新・人間革命  前進 二十三 (3301)  岡島喬雄の死から一カ月後に、四国文化会館で彼の名を冠した桜の植樹が、四国学生部 の代表の手によって行われた。  また、彼の日記や手紙をまとめた本も、翌一九七〇年(昭和四十五年)秋に出版された。  本のタイトルは『友よ永遠に』である。  この本は、まさに、岡島の生命の闘争記録であった。  最後に採録された日記(一九六九年八月六日)には、次のように記されている。 「戦うぞ! このか細き五体を大地に投げて。  頑張るぞ! この身の大地に朽ち果てるまで。  そして信じよう!  東天に輝く、金色の太陽が中天に隆々と照る晴朗の日の来ることを」  この本は、多くの青年たちの魂を揺さぶった。  山本伸一も、贈られた『友よ永遠に』を涙で読んだ。  そして、宝前に供え、現代に青年の生き方の模範を示し、尊き使命を果たして逝いた若 き広宣流布の英雄の冥福を祈り、唱題するのであった。  広宣流布に走り抜いた若き同志の死――。  この死という問題について、第二代会長戸田城聖は述べている。 「寿量品の自我偈には、『方便現涅槃』とあり、死は一つの方便であると説かれている。  眠るということは、起きて活動するという人間本来の目的から見れば、単なる方便であ る。  しかし、眠らないと疲労は取れないし、はつらつたる働きもできないのである」  死もまた同様であると、戸田は断言する。  人は、死を避けることはできない。しかし、生命は永遠であり、死は決して忌み嫌うも のではない。死は生命の「眠り」であり、新しき生への出発となるのだ。  ――岡島が他界してから、既に四年の歳月が過ぎていた。  四国文化会館の玄関前に立った山本伸一は、妻の峯子と共に、室内の明かりに照らされ た、二本の桜をじっと見つめ続けていた。  岡島を顕彰する桜の隣にあるのは、四国女子部の中核として活躍し、心臓麻痺のために、 六六年(同四十一年)二月、二十七歳で逝いた林山克子を顕彰する桜であった。 名字の言 2006.3.11 ▼江戸中期、信州松代藩は深刻な財政難に陥っていた。その立て直しを行ったのが家老・ 恩田木工である ▼彼の特筆すべき取り組みは「対話」であった。領民すべてを対象に、財政再建の要であ る租税問題について話しあうため、松代の藩庁に集まるよう呼びかけた。士農工商の身分 が画然としていた当時のこと。藩役人と多数の領民代表が一堂に会するのは画期的であっ た ▼藩の状況を包み隠さず語る誠実な対話の姿勢が、信頼関係を構築する。やがて、領民ら も困難な状況の中で、できうる限りの協力を自発的に申し出るようになり、未納が続いて いた年貢の完納が実現した(川口素生著『江戸諸藩中興の祖』) ▼先日、弘教を実らせた青年部のリーダー。対話を開始してから15年。あきらめかける 自分の心を、叱咤したことが何度もあった。自身の臆病に打ち勝ち、粘り強く誠実な対話 を続けたことが、友の心の扉を開いた ▼「人の心を動かすのは、真剣にして誠実な対話である。燃えるような情熱に触れた時、 人の心もまた燃え上がるのである」(小説『新・人間革命』第15巻「蘇生」の章) ▼一時の結果がどうあれ、誠実な対話は必ず最後に花開く。地道な粘り強き行動に、前進 があることを忘れまい。(芯) 北斗七星 2006.3.11 ◆角川書店主催の「青春文学大賞」第1回受賞作は17歳の高校生、木堂椎さんの『りは めより100倍恐ろしい』(同書店)だった。タイトルは、「いじり」は「いじめ」より はるかに恐ろしい、というもの ◆中学時代に「いじられ」続けてきた高校1年の主人公が、高校入学を期に「いじられキ ャラ(役)」を免れるべく奮闘する物語。「いじられる」とは、「下っばで、捨て石で、 芸人にされる」ことで一発芸などを要求され続ける。「いじめなんかよりいじりのほうが 全然怖いと思う」「いじりには逃げ道がない」と主人公は呟く ◆作品は「いじり」「いじられ」の痛ましく救いのない話を軽快なテンポとユーモアあふ れる語り口で描いてみせた。今どきの高校生を思わせる会話も絶妙だ ◆と同時に今という時代を映してもいる。かつて青春文学といえば、大人(権威)への反 抗や大人への脱皮(子ども時代からの決別)というものが多かったのではないか。「いじ り」にしろ「いじめ」にしろ閉じられた人間関係が今の若者の関心(悩み)というのは考 えさせられる ◆日本青少年研究所が先日発表した日米中韓4カ国の高校生意識調査で「どんな生徒にな りたいか」で日本の高校生は「クラスのみんなに好かれる」が「勉強がよくできる」を上 回っていた。これも先の状況を説明することになるのか。(皮) ☆「わが友に贈る」☆ 「悪を滅するを功」 「善を生ずるを徳」 強く真剣に 賢く朗らかに 真実を語り抜け! ―3月11日―