2008年12月18日 聖教新聞 随筆人間世紀の光 174 広布の賢者の壮年部 下 山本 伸一 師子の勇気を 不死鳥の大生命力を 恩師「闘争力を持て 嵐に揺るがぬ大勝利者たれ!」 「強盛の信心 弥弥悦びをなすべし」  仏法の   広布の賢者の      君なれば  誇りも高く     勝利の指揮とれ  ある日、私は、逆境のなか、懸命に戦っている後輩に、この一首を贈った。  秀才である彼からは、即座に決意の手紙が届いた。  そこには、"苦悩してきた人間は、苦労知らずを信用しない"という意味の、スイスの哲 人ヒルティの言葉が綴られてあった。  そして手紙は、「私も、この決心で、労苦を惜しまず、真の賢者となってまいります」と 結ばれていた。  この哲学者のヒルティ自身も、苦悩の連続であった。しかし最晩年、訪ねてきた知人に、 ヒルティは語っている。  「わたしの生涯から苦しみの時を抹消しようとすれば、よい想い出はぜんぜんのこらな いことになるであろう。すべてよいことは苦しみの時間のうちに成長した」  正義の指導者が多くの難に遭うことも、大勢の人びとを励まし、リードしゆくための試 練なのである。  決して、この道理を忘れてはならない。  ともあれ、蓮祖大聖人は仰せである。  「大難来りなば強盛の信心弥弥(いよいよ)悦びをなすべし」(御書一四四八ページ)  立ちはだかる苦難や競い起こる強敵こそ、壮年の生命を、いよいよ雄々しく蘇らせ、い よいよ壮んに燃えたぎらせてくれるのだ。  さらに哲学の達人ヒルティは、「若さの秘訣」を問われて、「つねに新しいことを学ぶこ と」を誇らしげに挙げている。  「学ぶ人生」は老いない。  創価大学の通信教育部でも、青年と共に学びゆかれる人生の先輩方の姿は、何よりも若々 しく、美しい。      ◇  「私は口先だけの男を友にはしたくない」  「仕事を見せろ、できれば立派な仕事を」──  私が大切にしてきた、古代ギリシャの詩人テオグニスの言葉だ。  戸田先生も、「口先だけの男」には、それはそれは厳しかった。  その反対に、地味であり、朴訥であっても、誠心誠意、努力を重ね、確かな実証を示す 人を、抱きかかえるように大事にされた。  弟子たちの「祈り」と「戦い」を、じつと見守っておられた。師匠とは、本当にありが たいものだ。  昭和二十八年の九月度の本部幹部会で、先生は、こう指導された。  「長たる地位にありながら、闘争力のない者には福運が出ない」  常々、戸田先生は──  「臆病者になるな! 臆病者は、指導する力も出ない。資格もない」と厳しく言われて いた。  家庭であれば、その大黒柱には、一家を護り支える使命と責任がある。  組織も、厳しく見れば、「長の一念」と「長の闘争力」で決まるのだ。  この月(昭和二十八年九月)、わが蒲田支部の折伏は、初めて千世帯の大台を突破した。 あの「二月闘争」で、私と共に、二百一世帯という、大きな壁を破る結果を出してから一 年半余り。蒲田支部は、また新たな金字塔を打ち立てたのである。  なかでも、支部の最大の牽引力となった矢口地区は、三百世帯を超えた。  この矢口地区の黄金桂が白木薫次地区部長であった。後の第二代蒲田支部長でもある。 社会では、会社の重役を務め、良識豊かな大人の風格の人であった。  地区員を、いつも慈愛の眼差しで見つめ、親にも勝る愛情を注いでいた。  組織がタテ線の時代である。東北の秋田や北海道、愛知、岐阜、山梨等々、遠方で苦闘 する同志のためにも、喜んで走った。真剣に走った。  何でも親身に、気さくに相談にのってくれる地区部長を、皆は「白木のおじさん」と呼 んで慕っていた。その「おじさん」という呼びかけのなかに、最上の敬愛と信頼の響きが あった。  ひとたび戦いに臨めば、燃やす闘志は、情熱あふれ青年の如くであった。  幾つになっても、意気軒昂に戦う生命は輝き光る。だから人材も陸続と出た。  「白木君は、あらゆる面で福運を受けているな」  陰で、戸田先生は、常にそう誉めておられた。      ◇  健康と    長寿の生命     大切に   壮んな年に      誉れ多かれ  「闘争力」とは、勇んで第一線に立つ生命力だ。  中国の周恩来総理は、その模範を示され続けた。北京郊外のダムの建設現場を訪れ、一 週間、寝食を共にして働いたこともある。五百人を超える中央の幹部も、勇んで総理に同 行した。  周総理らは、この現場でダムの堤を築くため、手押し車で石材を運び、列を作って石を 手渡していった。  周総理は、既に六十歳。幹部たちも平均年齢は四十五歳を超えていた。だが、仕事に取 りかかると、"竜か虎のように"意気盛んであったという。  しかも総理は、皆が昼間の労働に疲れて眠った後、睡眠時間を削って、国家の執務も行 った。総理の部屋は、いつまでも明かりが消えなかったのである。  周総理が率いた一隊は、尊敬の念を込めて、「黄忠隊(こうちゅうたい)」と呼ばれた。  黄忠は、三国時代、諸葛孔明の下で活躍した名将である。七十歳近くになっても、勇ん で陣頭に立った。  敵将に向かっては、「わしを年寄りとあなどるか。わしの刀はまだ若いぞ」と、猛然と突 入していった。  黄忠が立てば、全軍が奮い立った。  「鋒(ほこ)を突きたて、あくまでも進撃し、率先して士卒を励まし、鍾と太鼓は天を 振わせ、歓声は谷を動かすほど」──黄忠の天晴れな戦闘を、正史『三国志』はこう伝え ている。  広宣流布のため、平日の昼間から奮闘される、わが壮年部の「太陽会」「敢闘会」などの 皆様方は、誉れの「創価の黄忠隊」である。  お体を大切に、晴れ晴れと進んでいただきたい。  当然、仕事の上では「定年」はある。しかし、南無妙法蓮華経を唱え行じゆく生命には、 定年はない。  常に、元初の旭日の生命力で、永遠不滅の勝利の人生を飾っていけるのだ。 随筆人間世紀の光 174 広布の賢者の壮年部 下−2に続く