2006.7.2SP  =-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-  池田名誉会長の〔世界との語らい〕第6回       パグウォッシュ会議 名誉会長  ロートブラット博士 =-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=- ○弾む生命力が社会を活性化      ── リーダーは生き生きと! 若々しく!  ロートブラット博士と11年ぶりに再会したのは、2000年2月10日の ことだった。  開幕して間もない新しき千年。世界は待望していた。「戦争と暴力の世紀」 から「平和と希望の世紀」への転換を。そのキーワードとして、「文明の対話」 という言葉が注目され始めたのも、このころである。国連も、2001年を「文 明間の対話年」と位置づけていた。  私も一貫して「文明の対話」に挑んできた。それは、歴史家・トインビー博 士から託された遺業でもあった。「対話こそ、永遠の平和への道です。私はも う高齢であるし、無理でしょう。どうか、あなたは、世界の知性と対話を続け てください」  戸田先生の生誕100周年に当たるこの年、私は誓った。  さあ、平和への新たなる挑戦だ。一歩も引くまい。今までに倍する闘争で、 歴史をつくろう!戸田先生の愛弟子(まなでし)が、どこまでできるか、証明 するのだ! ── と。  博士との再会は、こうした私の闘魂を、さらに燃え上がらせる契機となった。 ◆リーダーシップを  ロートブラット博士は、核兵器なき世界の創出へ戦い続けた"平和の獅子" である。  戦後、バートランド・ラッセル卿とともに、核兵器廃絶を訴える「ラッセル・ アインシュタイン宣言」の起草に尽力される。  1957年には、博士が中心となって、同宣言の精神を受け継いだ科学者の 連帯「パグウォッシュ会議」が発足した。  東西冷戦の緊張が世界を覆っていた時代。いつ核戦争が勃発するとも限らな い。そうしたなか、博士は厳然と平和の闘争を開始されたのである。  同じ年の9月8日。戸田先生も核兵器の脅威に真っ向から"獅子吼"した。  「われわれ世界の民衆は、生存の権利をもっております。その権利をおびや かすものは、これ魔ものであり、サタンであり、怪物であります」 ── 有名 な「原水爆禁止宣言」である。  逝去の7カ月前。だが、「世界平和の一凶を断ぜよ」との気迫は、衰えを知 らない。まさに火を吐く如き遺訓であった。  ほぼ同時代を生き、志を同じくした二人の"獅子"。  再会の席で、博士は、恩師の遺志を継ぐ私に過分な期待を寄せてくださった。  「池田会長に、人類が閉塞状況を抜け出すためのリーダーシップをとってい ただきたい。今、それができるのは、会長しかいないのです」  私にはその声が、かつての師の遺言に聞こえた。  「大作、あとはお前だ、頼むぞ!」  奇(く)しくも、博士との会見は、師の誕生日の前日であった。 ◆秘訣は「楽観主義」  再会の場所は、愛する沖縄の研修道場だった。かつてのミサイル基地も、わ が同志の真心により"平和の発信地"として美しく整備されていた。「命(ぬ ち)どぅ宝(命こそ宝)」 ── 古くから沖縄には「生命尊厳の心」が薫る。 語らいには、その誇りに燃える沖縄の友も同席した。  ロートブラット博士と挨拶を交わした瞬間、私は驚いた。以前からエネルギ ッシュだった博士が、さらに若返ったような気がしたからだ。ピンと伸びた背 筋。張りのある声。青き瞳は、青年のような輝きを放っていた。とても91歳 とは思えない。  なぜ、これほど若々しいのか ── 。博士と語り合ううちに、その秘密が分 かったような気がした。  第1に、「大目的に生きている」からだ。  「ラッセル・アインシュタイン宣言」の署名者の中で、生存しているのは、 もはや博士だけだった。「だからこそ、自分が核兵器の脅威を訴えなければな らない」。この断固たる使命感が、博士の全身の細胞を生き生きと活性化して いたのだろう。  第2には、逞しき「楽観主義」だ。  博士の最愛の奥様は、ホロコースト(大量虐殺)の犠牲となった。不慮の事 態で、救出はかなわなかった……。無念の心情を語る博士の瞳に、涙が光って いたことが忘れられない。  博士は最も深い悲哀を、最も深い平和への決意に変え、亡き奥様と一体にな って人類のために走り続けてこられた。  「人類の未来については、楽観的でなくてはならないと、私は思っています。 その反対は何でしょう。互いに悲観主義に陥ってしまえば、破壊し合うことし かありません」。これが博士の透徹(とうてつ)した信念であった。  しかも、博士の言う「楽観主義」とは、安閑として待つことではない。徹底 した行動を伴う。  原爆が投下された後、博士はイギリス中の大学を回り、人類の危機をアピー ルされた。パグウォッシュ会議発足後、核廃絶を訴え、訪れた国は100カ国 に上る。この日の会見にも、厳寒のロンドンから関西空港で乗り継ぎ、はるば る沖縄へと駆け付けてくださった。  まさに「行動」こそ、博士の若さの第3の秘訣だった。                ◇  語らいを終え、長旅の疲れを気遣うと、博士は「私は『疲れる』ことを自分 に許さないんです」と。確かに疲れた様子は全く見せない。打てば響く快活な 反応。頬は紅潮し、生命力に満ちている。はつらつとした博士の姿に、私は「勝 利のリーダー」の要件を見た。  個人であれ、団体であれ、快活なところ、勢いのあるところが勝つ。これは 鉄則である。  今、社会は生気に乏しい。無関心。無感動。無責任。何事にも興味がもてず、 すべてが他人事に思える。どこか疲れた空気が充満している。  かつて戸田先生は、社会の空虚感の根因(こんいん)は「人」にある。  「生き生きとして、はちきれるような生命力のないところからくる」と鋭く 喝破した。  会うと、楽しくなる。元気になる。勇気がわいてくる。社会の閉塞感を打ち 破るには、そうした満々たる生命力をもった人間が必要なのだ。 ◆思い切って前へ!  まさに、それは博士の人格に凝縮されていた。博士もまた、仏法を持つ私た ちに、「触れ合うすべての人々を心から楽しくさせてくれる、人格の温かさを 感ずる」と讃えてくださった。  仏法を実践する者は「年は・わか(若)うなり福はかさなり」(御書113 5ページ)と説かれている。生き生きと!若々しく! これが仏法者の証(あか し)なのだ。  しかめっ面は、傲慢の表れ。不機嫌は、怠け者の証拠である。深刻な表情は、 臆病者の印だ。  くよくよする暇があったら、思い切って前へ進め! 晴れ晴れと動いてみるこ とだ。「賢者はよろこび愚者は退く」(同1091ページ)である。猛然と動 いて、決然と語って、敢然と戦う。生命の息吹で、悩みなど全部、吹き飛ばし ていくのだ。  仏法の真髄は「歓喜の中の大歓喜」(同788ページ)である。リーダーの 生命に弾むような勢いがあれば、必ず社会は躍動する。閉塞した時代に、爽快 な風を通すことができるのだ。 ◆すべて青年に託す  ロートブラット博士が、開学間もないアメリカ創価大学で講演してくださっ たのは、再会した翌年の10月のことである。  あの「9・11」のテロ事件で訪米を見合わせる人が多いなか、わざわざロ ンドンから足を運んでくださった。しかも、機中で喉を痛められ、体調は不良 だったという。しかし、大学関係者からの講演中止の申し出も、きっぱり断ら れた。  なぜか ── 。  「核兵器の廃絶という目標は、やがて実現できるでしょう。しかし、戦争の ない時代を築くのは、はるかに遠い目標です。これは、若い世代に託す以外あ りません」  7月3日に発刊となる、私との対談集『地球平和への探究』(潮出版社)に も、博士は昨年、天寿を全うされる直前まで心血を注いでくださった。「世界 の青年に読んでもらいたい」と。  私も全く同じ思いである。  広宣流布は、人類の万年の幸福を開く大偉業である。未来へと続く平和の大 長征(だいちょうせい)は、永遠に青年に託す以外にない。  最後の語らいで博士から託された言葉を、私は共に戦う創価の青年に託した い。「若き諸君よ、今こそ、平和と正義のリーダーシップを頼む」 **************************************************************** ジョセフ・ロートブラット(1908年〜2005年)  物理学者。パグウォッシュ会議名誉会長。ロンドン大学名誉教授。ポーラン ドのワルシャワ生まれ。ワルシャワの放射線学研究所研究員となり、英国で核 物理学を研究。米国政府から原爆開発の「マンハッタン計画」に招かれて渡米 するが、ナチス・ドイツが原爆を製造しないことがわかると、同計画から離脱。 広島、長崎への原爆投下に衝撃を受け、その後の人生を核廃絶運動に捧げた。 1955年、核兵器と戦争の廃絶を訴える「ラッセル・アインシュタイン宣言」 の発表に尽力。57年、平和と軍縮を目指す国際会議「科学と世界問題に関す るパグウォッシュ会議」を共同創設し、初代事務局長や会長を歴任した。95 年、同会議とともにノーベル平和賞を受賞。  池田名誉会長とは、大阪で1989年10月、沖縄で2000年2月に会見 している。このほど、2人の対談集『地球平和への探究』(潮出版社)が発刊 された。 ****************************************************************