。一人ひとりの心を、どう捉えていくかが大事だ」  「時代の動向を肌で感ずることができれば、いかに時代をリードすべきかも、 おのずからわかるようになってくる」  本当に、先生は鋭かった。偉大なる民衆の指導者であった。  一、それでは、どうかお元気で!  全員が素晴らしい人生を生き抜いてほしい。  そのためには、徹して戦い抜くことだ。中途半端では悔いを残してしまう。  人材を育て、多くの後輩たちの道を開くのだ。  自身のため、そして家族のためにも、誇りある闘争の歴史を残していただき たい。  きょうは、本当にありがとう!(大拍手)                   (2006・3・4)