新・人間革命  前進 二十五 (3303)  青い海が光っていた。白い砂浜には、波が寄せ返し、松林の緑が、美しかった。  十一月十三日、山本伸一は、同行していた妻の峯子と共に、四国文化会館から徳島県幹 部総会に向かう途中、香川県の津田の松原に寄った。  婦人雑誌から依頼があり、グラビアの撮影をするためであった。  津田の松原は、一キロほど続く浜辺に、三千本の松が立ち並ぶ、白砂青松の名勝である。 樹齢六百年という松もあった。  同行の幹部らが車から出て、伸一と峯子の写真撮影が終わるのを待っていると、和服姿 の老婦人が近づいてきた。 「ちょっとお尋ねしますが、皆さんは、創価学会の方ですか」 「はい、そうです」 「やっぱり、そうでしたか……」  こう語った時、彼女の背後から声が響いた。 「こんにちは!」  老婦人は振り返った。  そこには伸一が立っていた。  彼女は、声を震わせて言った。 「もしや、もしや山本先生では!」 「はい。山本でございます」 「まあ!」  老婦人は、驚きと喜びの入り交じった表情で、伸一に歩み寄ると、彼の手を両手で包み 込んだ。その目に涙が光った。 「お待ちしておりました。一度でいい、先生にお会いできるようにと、毎日、毎日、祈り 続けておりました。  お目にかかれて、こんなに嬉しいことはありません」  彼女は大原シズという、七十二歳の婦人であった。  彼女は、前年まで、この近くに住んでいたのである。  前年の六月、伸一は、香川県と高知県のメンバーとの記念撮影のため、四国入りした。  その折、津田の同志は山本先生に、ぜひ津田の松原で、くつろいでいただきたい″と 考えた。  そして、伸一の来訪を願って懸命に唱題するとともに、松原の清掃作業に励んだのであ る。大原シズも、地域の同志と一緒に清掃に汗を流した。  伸一が津田に来る予定はなかったが、来訪を想定して、自発的に清掃作業を行ったので ある。  メンバーは、山本先生は必ず来られる″と確信していたのだ。 名字の言 2006.3.14 ▼首都圏の大学に合格し、青年は故郷を離れ、一人暮らしを始めた。知人も友人もいない、 心細い日々……。訪ねてきてくれたのは、地元の地区部長・婦人部長夫妻だった ▼多忙の中、夫妻は何かと面倒を見てくれた。アパートがぼやに見舞われたときも、救い の手を。青年は日々、夫妻宅に通い、勤行・唱題に励む。食事をご馳走になったことも数 知れない ▼千葉青年平和文化祭(97年)をきっかけに、彼は弘教、本紙の拡大に挑戦。やがて学 生部の中核のリーダーに成長する。大学院を卒業し社会人に。地区部長が病で亡くなった のを知ったのは、昨年5月のことだった。温もりの笑顔が走馬灯のように、胸に浮かんだ ▼自らを訓育の土壌として一人の青年を育む――目立たなくとも、これこそ偉大な人生に ほかなるまい。詩人エミリ・ディキンスンは謳う。「もし私が一人の生命の苦しみをやわ らげ/一人の苦痛をさますことができるなら/気を失った駒鳥を/巣にもどすことができ るなら/私の生きるのは無駄ではない」(中島完訳) ▼「この友を自分以上の人材に!」と、心を尽くす信心の先輩たち――。年頭、青年は、 航空機の設計技師として米国へ。創価の父母″への感謝を胸に、世界へと羽ばたいた。  (克) 北斗七星 2006.3.14 ◆夜半過ぎに自分のくしゃみで目が覚めた。その後は鼻の奥のむずむず感が続き、くしゃ みの連発。睡眠不足で朝を迎えた ◆体内のアレルギー抗体の量が一定レベルを超えると鼻水や涙が止まらず、目のかゆみや 鼻づまりがおさまらない花粉症が発症する。それがついに来たのか、と憂鬱になった ◆「いきなりの発症」には驚いたが、どんな病もそうだろう。昨年の11月、歌手の本田 美奈子さんが白血病で亡くなった時にテレビで聞いた。前日まで何ともなかったのに翌日 突然発症することもあると ◆この白血病の治療法・骨髄移植の提供者(ドナー)を扱った『骨髄ドナーに選ばれちゃ いました』(石野鉄著、小学館)を読んだ。骨髄バンク登録者・鉄氏が骨髄を提供するま でのインターネット掲示板でのやりとりがまとめられている ◆鉄氏を軸に交わされる提供経験者や医療関係者、患者などの意見を通し移植に対する不 安や疑問に答えている。登録当初自らを「ただの偽善者か」と思っていた鉄氏だが、提供 後には「為さぬ善より、為す偽善」(あとがき)と。思わず頷いてしまった ◆今、ドナーが不足している。「30万人のドナー登録があれば希望するほとんどの患者 さんに骨髄提供ができる。骨髄バンク・ドナー登録に、ご協力を」(骨髄移植推進財団) の呼び掛けを小紙も掲載。応援していきたい。 (六) ☆「わが友に贈る」☆ いい人材がいれば 永遠に栄える。 悪い人材がいれば 最後は滅亡する。 一切は「人」で決まる! ―3月14日―