フェイク 第714号 (発行=06.05.04) 隠居の身で大石寺出張所を私物化 退座から約五ヶ月、見苦しい姿を晒す日顕 ニセ法主に長すぎた猊座、尾を引く腐敗堕落の宗風 ニセ法主の日顕が退座して早や約五ヶ月。己自身を「現代の大聖人様」にま で高からしめた日顕の濁った長期政権からくる腐敗堕落の宗風は変わらないが、 ニセ法主二世・早瀬日如の本性を知らない本山従業員が「今度の猊下は、前猊 下とは違って良いような気がする」と語っている。 今迄が悪すぎたことは確かだが、日如は今のうちこそ猫をかぶっているもの の、そのうち凶暴な本性を剥き出しにするだろう。 さて、歴代法主の辞め際として、昔は行き倒れなど悲惨な最期を遂げた僧も いたが、それはさておき、近代だけでも、行方不明(五十三世日盛)、舌ガン病 死(五十七世日正)、クーデターで放逐(五十八世日柱)、偽装退座で院政(六十 世日開)、半生焼け状態の焼死(六十二世日恭)のほか、相承もしないままの急 死など、自慢できない事例が多い。 殊に、腰痛の激化で御本尊書写ができなくなって退座した日顕は前代未聞の ケースで、これこそ御本仏が、日顕の御本尊書写を拒絶されたことの証明であ る。 折から、改革同盟の松岡雄茂氏が出した日顕の「謗法総括書」を本紙が連日 にわたって連載して徹底追撃。宗内には衝撃が広がり、邪義の本質をえぐり出 された日顕は、それまで代筆させていた水島公正、阿部信彰らの邪義小僧班も 反論できなくなったことを知って、当初の予定を繰り上げ、這這(ほうほう) の体(てい)で隠居生活に逃げ込むしかなかったようだ。  日顕は「余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり」等と言いた かったらしいが、少し足りず、それは許されない。 退座後の日顕は見苦しい姿を晒している。退座直後の十二月十九日、世田谷 の出張所(同区中町一丁目、通称「等々力の豪邸」)で腰の激痛に苦しみつつ、 八十三歳の誕生日を迎えたが、これまで豪華なプレゼントや大きなケーキを持 参して来ていた坊主共は姿を見せなかった。隠居の身の悲哀を痛感したらしい が、これも己自身が作り上げた「法主信仰」により、退座した日顕は最早、尊 崇の対象ではなくなったからだ。 そこで、日顕は隠居の身を弁えず、盛んに自己アピールのため虫払い法要、 慶祝登山の一連の会合にも顔を出していたのである。 六日の代替法要後の祝賀会で日顕は、日如と並んで座わり、また、初転法輪 や開山お講にも、日顕は顔を出して居眠りしていた。 真翰巻き返しの際、日如の導師で唱題している最中、日顕は長持ちの周辺を 歩き回っていたが、勤行していた参加者にとっては目障りだったに違いない。 特に、御開扉後の「お肉牙」内拝の際、日顕が導師を務め、何やら口走って いたが、「慧妙」によると、これが「甚深の御説法」だったとのこと。この「お 肉牙」については、日顕の話より、戸田第二代会長の「請願書」(本紙第七一 一号「お肉牙は創作された伝説に」及び第七一二号「数分に満たぬ拝観での感 想は危険」)の方が遥かに含蓄がある。 日顕が、そんなに本山に居座りたいなら、おとなしく蓮葉庵にいればいいも のを「大石寺中町出張所」の表札を付けた豪邸に住んでいる。この出張所の私 物化は今後、徹底的に追及する。