2008年9月30日付 聖教新聞 あの日あの時 3−3 池田先生と横浜 (保土ヶ谷・旭) こからドラマが始まった  有隣堂の社長  「もっと平積みして!」  書店員がレジカウンターの横に、どんどん箱入りの本を積み上げていく。  特大のショーケースにも明かりを入れ、青を基調にした美しい装幀が照らし出された。  横浜にある老舗の書店・有隣堂。  ここで小説『人間革命』第1巻を大々的に販売したのは、1965年(昭和40年)の 秋である。  4代目社長の松信泰輔には、強い信念があった。  活字離れの世相。しかし池田名誉会長は書物を通じて数百万の大衆と対話している。  活字こそ、言論の自由の土台である。学会の出版物は、日本にとって必ずプラスになる。  1970年(昭和45年)には「言論問題」の余波で、学会を中傷する週刊誌が売れ、 学会批判本の類も出た。  憤慨した松信は、つき合いのある書店に足を運んで訴えた。  「売りゃあいいってもんじゃない。そんなことじゃ活字の信用は落ちるばかりだ」  老舗の誇りもある。  創業は1909年(明治42年)。明年で創業百周年を迎える。  論語の「徳不孤必有隣」(徳は孤ならず、必ず隣有り)が社名の由来。徳を貫けば孤立し ない。必ず連帯が生まれる。  75年、念願だった池田名誉会長との会見が実現する。その様子を収めた写真。出席者 全員が名誉会長を囲んで、愉快な表情を見せている。  77年には、桧信は日本書店商業組合連合会の会長になった。  「人民の母」と会見  「徳は孤ならず、必ず隣有り」──。  中国人民の母・●(とう)穎超女史との会見では、まさに、この言葉の精神をほうふつ とさせる場面があった。  1979年(昭和54年)4月12日。迎賓館。  第三代会長を辞任する意向を知った女史は、強く言い切った。  「池田先生、やめてはいけません。あなたには人民の支持があります。人民の支持があ るかぎり、やめてはいけません」  誰に本当の徳があるのか。正義があるのか。女史は、よく知っていた。      ◇  4月13日の夕刻。名誉会長は神奈川文化会館へ向かった。車窓からライトアップされ た横浜港が見える。  同乗していた神奈川の会員は、忘れられない言葉を聞いている。  「これからドラマが始まるんだ」  「人と人の抗棒(くいぼう)を、もう一回打ち直すのだ」  功労者の家を一軒一軒、伺っていくことも決めていた。  すでに辞任の意向は固まっている。  第三代会長として、最後の舞台に選んだのが神奈川の横浜だった。  宗門は、名誉会長を孤立させたつもりだったかもしれないが、それは大きな間違いだっ た。むしろ神奈川の会員との新しい連帯が広がり、深まっていった。  旭区の個人会館へ  4月14日。  神奈川文化会館では、開館記念勤行会が開かれた。  3階の大広間は後ろの扉が開け放たれ、ロビーまで人があふれている。  名誉会長がマイクを握って立ち上がる。「今日は、お祝いだね。懇談的にお話ししましょ う」  次々に立ち上がる会員たち。何人かが報告をした後のことである。  「池田先生、旭区に来てください」  意を決した壮年の太い声が聞こえた。  続いて旭区の婦人部も立ち上がった。  「ぜひ、金沢会館に来てください」  名誉会長が何か記憶をたどるように聞き返した。「金沢?」  文京支部の支部長代理時代を思い出させる名前だった。      ◇  金沢進太郎は、草創期に文京支部保土ヶ谷地区に所属していた。  貧しい暮らしで、横浜から都内の拠点に通うにも交通費がない。帰り道は、白み始めた 空を見上げて多摩川を渡ったった。  文京の拠点では、いつも真っ先に到着している青年がいた。式次第や会合名の大書きを 画鋲で壁にとめている。奥からテーブルを出し、参加者を迎える体制を整えていた。  池田支部長代理だった。  戸田会長は、支部長代理に伴われ、指導を受けに来る金沢を「保土ヶ谷の貧乏人。日本 一の貧乏人だな」と可愛がった。  「会館を作れる境涯になりなさい」──戸田会長の一喝が金沢の支えとなった。その後、 保土ヶ谷地区の地区部長も務めた。  あれから紆余曲折の25年がたった。  屑鉄を拾って身を起こし、旭区内で自動車関係の工場を営む。  ついに個人会館を建てるまでになった。  4月20日。  工場の前まで出て、金沢は小さな体を直立させていた。  午後2時ごろ。黒塗りのワンボックスカーが静かに停車した。  「金沢さん、本当に、お懐かしいですね」  車を降り、帽子を取って深々と会釈した。  「先生、隣の瓦屋根が個人会館です。粒末な平屋ですが......」  戸田会長との約束を果たすことができた。金沢の目が光っている。  母屋の二階に上がると、眼下に美しいバラ園が広がっている。このバラ園に「池田」と 「金沢」から一文字ずつ取り、「池沢園」と命名した。  会長勇退4日前。  第三代会長として、最後の功労者宅訪問は、旭区だった。  横浜から世界へ  5月5日。  ブルン、ブルルーン!  保土ヶ谷区の渡辺安徳は、緊張の面持ちで愛艇「21世紀号」のエンジンを回した。正 午過ぎのことであった。  後ろの客席に、日よけのサングラスをかけた男性。池田名誉会長だった。      ◇  渡辺は生粋のシップマン。横浜港のドックで、エンジン修理を主とした船舶工場を営ん でいた。  波にゆれるドックに、純白のクルーザー。船体には「The 21St CENTURY」の名が刻ま れている。  この日は「こどもの日」。だが海の男には、祝日などない。朝からドックに潜り、黙々と 整備作業に専念していた。  工場の外で誰かが呼ぶような声がした。ドックからハシゴで上がり、心臓が止まりそう になった。目の前に名誉会長が立っているではないか。  「こんにちは、21世紀号の渡辺さんですか」  声が出ない。いつか乗ってもらえれば、と願ってはいた。周囲に語ってもいた。まさか、 実現するとは......。  油まみれの渡辺の肩に、サッと腕を回した。  「乗せてもらえるかな」  バランスを取りながら、機敏に船へ飛び乗った。掃除もすんでいない。慌ててスリッパ を差し出した。  船は本牧町の運河に架かる小湊橋をくぐり、広い湾に出た。一気に加速。ググッと船首 が上がる。エンジン音が身体に心地よい。  30分ほどで、山下公園が視界に入ってきた。新緑の木々の向こうに神奈川文化会館が 見える。  名誉会長は、しばらくレンガ色の威容を見つめた。  「海から見る神奈川文化も、美しいね」      ◇  21世紀号は、船首の向きを変え、ふたたび横浜湾を周回した。  世界最大級の貿易港である。巨大なクレーンでコンテナを吊り上げる貨物船。7つの海 を越えてきた白亜の大型船。石油タンカーも、ゆったりと湾内を旋回している。  名誉会長の眼前に「世界」が広がっていた。  創価学会インタナショナルの会長として、保土ヶ谷の友と世界を望んだ。  新しいドラマが始まろうとしていた。戦いの舞台は、この広い海の向こうである。  後日、船に乗せてもらったお礼に、渡辺家を招き、娘のめぐみ(現・保土ヶ谷総区婦人 部長)に自著を手渡している。      ◇  21世紀号が山下公園の桟橋に接岸した。  下船した名誉会長は、まっすぐ神奈川文化会館の執務室に向かい「正義」の揮毫を残し ている。 あの日あの時 3−3 池田先生と横浜 (保土ヶ谷・旭)〔完〕