2006.5.17SP ――――――――――――――――――――――――――――――――――     5・3記念最高幹部協議会での名誉会長のスピーチ〔中〕 ―――――――――――――――――――――――――――――――――― ◆◆◆ 万代の基礎を築け    ── 善き人は強い 全世界より強い〈デンマークの哲学者〉 ◆◆ 「人材育成」は最も尊い仕事 【名誉会長のスピーチ】  一、今、21世紀の広宣流布を担い立つ、新しい若き人材が、澎湃(ほうは い)と躍り出ている。私は本当にうれしい。また、頼もしい。  首都圏の「青年部大会」、「関西未来部総会」、そして「創価後継者大会」 も大成功だった。おめでとう!(大拍手)  「21世紀使命会」をはじめ、未来部を担当されている皆さま方は、本当に よく後輩たちの面倒を見てくださっている。尊き献身に、深く深く感謝申し上 げたい。  デンマークの大哲学者キルケゴールは言った。  「善き人は強い、全世界よりも強い」(田淵義三郎訳。『キルケゴールの講 話・遺稿集3』新地書房から)  創価学会は、最も「善き人」の集いである。  この「善き人」の人材の流れを、永遠に途絶えさせてはならない。  「まこと善き人は善き人へ後を継ぐは、自然な希(ねが)い」(池田廉訳『ペ トラルカ凱旋』名古屋大学出版会)  イタリアの桂冠(けいかん)詩人ペトラルカの長編詩の一節である。  後継の育成は、最も尊く、最も価値ある仕事である。我らは誇りも高く、新 しき人材を創りゆく労作業に邁進(まいしん)してまいりたい(大拍手)。 ◆令法久住の為に  一、「末法万年尽未来際」への令法久住(りょうぼうくじゅう) ── すな わち、末法万年を超えて、さらに未来の果てまで妙法を伝えていくために、創 価学会をどう永遠ならしめていくか。  私は今、そこに一切の焦点を当てている。  「開目抄」の結びにおいて、日蓮大聖人は、こう仰せになられている。  「法華経の宝塔品を拝見するに、釈迦・多宝・十方分身の諸仏が集まられた のは、いかなる心によるのか。  『法をして久しく住せしめんがために、ここにやって来た』と説かれている。  この三仏(釈迦・多宝・十方分身の諸仏)が未来に法華経を弘めて、未来の 一切の仏子に与えようとされる御心(みこころ)のうちを推察するに、一人子 (ひとりご)が大きな苦しみにあっているのを見る父母の心よりも、何として でも救わずにはおかないとの思いが強盛であったと思われる」(御書236ペ ージ、通解)  "未来永遠にわたって、苦しむ人々を救いたい! そのために、妙法を永遠に 流れ通わせるのだ!"  これが、法華経の真髄の魂であり、広宣流布の根幹の精神である。 ◆仏典結集の劇(ドラマ)  一、釈尊は、一切衆生を救うことを願った。弟子たちも、師弟不二なるがゆ えに、まったく同じ心で立ち上がった。  その弟子たちの心の凝結(ぎょうけつ)が「仏典の結集」である。  御書には、最初の仏典結集に臨んだ門下の決意が、こう記されている。  「百年、千年の後、ないし末法の一切衆生は、何をもって仏をしのぶ形見と するのか」「我らは五十年の間に一切の声聞・大菩薩が聴聞し持(たも)って いる経々を書き置いて、未来の衆生の眼目としよう」(同1421ページ、通 解)  さらに「諸法実相抄」には、仏典結集の様子が、次のように描かれている。  「釈尊の弟子の千人の阿羅漢は、仏のことを思い出して涙を流し、流しなが ら文殊師利菩薩が『妙法蓮華経』と唱えられると、千人の中の阿難尊者は泣き ながら『如是我聞(このように私は聞いた)』と答えられたのである。他の九 百九十人は、泣く涙を硯(すずり)の水として、また『如是我聞』の上に『妙 法蓮華経』と書き付けたのである」(同1360ページ、通解)  「私は師から、このように聞いた」「これが正しき師の心である」 ── こ の真剣なる弟子の叫びが、仏法を永遠たらしめる力となった。  「如是我聞」 ── そこには、師の教えを生命に刻み、勇敢に実践しゆく「師 弟不二の心」がある。そして、師の教えを高らかに掲げ、厳然と継承しゆく「師 弟後継の心」がある。 ◆「信じ、順ずる」  一、御義口伝では、この「如是我聞」について、天台大師の「法華文句」の 次の一節を引かれている。  「『如是』とは信順(しんじゅん)を意味する言葉である。信ずることによ って、聞いた法理を会得(えとく)することができ、、順ずることによって、 師弟の道を成ずることができる」(同709ページ、通解)  「信じ、順ずる」 ── この心に徹し抜いてこそ、「師弟の道」を成就する ことができる。「師弟の道」を貫き通してこそ、末法万年尽未来際の広宣流布 を開いていくことができるのである。 ◆訓練を受けねば本物になれない  一、戸田先生は、牧口先生の弟子として、「師弟の道」を歩み抜かれた。  師匠であり、創価学会の創始者であられる牧口先生を、最高最大に大切にし ていくのだと厳命されていた。  「学会は学会として、学会の『師弟』の精神を宣揚(せんよう)していくも のがなければ、本当に日蓮仏法を広宣流布している団体としての『眼日』『魂』 がなくなってしまう」  こう先生は叫ばれた。  戸田先生の弟子である私も、峻厳な師弟の道を歩み抜いた。  私は戸田先生から、本当に厳しい訓練を受けた。すべて受けきった。  戸田先生が見てくれている ── それだけが私の生きがいだった。これが師 弟というものである。  私は365日、一瞬たりとも先生のことを忘れたことはない。いつも先生と 一緒である。  歩いていても、車に乗っても、食事の時も、瞬間瞬間、戸田先生のことを思 っている。  これが私の人生である。これが本当の師弟不二である。  師弟不二の道は命がけである。厳しき師の訓練 を受けた人間しか、本物にはなれない。未来のためにも、このことを、はっき り言っておきたい。  私は戸田先生に尽くし抜いた。すべてを捧げた。あまりにも激しい闘争に、 私の体は疲弊(ひへい)しきった。  先生は、"俺のために大作を働かせ過ぎた。このままでは、大作は若くして 死んでしまう"と泣いておられた。  戸田先生と私は、そういう師弟だった。 ◆◆≪戸田先生≫「創価学会は苦しんでいる人々を救う広宣流布の組織だ」 ◆師への悪口(あっこう)は許さない!  一、戸田先生についてデマ記事が書かれたり、事実を歪曲(わいきょく)し た報道が行われた時、私はただちに抗議に出かけた。  どんなところにも行った。おどしてくる相手もいた。それでも私は、たった 一人で出向いた。  居丈高な態度で迎えた相手にも、きっぱりと間違いを正し、真剣に、誠実に、 戸田先生と学会の正義を訴えた。そして、次第に誤りを認めさせ、「よくわか った。もうこんな記事は書かない」との謝罪を勝ち取ったことがある。  その時、相手が一言、「戸田という人物は、いい部下を持っているな」と漏 らしていたことが忘れられない。  戸田先生は言われていた。  「広宣流布を進める創価学会を、何よりも大事にし、守りきっていく。これ が地涌の菩薩である。そうでない幹部は、学会から出ていってもらいたい」  先生は、仏意仏勅(ぶついぶっちょく)の学会を守り、強めていく以外に、 広宣流布は絶対にあり得ないことを強調されていた。  「創価学会は、苦しんでいる人々を救うため、広宣流布という仏の仕事をす る、最高に尊い組織だ。戸田の命よりも大事な組織だ」と。 ◆◆◆ 師弟あるかぎり学会は永遠    ── 365日、師と共に闘争! 師と共に勝利!    ── 幹部は会員に尽くせ 皆の希望と光れ ◆美しき心の世界を守れ  一、師を敬い、師の恩に報じていく。この美しき心の世界が、学会の世界で ある。  偉大な人間に怨嫉(おんしつ)するのは、清らかな仏法の世界に、あっては ならないことだ。また、あまりにも愚かである。  他のいずこにもない、学会の"心の世界"は、だれ人にも壊されてはならな い。悪しき心根(こころね)の人間を入れてはならないと戸田先生は戒めてお られた。  「いつの時代にも、裏切り者は必ず出るものだ。そんな敗北者の屍(しかば ね)を、君たちは ── 本当の創価学会の同志は、堂々と乗り越えて、前へ前 へ進め!」  先生の叫びは、今も私の耳朶(じだ)に残っている。 ◆提婆達多(だいばだった)の慢心と嫉妬  一、仏に敵対し、仏を亡き者にしようと画策した提婆達多。彼は釈尊と同族 であり、釈尊に近い弟子と見られていた。  なぜ提婆は反逆したのか。その本質は嫉妬である。男のヤキモチである。  提婆達多は、師匠から大きな恩を受けながら、いつしか慢心に陥り、自分自 身の世界しか見えなくなった。自己中心的で冷酷な心にとらわれ、師を宣揚す ることができなくなった。  そして、釈尊は年老いたと言って、自らが教団の中心者に取って代わろうと 企んだのである。  戸田先生のもとで幹部をしていた人間の中からも裏切り者が出た。牧口先生 の時代も、最高幹部が退転した。  日蓮大聖人が御入滅された後、大聖人が本弟子として定められた六老僧のう ち、日興上人以外の5人が、師匠である大聖人に違背した。彼らには、日興上 人への嫉妬もあった。これが歴史の教訓である。  師弟の精神、三代の会長の精神を、何があっても守っていくのだ。それが、 全学会員を守っていくことになる。  この一点を忘れないかぎり、広宣流布の前進は永遠に行き詰まることはない。  「学会のために!」「師のために!」 ── この一念で私は戦い抜いてきた。 この一念があれば、どんな苦難も乗り越えられる。  学会の根幹である師弟の道を絶対に踏み違えてはいけない。そうなったら、 永遠の後悔を残すことになる。  師弟の精神が薄れていくなら、広宣流布の将来は危うい。悪人がのさばり、 純粋な会員が苦しむようなことは、決してあってはならない。ゆえに私は、声 をかぎりに真実と正義を叫んでいる。  戸田先生は「広布破壊の極悪、学会の恩を仇で返す恩知らずは、絶対に許す な!仏の敵であるゆえに、どれほど厳しく言っても、言い過ぎることなどない」 と言われていた。  一、思えば、日興上人は、その御生涯の最後まで、師敵対の五老僧らの悪を 呵責(かしゃく)され、二十六箇条の「遺誡置文(ゆいかいおきぶみ)」を定 められた。  日興上人は、その御心境を「偏(ひとえ)に広宣流布の金言を仰がんが為」 (同1617ページ)、「万年救護(まんねんくご)の為」(同1619ペー ジ)と仰せである。  広宣流布の指揮を執(と)るということは、「現在」の勝利を飾ることは当 然として、「未来」の勝利の道を開くことである。  この一点を深く銘記していただきたい。 ◆金剛不壊(こんごうふえ)の車軸(しゃじく)  一、戸田先生は、学会の最高幹部に対して、本当に厳しく指導された。  幹部には、本当の実力が伴っていなければならない。信心の年数が長いだけ では骨董品だ。仏法は厳しい。その厳しさが学会の組織の骨髄であると話され ていた。  さらに先生は、学会を「車輪」に譬(たと)えられ、車輪が大きくなり、遠 心力や加速度が加わって、どんなに大きく回転しようとも、「車軸」が堅固で ありさえすれば、何も心配はないと語っておられた。  「車軸」とは、幹部の団結である。  ゆえに、その「車軸」をダイヤモンドのように、堅く、絶対に壊れないもの にしようと、日夜、心を砕かれていたのである。  そして、広布の車軸を金剛不壊にするものは、「純粋にして強い信心」であ り、「幹部の自覚と使命感」であることを打ち込まれたのである。  私と君たちとの間に、毛筋一本でも挟まって余計な摩擦があれば、学会の車 軸は金剛不壊でなくなるのだ!  私と共に、あらゆる難に打ち勝って、一人ももれることなく、本懐を遂げよ! ── と。  広宣流布の大地である創価学会を大事にし、盤石ならしめることが、広宣流 布を永遠ならしめる、ただ一つの道なのである。 ◆◆ 「人」で決まる 「心」で決まる ◆役職は責任職  一、ここで、古今の大教育者の哲学と実践に学びたい。私どもの現在の焦点 は「人を育てる」という一点にあるからだ。  今年の1月、私は、ロシアの名門・ウラル国立大学のトレチャコフ総長一行 をお迎えした。〈総長一行は名誉会長に「名誉博士号」を授与するために来日。 創価大学で授与式が行われた〉  総長は、ソ連邦崩壊後の大混乱の社会にあって、雄々しいリーダーシップを 発揮され、大学を発展の軌道に乗せ、全教職員から絶大な信頼を勝ち取ってこ られた。  大学のため、学生のために夜遅くまで執務し、だれもいない静まりかえった 構内から一人出てくる姿を、学生がしばしば見かけるという。  トレチャコフ総長は語っておられる。  「総長職は、教職員の僕(しもべ)である。ゆえに、そう簡単に投げ出して、 逃げることなどできない。皆から信頼され、責任職に就きながら、それを放り 投げたような人は、わが大学には一人もいない」  リーダーとしての覚悟と深き信念のにじみ出た言葉である。  学会の役職もまた、責任職である。幹部であればあるほど、その責任は重い。  自らが会員同志の「僕(しもべ)」となって仕えゆく決意なくして、広宣流 布の前進への責任は、断じて果たせない。  総長は、こうも語っておられた。  「一番、大事なことは、建物が立派かどうかではない。その大学で、どんな 人物が働いているかである」  「大学で学ぶ者、働く者、一人ひとりが、大学をわが家と思って接すれば、 たとえ周りですべてが崩れたとしても、大学は生き残るであろう」  「大学とその歴史、過去と現在を創っているのは、何といっても『人』であ る。大学の理念に、私心なく尽くしてくれる教職員であり、陰で働いてくれる 人々である」  建物ではない。機構でもない。すべては「人」で決まる。そこにいる人の「心」 で決まる。  大学のみならず、あらゆる団体、あらゆる組織にあてはまる鉄則である。  創価学会もまた、広宣流布の大理想を目指し、わが身をなげうって、陰に陽 に献身してくださる学会員のおかげで、滔々(とうとう)たる大河のごとき発 展を遂げることができた。  まじめに戦ってくださっている同志を心から大切にする。ここに、学会発展 の根本のカギがある。 ◆苦楽を共に!  一、ドイツの大哲学者であり、教育者であったシュライエルマッハーは、"教 師が学生と苦楽を共にすることが少なくなればなるほど、自分の職務が面白く なくなり、みのりの少ないものになってくる"と述べている。〈梅根悟・梅根 栄一訳『世界教育学選集17 国家権力と教育』明治図書出版〉  教師だけでなく、リーダーは、人々と苦楽を共にしていかねばならない。皆 を動かして、自分は動かない。皆と一歩、離れたところに自分を置いて、苦労 を避ける。それではいけない。  学会の幹部は、同志と苦楽を共にしゆく一念を失った瞬問から、堕落が始ま る。  スイスの大教育者ペスタロッチは、「だらしない人間を教師にしようとする ことがどんなに危険であるか」と手紙に綴っている。〈虎竹正之訳「親と教師 への書簡」、『ペスタロッチー全集第13巻』所収、平凡社〉  先日、お迎えした中国の華東師範(かとうしはん)大学の先生方は、「師範」 という言葉には「師」として「模範」を示すという意義があることを強調して おられた。  皆さんも、「信心の模範」「広宣流布の指導者の模範」として、後輩の希望 と光っていただきたい。  幹部は、絶対に傲慢になってはいけない。謙虚でなければいけない。幹部が 偉ぶる時代ではない。学会は、全員が平等である。異体同心で進むのだ。  幹部は会員に尽くし、皆を尊敬していくのだ。礼儀正しく、皆の気持ちが、 ぱっと明るくなるような振る舞いを心がけていくのだ。 ◆題目・確信・勇気で壁を破れ!  一、ともあれ、壁を打ち破るには題目である。確信である。勇気である。  リーダーは、同志が皆、「戦おう!」「障魔を破ろう!」と総立ちになって いくよう真剣に祈っていくのだ。          (〔下〕に続く)