2009年2月16日付 聖教新聞 新時代第26回本部幹部会での名誉会長のスピーチ 上−1 まっすぐに師弟の大道を 広布の大ロマンに生き抜け 恩師の叫び 「苦しむ人々を救え!」 庶民に尽くすリーダーたれ 青年よ「新時代の指導者」と輝け  一、お休みのところ、ご苦労さまです(大拍手)。  きょうは、雨かとも思ったが、とても晴れやかに本部幹部会を開催することができた。  〈本部幹部会は、東京・千駄ヶ谷の創価国際友好会館で行われた〉  本日の好天を折ってくださった皆様方に心から感謝申し上げたい。本当にありがとう! 「東京、万歳!」である(大拍手)。  一、「厳寒の2月」。そしてまた、「伝統の2月」。  これからも寒い日が続くと思うが、「絶対に風邪をひかない」と心に決め、強く祈って、 楽しく、価値ある一日一日を過ごしていただきたい。  ご一家も、お父さまも、お母さまも、みんな、お元気で!──そうなるように、皆で祈 っていただきたい。私も祈ります。  そしてまた、毎日を有意義に、同志たちと朗らかに、和気あいあいと勝ち越えていく歴 史をつくり上げていただきたい。お願いします!〈「ハイ」と会場から元気な返事が〉  恩師・戸田先生の誕生日を祝う  一、この2日は、日蓮大聖人の御聖誕の月である。  また、きょう2月11日は、私たちの恩師・戸田城聖先生の誕生日である。  時間が許せば、誕生日を祝して、3時間でも4時間でも、先生のことを話してあげたい。 本当に、うれしい。  その先生の誕生日を、真心の祈りで荘厳してくださった東京婦人部の皆様に、重ねて御 礼申し上げたい。  先ほども、妻とともに「すごいですね」  「ありがたいね」と喜び合ったところである。  ともあれ、きょうは、懐かしい戸田先生との思い出を振り返りながら、先生の折々の指 導を皆さんに贈りたい(大拍手)。  天才的な頭脳!  一、戸田先生は、数学の大教育者であられた。  初代・牧口会長に仕え、そして、仏法の指揮を、広布の指揮を執り始めていかれた。  私は、毎日、この戸田先生のお側で、お仕えすることができた。  先生の偉大さ!  先生の天才的な頭脳明晰!  ありとあらゆる大難を乗り越えて戦われる勇気!  貧しい人々、苦しみ悩む人々を、心から励まし、断じて幸福にしていかねばならないと いう、大慈悲を持たれた指導者であられた。  戸田先生は、権力に対しては、強かった。対抗した。  傲慢な人間に対しては、強かった。絶対に屈しなかった。  有名人に対しては、あまりにも冷静であられた。  学生部に頼む  一、戸田先生は、厳しく言われた。  「学会からも、将来、大勢の指導者が出るだろう。しかし、決して、威張らせてはいけ ない」と。  歴史上、増上慢の指導者たちによって、どれだけ、罪なき人、正義の人が、苦しめられ てきたか。指導者が、愚かで、貪欲で、傲慢であれば、どれほど民衆が、かわいそうか。  第2次世界大戦中、軍部に反対して、牢獄に入った戸田先生は、その一点の重要性を鋭 く見つめていかれた。  そして、指導者とは、「民衆を護り」「民衆に尽くす」ために存在することを強く叫ばれ た。  それが、戸田先生の指導者観であり、仏法の指導者観である。  その理想を実現しゆくことが、わが青年部の戦いである。なかんずく、恩師が生涯の最 後に結成された学生部の使命である。  一、先生は、青年部に厳命された。  「増上慢の輩、人をバカにする輩、虚栄の自分が偉いと錯覚し思い上がっている輩など には、絶対に君たちは屈してはならない」と。  戸田先生の時代も、宗教的権威を笠に着て、庶民をいじめる悪侶が出た。また学会の中 からも、社会的な立場を鼻にかけて、師匠を軽んじ、崇高な師弟を壊そうとする者が現れ た。  私は青年であった。正義のため、学会のため、こうした人間とは、猛然と「言論の力」 で戦った。  この師弟の「正義の魂」を、青年部の諸君は、断じて受け継いでいただきたい。  いざというとき、立ち上がるのが青年部である。  優秀な精神と強靭な肉体を  一、戸田先生は、青年部に指導した。  「優秀な精神を持ち、強靭な肉体を持った立派な人物となって、思う存分に活躍してい け。私は、青年部の諸君に、限りない期待を寄せているのである」と。  「優秀な精神」。その根本は、信心である。  先生は、「優秀な成績」とは言われなかった。本来、人間の成績など、簡単に測れるもの ではないのだ。  そして、「強靭な肉体」。これも大事である。  威張るのではなく、利口そうで、感じが良くて、学会には、あんなに素晴らしい人がい るんだ、学会に入ってみたいな──そう思われるような魅力ある青年部であってほしい。  はつらつと躍動する青年の姿こそ、学会の象徴である。  戸田先生は、青年に後継の一切を託された。その青年の一番の中心に、私がいた。  青年部しか信じない。最後は、青年しかいない──それが先生のお心であった。  若き私は、「先生、ご安心ください。必ずや広宣流布を成し遂げてまいります。理想の学 会をつくっていきます」とお誓いして、無我夢中で、広布の大闘争に飛び込んでいったの である。  今の私には、先生のお心がよく分かる。頼むのは青年である。  青年部よ、勝ちまくれ!──と強く申し上げたい(大拍手)。  生き抜く哲学を  一、戸田先生は、「今の乱れた世の中を、創価学会が変えていくのだ。勇気を奮い起こし、 一致団結して、広宣流布の大道を進もうではないか!」と叫ばれた。  時代の闇が深いからこそ、多くの人が「生き抜く哲学」を求めている。「生命に響く励ま し」を求めている。  その民衆の心に応えてきたから、学会は伸びてきた。  徹して一人を励まし、大切にして、善の方向へ、平和の方向へと、社会を変えてきたの である。  一方で、学会を弾圧した勢力は衰亡の一途をたどっている。  第一段階は勝った。  私たちは、今再び、一致団結して、広布の大道を進みたい。  大事なのは勇気である。信心とは、勇気である。歩み抜くことである。横着では、信心 は貫けない。  父子のごとく  一、戸田先生の誕生日には、いろいろな思い出がある。  朝早く、先生のお宅へ、一人で、おうかがいしたこともあった。  「先生、おめでとうございます!」  「なんだ、もう少し遅く来るかと思ったら、もう来たのか」  先生は、少し驚かれていたが、うれしそうであった。 「伝統の2月」を朗らかに! 健康勝利の一日一日を  赤飯とお汁粉を、ご一緒に頂戴したこともある。  学会を取り巻く状況がどんなに厳しくとも、また、腹黒い、欺瞞の人間たちが蠢いてい ても、先生と私は、父子のごとく、家族のごとく、深き心の世界を生きてきた。  一つ一つが、美しい師弟の劇であった。素晴らしい、師弟の絆が輝いていた。  最近、戸田先生について書き物をしていた時に、私の妻が、「あなたは本当に"ロマンの 人生"を生きていますね。"ロマンの師弟"を生きていますね」と、しみじみと語っていた。  「俺は幸せだ」  一、戸田先生は、よく言われていた。  「大聖人の御聖訓のままにいくのだ! これこそ、学会精神である」と。  偉大な先生であった。その先生に、初めから最後まで師事し抜いたのが私である。先生 は、私のことを誰よりも信頼してくださった。  先生の事業が破綻し、明日をも知れぬ状況だった時、私は常にお側で、先生を支えた。 先生がご存じでないところでも、先生をお護りした。  大変な戦いの中で、夜中に突然、先生に呼ばれたこともあった。  峻厳だった。死にものぐるいの広布の闘争だった。いい加減な気持ちなど、微塵もなか った。  会長職の激務が重なり、先生が本部で倒れられた時も、「大作、大作はいないか」と私の ことを呼ばれた。  「折伏が進まない」と先生が言われれば、「私がやります」と立ち上がった。  先生が欲すること、願うことは、弟子として、すべて実現してきた。全部、満足してい ただいた。  先生は晩年、「いい弟子を持って俺は幸せだ」と晴れやかであられた。  「大作、体を大事にしてくれよ」──これが先生の万感こもる言葉であった。 新時代第26回本部幹部会での名誉会長のスピーチ 上−2に続く 2009年2月16日付 聖教新聞 新時代第26回本部幹部会での名誉会長のスピーチ 上−2  「永遠に一緒に行こうな!」  一、戸田先生が起こされた大闘争は、あまりにも激しかった。しかし私は肺病で、体が 弱かった。  先生は、そんな私を本当に大切にしてくださった。  私が結婚する時には、先生は一人で私と妻の実家に来られた。  父が、「戸田先生が一人で来てくださったよ」と驚いていたことを思い出す。  私は、もう30歳で死んでもいいとの決心で、一年一年、戦っていた。50年分、10 0年分の戦いをした。  ある時、先生は妻の両親や何人かの弟子の前で、「大作は、私のために全生命を燃やして しまった。30歳まで生きられないかもしれない」と言って号泣された。  「大作が倒れたら大変だ。みんな、しっかり護ってやってくれよ」とも言われていた。  弟子を思う師匠の心。本当に偉大な、ありがたい先生だった。  先生は、天才中の天才の指導者だった。あまりにも鋭い、そして、だれよりも剛毅な方 であった。これほどの指導者は、世界中を探しても、ほかにいないであろう。  私は、先生に言われたことは、どんな小さなことでも全身で受けとめた。文句など、一 つも言わなかった。  「大作、よくやってくれたな。これで学会は大丈夫だ。また永遠に一緒に行こうな」  亡くなる前、先生がこう語っておられたことを忘れることはできない。  戦時中、牧口先生は権力の弾圧を受けて牢獄へ行き、戸田先生も牢獄に入られた。  戸田先生は、"牧口先生の慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れていってくださった"と まで語られた。これが本当の師弟だ。仏法だ。  牧口先生と戸田先生。そして戸田先生と私。  この根本の「師弟の精神」が流れているから、学会は発展を続けているのである。  仏法は証拠主義  一、亡くなられる、しばらく前のことだったであろうか。戸田先生は言われた。  「大作を見ろ! ここに、真実の学会がある。私の精神があるのだ」  未来のために、語り残しておきたい。  また戸田先生は、「師匠に応えようとする弟子の心がうれしいんだ」と言われたことがあ る。このことを私はかつて、関西の女子部の友に語った。  関西の女子部の方はいますか?〈会場から「ハイ!  ありがとうございます!」と元気な返事が〉  本当に関西は、いつも生き生きしている。元気がいい。うれしいです。  また、先生はこうも指導された。  「人生、真っすぐに行け!」「永遠の生命を見つめるとき、今世の小難がなんだ!」  この気概で進もう。小さい難など、悠々と乗り越えていくのだ。  そして、どこまでも、まっすぐに師弟の道を歩み抜く。この人生に勝るものはない。  師への報恩を貫いたゆえに、創価の人間主義は、全世界から賞讃されているのだ。  「仏教というのは全部、証拠主義である。証拠がなければ、観念論でしかない。それで は何の役にも立たない」  これも、戸田先生の教えである。  非常に深い言葉だ。明快なる証拠があるのか、ないのか。厳然たる結果が現れるのか、 現れないのか。  折伏をし、学会活動に励む。しつかり信心すれば、必ず証拠が出る。  最後は絶対に勝利していけるのが、大聖人の仏法なのである。  日々向上!  一、次に、若き日の戸田先生の日記から紹介したい。  1920年(大正9年)4月11日。先生は20代の青年である。  「日に日に向上して、心に笑む可きのみ」  「運命も自己自ら開拓せざれば、鍵開きて来る可き筈はあらざるなり」  少し難しい表現であるが──自分が心から納得し、満足できるよう、日々成長していこ う。わが運命の扉は、自分自身が切り開かなければ、決して鍵が開くことはない──とい う意味である。  次は、戸田先生の、友への手紙の一節である。大要、こう述べられている。  ──私の信仰は天下の正義である。この信仰の「信」「行」「学」を、私は、師匠である 牧口先生のおかげで得ることができた。ゆえに私は、若人の情熱を失わないのだ──  手紙の日付は1942年(昭和17年)の8月24日。  当時、数え年で43歳であられた。  この言葉の意味も、非常に深い。師弟に生きる人生は、永遠に若い。全員が青年の心で 進んでいただきたい。  広宣流布の途上において、何が起きても驚かない、悠然たる先生であられた。その闘争 の際にはいつも、師弟一体の私がいた。  ある著名な指導者に対して、「何かあったら、大作に聞けばいい」とおっしゃられたこと もあった。青年部の皆さんは、周りから頼りにされる人になっていただきたい。  先生のおかげで私は、20代で、じつに多くの識者、文化人と会わせていただいた。感 謝は尽きない。 戸田先生  題目をあげ抜いて勝て すべてがわが財産に!  師を護り抜いたことがわが誇り  一、ある時、戸田先生は、広宣流布のために、「戸田に、どこまでもついてきなさい」と 語られた。  「戸田についてきなさい」──この一言に、深い意味が込められている。  当時、多くの人が、仏道修行の途上で三障四魔に惑わされ、騙されてしまった。  私は先生をお護り申し上げた。言語に絶する苦しみもあったが、師を護りきった。  これこそ、1万年の先までも消えることのない、わが誇りである。何の悔いもない。  牧口先生に対する、戸田先生の師弟の道も、そうであられた。  また、こうも言われた。  「困難を避けるような弱虫に、何ができるか。そんな人間は、この戸田のもとには、い ないはずです」  実に厳しい師匠であった。  先生が、妙法の功徳力について次のように語られたこともある。  無量義経の「一切の法に於いて、勇健の想を得ん」との一節を引き、"あらゆる現象界に おいて、なんら恐れるところなく、戦えるようになってくるというのです"と講義された。  信心をすれば、現実の課題や悩みがなくなるのではない。悩みに負けない生命力が出る のだ。煩悩に振り回されたり、右往左往することがなくなる。賢明に越えていくことがで きる。それが、生命力が強くなるという意味であり、人間革命である。  これらの仏法の法門は、少々、難しいけれども、青年のために、申し上げておきたい。 「勇気!」「勇気!」で立ち上がれ!! 青春の誓い 「この一年を50年、100年分戦う」 戸田先生 運命を開くのは自分自身  一、試練と戦う関西婦人部の同志に、戸田先生は語られた。  「少しも心配いりません。私が知った以上、大丈夫です。あなたは信心をしっかりやり 遂げればいいのです」  今も、関西は本当によく頑張っている。  この先生の言葉の通り、いかなる戦いも、師と心を合わせ、信心をしっかりやり遂げれ ばいいのである。  大阪の戦いを翌年に控えた昭和30年(1955年)の11月8日。  私は日記に記した。  「青年を、窒息させてゆく社会、機構、制度。誠実な青年が、実力に応じて、栄進出来 ぬ、本末顕倒の社会。  指導者も悪い。社会も悪い。而し、それらをおしのけて起ち上がらぬ、青年も悪い。  この解決が、今、吾等が、実践している一日一日なのである。  頑張れ、青年よ」  私が27歳の時の率直な思いである。  そのまま、今を生きる若き皆さんに贈らせていただきたい。  頑張れ、青年部!  婦人部は太陽  一、戸田先生は、ざっくばらんな"座談の名手"であられた。  師走(12月)について、ユーモアを込め、こう語られた。  「師走といって、文字通り、"師も走って"いるのだよ。皆さんも多忙だと思うが、私も 走っている。広宣流布のために、ひとつ頑張ってくれ」  1年365日、一時も無駄にせぬ気迫で、広布のために戦い抜かれた恩師であった。  私もまた、同じ思いで戦っている。  先生は、婦人部の友を励まして、こう指導された。  「題目をあげ抜いて、勝つのだ。信心で勝とう! 時が来れば、すべてが自分目身の勝 利の歴史となり、財産となるのだ」  信心根本に戦い抜く人は、諸天をも動かし、必ず勝利の大空を仰ぐことができる。  なかんずく、婦人部の強き祈りで、学会は勝ってきた。  婦人部こそ希望だ。  婦人部こそ太陽だ。  これまで以上に、婦人部を心から尊重すれば、学会が、さらに勝ち栄えていくことは間 違いない。  一、最晩年のころ、戸田先生は、周囲に、こう語られていた。  「私は、教えるものは、もう全部、大作に教えた。多くの弟子が忘れ去っていこうとも、 大作は絶対に忘れない」「すべて大作に聞いて、やっていきなさい」  事実を、ありのままに残しておきたい。  恩師の一言一句は、皆が冗談と思うことでも、わが魂に刻みつけた。すべて恩師の教え 通りに実行した。  これが弟子である。  真実の弟子か。  偽物の弟子か。  それは"何を成したか"を見れば、明確なのである。(下に続く) 新時代第26回本部幹部会での名誉会長のスピーチ 上〔完〕