2006.6.11SP =-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-  池田名誉会長の〔世界との語らい〕 第5回          欧州統合の父 クーデンホーフ・カレルギー伯爵 =-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=- ◆◆◆ 誠実にまさる外交なし        ── 「利害」や「打算」などうち捨てよ!!  クーデンホーフ・カレルギー伯が心を動かされたのは、学園生の目の光だっ た。   ── いい顔をしている。凛々(りり)しく、賢い表情だ。  1970年10月17日。創価学園(東京・小平市)の講堂で講演に立った 伯爵は、しみじみと語られた。  「こんなに素晴らしい生徒がいるとは。創立者の池田先生は、本当に幸せな 方です」  当時の私の心中を察してくださっての一言ではなかったか。 ―――――――――― 言論には言論だ! ――――――――――  「言論の自由」の美名に隠れ、利用し、学会を執拗に攻撃する者たちがいた。  期するものがあった。  なちば学会も言論で立つ! 言論で勝つ!  それも世界への言論だ。まず、伯爵との対談を後世に残そう。  伯爵に創価学園を見てもらおう。学園生と一緒に、世界へ討って出るのだ。  まだ開校して3年目。ヨーロッパ統合の理想を掲げる伯爵は、創価学園が初 めて本格的に迎えた世界的識者である。  出迎える生徒たちに、戸惑いもあっただろう。講演は難解だつたかもしれな い。中間試験の期間で、寝不足の生徒がいたようだ。  それでもよい。若いとき、本物に触れることが大事だ。本格派を作るための 創価学園である。  この時、伯爵は75歳。私は42歳。学園生は10代。ひとつのヨーロッパ へ、ひとつの世界へ。人類融和の理想が、世代から世代へ引き継がれることを 信じていた。  舞台は世界だ。  日蓮大聖人は「わづかの小島のぬしら」と喝破された。嫉妬の島国が相手で はない。いよいよ世界の知性と語り抜くべき時が来た。これが私の真情だった。                ◇  伯爵にとって日本は、母君(ははぎみ)の祖国であり、ご自身の故郷である。  生後1年余で日本を去り、71年ぶりの"里帰り"となったのが1967年。 大手建設会社の会長が設立した平和研究所等の招聘(しょうへい)による来日 だった。  その際、伯爵から会見の要望があって、お会いした。  「創価学会?およしなさい」。外野の声があった。それを笑い飛ばすように 「池田会長との会見に、大きな期待をもっている」と抱負を語られた。  「私は直ちに池田の人物に強く感銘した。やっと39歳の、この男から発出 している動力性に打たれたのである」  自著『美の国 ── 日本への帰郷』(『クーデンホーフ・カレルギー全集8』 鹿島守之助訳、鹿島研究所出版会)に綴ってくださった一文である。 ――――――――――  心をつかむ言葉で ――――――――――  若さ。行動。大事業を成す要諦である。  伯爵は28歳で『パン・ヨーロッパ』を著し「ヨーロッパ統合」への大闘争 を開始した。  壮大な夢である。  戸田城聖先生は、語っておられた。  「青年は、望みが大きすぎるくらいで、ちょうどよいのだ」  「大事業は、20代、30代でやる決意が大事だ。40代に入ってから"さ あ、やろう"といっても決してできるものではない」  一番弟子の私には、自負がある。  恩師から託された構想は、ことごとく30代で、やり遂げた。ありとあらゆ る事業の基盤を作り上げた。  いつかやろう。そのうちできる。そんな考えは、微塵もなかった。  青年期に大望も抱けない人間に、大事の成せるわけがない。学会は、青年に 希望と理想を贈る団体である。                ◇  伯爵の事業の急所は何か。  ヨーロッパ統合。ひとつの欧州。端的な言葉で言い切り、人びとの心をつか んだことである。  欧州統合といゑ埋念自体は、古くからあった。カントやルソーも提唱してい る。ユゴーも「ヨーロッパ合衆国」という言葉を用いたことがある。  だが ── いかに高邁な理念も、人の心をつかめなければ、机上の空論にす ぎない。  伯爵は、どこか夢物語にすぎなかった理念に「かたち」を与え、具体的な「旗」 を掲げた。生命を吹き込んだ。  もとより次元は異なるが、日蓮大聖人は、万人の成仏の根本法に「南無妙法 蓮華経」と名づけられた。そして「法華弘通のはたじるし」として、御本尊を 御図顕なされた。  戸田先生は「75万世帯の弘教」を宣言なされた。私は恩師亡き後に「七つ の鐘を鳴らそう」と掲げた。  恩師は「東洋広布」。私は「世界広布」。  恩師は「立正安国」。私は「平和・文化・教育」に道を広げた。  壮大な理想の旗ありて、創価の連帯は世界190力国・地域にまで拡大し、 隆々たる発展を遂げたのである。  指し示す「道標(みちしるべ)」が確かであるか。  中軸の「柱」が頑強であるか。  大事業の急所である。そこに民衆の糾合(きゅうごう)があり、喝采があり、 前進が始まる。 ―――――――――― 「形式」ではない ――――――――――  伯爵は、徹底した、「外交の人」であった。  父君はオーストリア=ハンガリー帝国の有力貴族だったが、家柄や看板に頼 らなかった。裸一貫で勝負した。  東奔西走。書きに書き、語りに語り、世論に訴えぬいた。  ナチス・ドイツに戦いを挑み、亡命を余儀なくされた。  「ならば」と、亡命先でも人脈を拡大した。  アインシュタイン。フロイト。リルケ。トーマス・マン。リヒャルト・シュ トラウス。ブルーノ・ワルター。  全欧州の政財界人に訴え、学識者に説き、支持を広げた。                 ◇  外交について、古来、幾多のテクニックが論じられてきた。「外交は妥協の 芸術」とまで言う人もいる。  しかし、所詮は「策」ではない。  カレルギー伯の万感の言葉が胸に轟(とどろ)く。「誠実は虚言に対する闘 争である」(前出全集3)  その通りだ。根本は「誠実」「勇気」「知恵」に尽きる。  戸田先生は渉外に厳しかった。  「外交のできない人間は信用するな」  そして私を初代の渉外部長に任命された。  まだ26歳である。世法に長けた幹部は他に幾らもいたが、私を指名された。  「青年だから」である。  青年らしく戦った。打算も計算もなく。体裁も利害の淀(よど)みも、かな ぐり捨てた。  恩師への中傷は絶対に許さなかった。自ら敵陣に斬り込み、西に東に、右に 左に、師の正義の旗を打ち立てた。  「己なく、恐れなし」。これが外交戦の魂だ。  自信がない人間に限って「形式」や「策」に走る。  臆病だから、怖気づく。  確信がないから、おもねり、媚びる。  我らは、断じて、そうであってはならない。なかんずく青年は/動けば道は 開ける。会えば人は変わる。語れば心はつかめる。  勇猛果敢な青年外交によって、夢を現実のものとしたクーデンホーフ・カレ ルギー伯。  外交で勝つ弟子があれば、広宣流布はできる。 **************************************************************** リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギー伯爵(1894年?1972年)  オーストリア=ハンガリー帝国の駐日代理公使だったハインリヒ・クーデン ホーフ・カレルギー伯爵と、青山光子の二男として東京で生まれる(日本名・ エイジロウ)。母・光子は日本で初めて正式に国際結婚した女性として有名。  カレルギー伯爵は第1次世界大戦後、疲弊した欧州の復興を願い、1923 年『パン・ヨーロッパ』を出版。欧州統合の運動を組織し、全欧に展開した。 第2次世界大戦中は、ナチス・ドイツの弾圧から逃れ、欧州各国を経て米国に 渡った。その間も活動を続け、賛同者を増やした。終戦後、オーストリアに帰 国。47年「ヨーロッパ議員同盟」を創設。50年「ヨーロッパ合衆国憲法委 員会」の初代事務総長に就任。72年7月、スイスで死去するまで精力的に活 動を続けた。その後、欧州統合は現在の「EU(欧州連合)」として結実。伯 爵は「欧州統合の父」と讃えられる。  池田名誉会長とは、67年10月に来日の折、初会見。70年10月にも東 京で4回、延べ十数時間にわたって会談。語らいは、対談集『文明・西と東』 (『池田大作全集』102巻に収録)として発刊。 ****************************************************************